📝 この記事のポイント
- 銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
- 季節はもう春だというのに、こんな些細なことで背中に妙な汗をかく。
- 新しい生活にも慣れてきたつもりだったけど、まだまだ詰めが甘い。
銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
季節はもう春だというのに、こんな些細なことで背中に妙な汗をかく。
新しい生活にも慣れてきたつもりだったけど、まだまだ詰めが甘い。
後ろの女性はきっと、僕のモタつきを冷たい目で見ていたに違いない。
サッとカードを抜き取り、まるで逃げるように銀行を出た。
春は、なんとなく気分が浮つく。
街を歩く人たちの服装も、少しずつ軽やかになってきた。
僕も先日、ようやく冬物を片付けたばかりだ。
単身赴任から戻ってきて、家族三人での生活も半年が過ぎた。
単身赴任中は、自分の洗濯物なんて適当に週末にまとめて洗えばよかったから、妻と娘の分が増えるだけで、なんだか洗濯機が常に回っている気がする。
干す場所も増えるから、ベランダの使い方も熟考が必要になった。
そういえば、つい先日、娘と京都に遊びに行ったんだ。
桜はまだ少し早かったけど、観光客はもうたくさん。
メインストリートを避け、細い路地裏を散策するのが僕らの定番コースだ。
そこで、僕は驚くべきものに出会った。
いわゆる、あの「バニラ!
」と歌いながら走る軽トラック。
でも、それが、いつもの派手な色使いじゃないんだ。
京都の景観に配慮した、地味なバニラ色。
ベージュというか、クリーム色というか。
控えめに「バニラ」とだけ書かれた文字。
助手席にいた娘が「パパ、あれバニラだよ!
」と指差すまで、僕は気づかなかった。
最初、「え、これ本当にバニラ?
」って目を疑った。
あの、耳に残るメロディーとド派手な黄色いボディがトレードマークだと思っていたから。
それが、京都の町並みに溶け込むように、ひっそりと走っている。
これには正直、下手な史跡を見るよりも感動した。
もちろん、金閣寺の輝きも、清水寺の舞台も素晴らしい。
でも、あのトラックの「地味さ」には、一種の哲学さえ感じたんだ。
景観に配慮するって、こういうことかと。
主張したいことは山々だろうに、あえて抑える。
自分を殺して、周りに合わせる。
なんて謙虚なんだろう。
僕なんか、単身赴任から戻ってきて、自分の荷物を収納する場所を確保するだけで一苦労だったのに。
妻に「もうちょっとコンパクトにできないの?
」と言われた時の、あの居心地の悪さ。
自分の存在を主張しすぎたか、と反省したものだ。
あのバニラのトラックを見ていると、僕の単身赴任時代の荷物も、もっと控えめにできたんじゃないか、なんて思えてくる。
あの派手なバニラのトラックだって、全国各地でそれぞれの役割を全うしているはずだ。
目立つことで、多くの人にサービスを知ってもらう。
それもまた、立派な戦略だ。
でも、京都では、その戦略をガラッと変える。
場所によって、見せ方を変える。
その柔軟さに感銘を受けたんだ。
自分を曲げないことも大事だけど、時には周りに合わせて変わることも必要だよな、と。
僕も、単身赴任中は、自分のペースで生きていた。
夜ご飯は適当に買ってきたり、作ったり。
洗濯も掃除も、自分の気が向いた時にまとめてやっていた。
でも、家族と暮らす今は、そうはいかない。
妻はいつもテキパキと家事をこなしている。
朝食の準備、娘の保育園の準備、洗濯物を干すタイミング。
僕がまだ寝ぼけている間に、もう何ステップも進んでいる。
僕はといえば、食後の食器をシンクに持っていくのが精一杯だったりする。
妻は、まるで京の町を走るバニラの軽トラのようだ。
自分のペースを保ちつつも、家族の生活リズムに合わせて、柔軟に動いている。
僕は、どちらかというと、全国を走り回る派手なバニラのトラック。
自分の主張を強く出しすぎて、周りが見えていない時がある。
例えば、休日の朝、僕が「今日はパンケーキが食べたい!
」と意気揚々に提案しても、妻は「冷蔵庫に昨日のお味噌汁があるから、和食にしようよ」と冷静に返す。
ああ、そうか、と。
冷蔵庫の食材を無駄にしないという、地味だけど大切な配慮。
僕も、もう少し「地味なバニラ」にならなければいけないのかもしれない。
家族という景観の中で、自分の存在を主張しすぎず、調和を保つ。
簡単なことじゃないけど、意識するだけでも違うだろう。
衣替えの時期って、体調を崩しやすいとよく聞く。
僕も、この春、なんだか身体がだるい日が続いている。
変化の時期だから、心も体も、知らず知らずのうちにエネルギーを使っているのかもしれない。
あの京都のバニラの軽トラは、多分、今日もひっそりと京の町を走っているんだろう。
派手さはないけれど、そこに確かに存在している。
そして、その地味さの中に、確固たる信念が宿っている。
僕も、家族という小さな社会の中で、そんな存在になれたらいいな、なんて思う。
派手に騒ぐだけが能じゃない。
時には静かに、でも確かに、そこにいる。
そんな40代の春も、悪くない。
家に帰って、妻に今日の夕飯は何にするか聞いてみよう。
もしかしたら、僕が気づかなかった「地味な配慮」が、そこにも隠されているのかもしれない。
そして、僕はきっと、その配慮に気づかずに、自分の食べたいものを主張してしまうのだろう。
どっちもどっち、か。
まあ、それもまた、僕らの日常だ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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