📝 この記事のポイント
- 久々に会った友人が激やせしていて、「大丈夫? 」と聞いたらダイエット成功とのことだった。
- 聞けば、結婚式に向けてストイックに糖質制限と筋トレを続けたらしい。
- 「あと半年でここまで変われるんだ」と感心しつつ、帰り道にスーパーの鮮魚コーナーで「本日限り! ブリの切り身半額! 」のポップを見て、迷わずカゴに入れた。
久々に会った友人が激やせしていて、「大丈夫?
」と聞いたらダイエット成功とのことだった。
聞けば、結婚式に向けてストイックに糖質制限と筋トレを続けたらしい。
「あと半年でここまで変われるんだ」と感心しつつ、帰り道にスーパーの鮮魚コーナーで「本日限り!
ブリの切り身半額!
」のポップを見て、迷わずカゴに入れた。
友人の成功話を聞いた直後だというのに、私の脳内はすでにブリ大根のことでいっぱいだった。
人は変われる、と言われても、食への執着だけは一向に変わらない。
そういえば、先日も彼と週末の過ごし方について話していた時のこと。
休日はいつも通り、近所の商店街をぶらついて、ちょっといいお惣菜を買って、カフェでコーヒーをテイクアウトして、家でゴロゴロする、というお決まりのパターンだった。
彼は「たまには映画でも観に行く?
」と提案してきた。
普段あまり映画館に行かない私たちにしては珍しい話だ。
彼はスマホで映画のラインナップを調べていた。
「えーと、なんか面白そうなのないかな」とブツブツ言いながらスクロールする彼の手元を覗き込むと、彼の指がぴたりと止まった。
「これ、見てみ。
東映の映画なんだけど、タイトルがすごいぞ」
画面には、明らかに時代錯誤なフォントで書かれたタイトルが映し出されていた。
『おっぱいスラッシュ!
〜戦国のバストウォーズ〜』
「え、何これ、絶対おもろいやんけ」と私が言うと、彼も「だろ?
もうタイトルだけで情報量がすごい」と笑った。
サブタイトルまでが攻めている。
戦国時代を舞台に、女性たちが胸を武器に戦う、という、あまりにも直球すぎる内容なのだろうと想像するだけで、もうダメだった。
声を出して笑った。
思わず予告編を検索してみると、意外なことに映像自体はかなり真面目に作られているようだった。
真剣な顔で胸を武器にする役者さんたちの姿が、さらに可笑しい。
きっと「ラストで意外としんみり」とか、そういう感動的な要素も無理やりねじ込んであるに違いない、と勝手に盛り上がった。
結局、その日は映画館には行かず、家でアマプラを観てしまったのだけれど、あのタイトルは二人の間でしばらく流行語になった。
「もう、今日の夕飯、おっぱいスラッシュだね!
」とか、意味不明な使い方をしてはゲラゲラ笑っていた。
そんな風に、私たちは日常の小さな可笑しみを拾い上げては、ささやかな笑いにして過ごしている。
大きな刺激を求めず、慣れ親しんだ場所で、慣れ親しんだリズムで過ごすのが心地いい。
それは買い物にも現れる。
私は昔から、衝動買いをしては後悔するというパターンを繰り返している。
特に雑貨屋と本屋には弱くて、目についた可愛いものや装丁が素敵な本は、熟考することなくレジに持っていく。
最近の失敗は、商店街の端っこにある、ちょっとレトロな文房具屋さんで見つけた「地球儀型鉛筆削り」だ。
手のひらサイズの可愛らしい地球儀で、赤道部分がギザギザになっていて、そこを回すと鉛筆が削れる仕組み。
一目見た瞬間に「これは買うしかない!
」と脳内麻薬がドバドバ出て、気づけば800円を支払っていた。
家に帰ってきて、いざ使おうと鉛筆を差し込んだら、これがなかなか削れない。
ゴリゴリと地球儀を回すものの、鉛筆の芯だけが折れて、削りカスが詰まるばかり。
結局、使い慣れた電動鉛筆削りで事なきを得た。
彼はそれを見て「なんでそんな変なもの買うんだよ」と呆れていたけれど、私は「だって可愛かったんだもん!
」と開き直った。
その地球儀型鉛筆削りは、今、私のデスクの端っこで、ただの置物と化している。
書類の重しにもならないし、オブジェとしての存在感も薄い。
それでも、捨てるに捨てられない。
たまに埃を払って、なんとなく眺めていると、「あの時、なんでこんなものに800円も出したんだろう」という後悔と、「でも、ちょっとした冒険だったな」という変な満足感が入り混じる。
これと似たような経験は数えきれない。
例えば、三年前に買った、やたらと大きなパスタ皿。
直径30センチくらいあって、棚の奥にしまい込んでいたけれど、使うのは年に2回あるかないか。
それも、どう頑張っても食洗機に入らないから、手洗いする羽目になる。
それでも「いつか使うかも」という淡い期待を抱いて捨てられない。
あとは、フリマアプリで衝動買いした、彼のサイズには合わない古着のスウェット。
写真で見る限りは「絶対似合う!
」と確信したけれど、届いてみたら丈が短すぎて、まるで誰かの借り物みたいになってしまった。
彼は「部屋着にはなるかな」と、一度だけ袖を通したきり、タンスの肥やしになっている。
私が「ねえ、あれ着ないの?
」と聞くと、「いや、サイズがな……」とバツが悪そうに答える。
それもまた、捨てるに捨てられない一品だ。
たぶん、私たちは、合理性や効率だけでは割り切れない「何か」を求めているのかもしれない。
それが、ちょっとお下劣な映画のタイトルに惹かれる好奇心だったり、使いにくい地球儀型鉛筆削りの可愛さに負ける衝動だったりする。
無駄だと分かっていても、そこに心を惹かれる瞬間がある。
久々に会った友人は、明確な目標に向かってストイックに自分を変えていた。
それは素晴らしいことだし、尊敬する。
でも、私は私で、相変わらず週末には商店街の八百屋で「今日の特売品」に目を輝かせ、スーパーの半額シールに心を躍らせ、そして、使うかどうかも分からない変なものを買ってしまう。
「ねえ、今週末、何する?
」と彼が聞いてくる。
「うーん、商店街で新しいカフェでも探してみる?
」と私が答える。
「いいね。
途中で映画の予告編、スマホで見てみるか?
」
「『おっぱいスラッシュ』の続編とか出てないかな」
私たちはまた、そんな他愛もない会話をしながら、いつもの道を歩いていくのだろう。
結局、大きくは変わらない。
でも、それでいい。
変わらない日常の中に、ちょっとした可笑しみを見つけること。
それが、今の私にとっては一番の贅沢なのかもしれない。
そして、またどこかで、使い道のない何かを衝動的に買ってしまうのだろう。
たぶん、それは地球儀型鉛筆削りのように、私のデスクの片隅で、静かに、でも確かに、存在感を放ち続けることになる。
そんなものたちに囲まれて、私たちは今日も暮らしていく。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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