📝 この記事のポイント
- 僕の足元から蒸発した靴下たちは、さながら現代社会における未解決事件ファイル、いや、単なる僕のズボラさの証拠品といったところだろうか。
- 「またやっちまったな、お父さん」 小二の長男が、僕の足元に転がった無残な片割れを指差し、得意げに宣う。
- 君はただ、僕の失敗を日々観察し、それを成長の糧にしているだけだ。
洗濯物を干していたら、靴下の片方がない。
これで今月3枚目である。
一体どこへ消えるんだ、お前たちは。
僕の足元から蒸発した靴下たちは、さながら現代社会における未解決事件ファイル、いや、単なる僕のズボラさの証拠品といったところだろうか。
「またやっちまったな、お父さん」
小二の長男が、僕の足元に転がった無残な片割れを指差し、得意げに宣う。
君は探偵か、名探偵コナンか。
いや、違う。
君はただ、僕の失敗を日々観察し、それを成長の糧にしているだけだ。
僕の失敗は君たちの成長の肥料。
そう考えると、少しは報われる気がしないでもない。
いや、全然しない。
僕はただ、左右が揃った靴下を履いて、しゃきっと一日を始めたいだけなのだ。
「いいんだよ、パパ。
きっと洗濯機が食べちゃったんだよ」
年長の次男が、純粋無垢な瞳で僕を見上げる。
洗濯機は食人鬼か。
いや、違う。
僕が洗濯ネットに入れるのを忘れて、洗濯機の中で片方だけが他の洗濯物に紛れて、最終的に行方不明になるパターンがほとんどだ。
きっと洗濯槽の奥底、普段見えないゴムパッキンの隙間なんかに、僕の靴下たちの亡骸が眠っているに違いない。
年に一度、洗濯槽クリーナーを投入するたびに、「ああ、この奥にやつらが…」と、得体の知れない共犯意識に苛まれる。
まるで密室殺人事件の容疑者だ。
僕が。
そんな、朝からちょっとした敗北感を抱えつつ、その日は祝日にもかかわらず、僕は会社へ向かうことになっていた。
急ぎの案件が飛び込んできて、どうしても今日中に片付けなければならない。
妻には「ごめん、せっかくの休みだけど」と恐縮しつつ、「大丈夫だよ、子どもたちとゆっくりするから」とあっさりした返事をもらった。
あっさりしすぎて、若干の寂しさを覚えたのは内緒だ。
いや、別に、僕がいなくても家族は平和に過ごせるという、ごく当たり前の事実に直面しただけだ。
それはそれで、僕が家族の重荷になっていない証拠でもあり、むしろ喜ぶべきことなのだろう。
だが、男とは面倒な生き物で、時に「俺がいなきゃダメなんだ!
」という妄想を抱きたがる。
そんな妄想が、朝の靴下紛失事件と相まって、僕の心は軽く曇っていた。
高速道路に乗ると、いつもなら通勤時間帯の殺人的な渋滞に巻き込まれる時間のはずが、今日はやけに道が空いている。
祝日だ。
皆、家族と、恋人と、友人と、思い思いの休日を過ごしているのだろう。
車窓を流れる景色は、平日と何ら変わりないのに、空気だけが違う。
信号待ちで隣に並んだ車の運転手も、心なしか表情が穏やかに見える。
僕だけが、この平穏な流れに逆行しているような、そんな疎外感。
「うわあ、すっごく空いてるじゃん!
」
思わず声に出してしまった。
普段なら片道一時間半かかるところが、今日は四十分で着きそうだ。
これはラッキーなのか、アンラッキーなのか。
複雑な感情が僕の胸中で渦巻く。
いつもなら、渋滞のイライラで眉間に皺を寄せ、ハンドルを握る手に無駄な力を込めているところだが、今日は違う。
まるで遊園地の乗り物に乗っているかのように、スムーズな運転。
いや、遊園地の乗り物ほど楽しくはないが、それでも普段の地獄絵図に比べれば、天国のような道のりだ。
ラジオから流れてくるのは、普段はあまり聞かない、穏やかなトーク番組。
パーソナリティが、祝日の過ごし方についてリスナーからのメッセージを紹介している。
「今日は家族でピクニックに来ています」「朝からお菓子作りをしています」など、幸せそうなメッセージの数々。
僕はといえば、オフィスで書類と格闘する予定だ。
まあ、それも人生だ。
そんな折、いつものようにスマホを固定しているホルダーに挟んであった漫画雑誌の切り抜きが、目に入った。
妻が僕のために、通勤中の暇つぶしにと、毎週切り抜いてくれるショート漫画だ。
パラパラとページをめくる。
今日の漫画は、タイトルが「うれしいな うれしいな」。
絵柄はシンプルで、ゆるいタッチのキャラクターが主人公だ。
漫画の主人公は、まさに僕と同じような状況のサラリーマン。
祝日出勤で会社に向かう道中、いつもは渋滞する高速道路がガラガラで、「うわー、空いてる!
ラッキー!
」と喜んでいる。
普段の通勤時間よりも大幅に早く会社に着き、早く仕事を終えられそうだと、浮かれている。
しかし、オフィスに着いて、誰もいない薄暗い空間に一人ポツンと座り、カチャカチャとキーボードを叩いているうちに、ふと気づく。
「あれ…?
なんでこんなに道が空いてたんだっけ…?
」
主人公の顔から、さっきまでの喜びが消え、呆然とした表情に変わる。
そして、次のコマでは、高速道路が空いていた理由が、他の誰もが「祝日だから休んでいる」という、あまりにも当たり前の事実に気づいてしまい、一人涙を流している。
「うれしいな うれしいな…でも、なんでだろう…涙が止まらないや…」
という吹き出しが、僕の胸にグサッと刺さった。
まるで僕の心の声を代弁しているかのような、いや、僕の未来の姿を描いているかのような、そんな漫画だった。
「うっ…」
思わず、声にならない声が漏れた。
いや、泣いてなんかない。
ただ、目にゴミが入っただけだ。
いや、違う。
なんだか、こみ上げてくるものがある。
そう、これは、喜びと悲しみが混じり合った、複雑な感情の涙だ。
道が空いていて嬉しい。
早く会社に着けて嬉しい。
でも、それは、みんなが休んでいるからなんだ。
僕だけが、こうして一人、仕事に向かっているんだ。
その事実に、どうしようもなく、心が揺さぶられた。
まあ、自業自得である。
仕事があるのはありがたいことだ。
家族を養うため、子どもたちの笑顔を見るため、僕は今日も働くのだ。
だが、この漫画は、僕の心の奥底に眠っていた、ちょっとした寂しさ、ちょっとした羨望、そしてちょっとした自虐的な感情を、見事に抉り出してくれた。
「くそっ、この漫画、なんでこんなに僕の気持ちがわかるんだ…!
」
僕は、ハンドルを握りながら、心の中で叫んだ。
そして、もう一度、漫画の主人公の涙顔を見て、笑った。
いや、笑いながら、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、涙がにじんだような気がした。
会社に着くと、予想通り、オフィスは閑散としていた。
当然だ。
祝日なのだから。
でも、その静けさが、かえって集中力を高めてくれる。
いつもなら、同僚たちの話し声や電話の音で、なかなか集中できないこともあるが、今日は違う。
まるで、僕のためだけに用意されたプライベートオフィスだ。
「よし、この分だと、お昼前には片付くぞ」
僕は気合を入れ直し、キーボードを叩き始めた。
カチャカチャ、カチャカチャ。
規則正しいタイピングの音が、静かなオフィスに響き渡る。
まるで、僕の鼓動のようだ。
いや、そこまで大層なものではない。
ただの仕事の音だ。
集中して作業を進め、気がつけば、あっという間にお昼の時間になった。
予定通り、仕事は片付いた。
なんて効率的。
普段の三分の二くらいの時間で、今日のミッションをクリアした。
「ふう…」
大きく息を吐き、僕は達成感に包まれた。
これで、午後はゆっくりできる。
家族の元へ、少しでも早く帰ることができる。
そう思うと、朝の靴下紛失事件も、祝日出勤の憂鬱も、高速道路での涙も、すべてが小さなことのように思えた。
会社を出て、再び高速道路に乗る。
今度は、来た時よりもさらに道が空いていた。
皆、行楽地から帰り始めるにはまだ早い時間なのだろう。
僕は、まるで貸し切り状態の高速道路を、鼻歌交じりに運転した。
「うーん、やっぱ空いてる道は最高だね!
」
今度は、何の迷いもなく、心の底からそう思えた。
朝の涙はどこへやら。
人間の感情とは、かくも移ろいやすいものなのだ。
帰りの車中、妻からメッセージが届いた。
「今日の夕飯、何がいい?
子どもたちがパパの好きなものにしたいって」
そのメッセージを読んで、僕は一瞬、固まった。
僕の好きなもの。
いつもなら、家族が食べたいものに合わせてばかりいるから、いざ自分の好きなものとなると、何をリクエストすればいいのか、すぐに思いつかない。
「うーん…何がいいかなあ…」
考えながら運転していると、ふと、ある料理が頭に浮かんだ。
子どもたちが小さい頃、よく作ってあげた料理だ。
最近は、なかなか作ってあげる機会も減ってしまったけれど、きっと喜んでくれるはずだ。
家に帰り着くと、玄関から子どもたちの元気な声が聞こえてきた。
「パパー!
おかえりー!
」
二人が飛びついてくる。
僕は、二人の頭を撫でながら、心の中でつぶやいた。
「ただいま。
僕の靴下を探し出してくれてもいいんだよ?
」
もちろん、そんなことを口にするはずもなく、僕は笑顔で二人を抱きしめた。
夕食は、僕のリクエストでハンバーグになった。
子どもたちが小さい頃、僕がよく作ってあげていた、あの懐かしのハンバーグだ。
子どもたちは「わーい!
パパのハンバーグだ!
」と大喜び。
妻も「たまにはいいね」と微笑んでくれた。
食卓には、家族の笑顔が溢れていた。
ああ、これが僕の日常。
これがあるから、僕は頑張れるんだ。
祝日出勤も、靴下の片方がなくなるのも、高速道路で涙ぐむのも、すべては、この温かい食卓にたどり着くための、小さな道のりなのだ。
食後、子どもたちが寝静まった後、僕は妻に今日の漫画の話をした。
「あの漫画さあ、まさに僕のことだったんだよ。
祝日に一人で仕事に行って、道が空いてて喜んで、でも結局、みんなが休んでるからだって気づいて、一人で涙ぐむっていう…」
妻は、僕の話を聞きながら、くすくす笑っている。
「ふふ、パパらしいね」
「だろ?
まったく、人の心を見透かしたような漫画だよ」
「でも、ちゃんと早く帰ってきてくれたから、よしとしようか」
妻が僕の頭をポンと叩く。
その優しさに、僕はまた、ちょっとだけ涙ぐみそうになった。
いや、これは玉ねぎのせいだ。
さっきハンバーグを炒めた時の、残りの玉ねぎが目に染みただけだ。
そして僕は、心に誓うのだった。
明日こそは、靴下を洗濯ネットに入れるのを忘れないようにしよう。
そして、来週の妻が切り抜いてくれる漫画には、僕の未来が描かれていないことを、切に願うのだった。
まあ、たぶん無理だろうけど。
僕の人生は、いつも漫画のネタになりそうなことばかりだから。
明日は、どんな小さな発見と失敗が待っているのだろうか。
そんなことを考えながら、僕は家族の寝息を聞きつつ、眠りにつくのだった。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
📚 あわせて読みたい

