シリアルコードと見えないバイト、そして僕の献立の話

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📝 この記事のポイント

  • 朝、出勤前に冷蔵庫を開けたら、賞味期限切れの食材が4つも並んでいた。
  • ほうれん草の束、豆腐、鶏むね肉、それにいつかの日の夕飯に作ろうと意気込んで買った、ちょっといいソーセージ。
  • どれもこれも、あと一日早く開けていれば、と悔やまれるものばかりだ。

朝、出勤前に冷蔵庫を開けたら、賞味期限切れの食材が4つも並んでいた。

ほうれん草の束、豆腐、鶏むね肉、それにいつかの日の夕飯に作ろうと意気込んで買った、ちょっといいソーセージ。

どれもこれも、あと一日早く開けていれば、と悔やまれるものばかりだ。

独り暮らしの男の冷蔵庫なんて、えてしてこんなものかもしれないけれど、最近、料理にハマっている僕としては、これは結構な痛手だったりする。

特に鶏むね肉は、先日スーパーで特売だったからと、珍しく奮発して「ちょっと良いハーブソルト」まで買って、ヘルシーな献立を夢見ていたのに。

ああ、僕の食卓の未来が、たった数日の油断で闇に葬られてしまった。

僕の一日は、大体いつもこんな感じで始まる。

朝食はパンとコーヒー、それにヨーグルトと果物。

これはもう長年のルーティンで、特に変わり映えしない。

会社へは電車で向かう。

途中の駅で降りて、少し歩くのが日課だ。

その道すがら、街路樹の葉がわずかに色づいているのを見つけたり、どこかから漂ってくるパン屋さんの香りに誘われて、思わず足を止めて深呼吸したりする。

そんなささやかな発見が、僕の日常に小さなくすぐりをくれる。

会社での仕事は、まあ、それなりだ。

特に波風立つこともなく、淡々と過ぎていく。

定時で上がって、スーパーに寄って今日の夕飯の材料を物色する。

ここ最近の僕の生活のハイライトは、もっぱらこの「今日の献立」を考える時間に移りつつある。

きっかけは、去年の夏だったか。

友人の結婚式の二次会で、久しぶりに会った大学時代のサークルの先輩が、「最近、自炊に目覚めてさ。

これが結構楽しいんだよ」と、やたらと凝った料理の写真をスマホで見せてきた。

それが妙に格好良く見えて、僕も試しに、と。

最初は簡単なものから始めた。

パスタとか、生姜焼きとか。

でも、次第に色々なレシピを試すようになって、今では冷蔵庫の野菜室が寂しいと、なんだか落ち着かない体になってしまった。

週末には、ちょっと手間のかかる煮込み料理に挑戦したり、出汁から味噌汁を作ったり。

料理をしている間は、余計なことを考えずに済むし、何より、自分で作ったものを食べる満足感は、何物にも代えがたい。

だからこそ、冒頭の賞味期限切れ食材の山は、僕にとって小さくない自己嫌悪の種なのだ。

そんなある日のこと。

仕事帰りに、何ヶ月か前に予約していたアーティストのCDが発売日になっていたことを思い出した。

最近はサブスクばかりで、CDを買う機会もめっきり減ったけれど、このアーティストだけは特別だ。

初回限定盤には、ライブの先行抽選に応募できるシリアルコードが付いている。

これは、ファンとしては絶対に手に入れなければならないもの。

僕も例に漏れず、発売日当日にタワーレコードに駆け込み、無事に初回限定盤をゲットした。

鼻歌交じりで家に帰り、夕飯の準備もそこそこに、さっそくシリアルコードを入力しようと、CDの帯を破いた。

そこに印刷されていたのは、それはもう、長い、長い、長い文字列だった。

半角英数字と記号が入り混じった、30桁はあろうかというシリアルコード。

しかも、大文字と小文字が混在していて、パッと見では区別がつきにくい。

これを、たった数ミリ四方の帯に印刷された小さな文字で判読し、さらにPCのキーボードに打ち込む作業。

これが、想像を絶する困難なミッションだった。

僕の目は、最近老眼の気配が忍び寄ってきているせいか、小さな文字が霞んで見える。

さらに、キーボードを打つ指も、昔からブラインドタッチが苦手で、いちいちキーボードを見ては、指一本でポチポチと入力するタイプだ。

「G、あれ、これ大文字だっけ?小文字?」
「数字の『0』とアルファベットの『O』、どっちだ?」
「『l』(エル)と『1』(イチ)、もはや判別不能!」

悪戦苦闘すること、実に15分。

たった30桁のシリアルコードを入力するのに、こんなにも時間がかかるなんて。

しかも、途中で何度も入力ミスをしてしまい、そのたびに「入力情報に誤りがあります」という非情なメッセージが表示される。

そのたびに、僕は小さく「ううっ」と呻き声を上げながら、もう一度最初から入力し直す羽目になる。

その日の僕の夕飯は、いつもなら丁寧に作るところを、結局、レトルトカレーで済ませてしまった。

それくらい、このシリアルコード入力は、僕の精神と体力を削り取っていったのだ。

ふと、頭をよぎったのは、「これ、誰かに代わりにやってもらえないかな」という、なんとも怠惰な発想だった。

いや、怠惰というよりは、効率的というべきか。

こんな作業に自分の貴重な時間を費やすのは、あまりにももったいない。

僕には、献立を考えたり、新しいレシピに挑戦したり、もっと有意義な時間の使い道があるはずだ。

そこで、試しにスマホで、短期のバイト募集アプリを覗いてみた。

いわゆる「タイミー」のような、単発・短時間の仕事を募集するやつだ。

もちろん、冗談半分で。

検索窓に「シリアルコード入力」と打ち込んでみる。

すると、当然ながら、そんなピンポイントな仕事は見つからない。

当たり前だ。

でも、もしも僕が、このシリアルコード入力の仕事を募集するとしたら、どんな求人情報になるだろう?

そう想像してみたら、なんだか面白くなってきた。


【緊急募集!】シリアルコード入力スタッフ

■仕事内容:
CDの帯に記載されたシリアルコードを専用フォームに入力するだけの簡単作業です。
(※ライブチケットの先行抽選応募のため、迅速かつ正確な入力をお願いします。)

■給与:
1件につき500円

■勤務時間:
最短5分〜。あなたの都合の良い時間でOK!

■応募資格:
・スマホまたはPCをお持ちの方
・細かい文字の判読に自信のある方
・正確なタイピングができる方
・責任感を持って作業に取り組める方
・秘密厳守できる方

■こんな方歓迎!
・視力1.5以上の方
・ブラインドタッチが得意な方
・推し活経験者で、シリアルコード入力の重要性を理解している方

うん、これはなかなか良い求人だ。

給与は500円。

5分で終わるなら、時給換算で6000円。

悪くない。

いや、むしろ高すぎるか?

でも、あの苦痛を考えれば、500円くらいは払ってもいい。

いや、むしろ感謝したい。

しかし、こうして要件を並べていくうちに、あることに気づいてしまった。

「スマホまたはPCをお持ちの方」
「細かい文字の判読に自信のある方」
「正確なタイピングができる方」
「秘密厳守できる方」

これ、どう考えても、普通のバイトじゃない。

なんだか、裏の仕事というか、ちょっと怪しい雰囲気が漂っている。

特に「秘密厳守できる方」なんて書いたら、ますます怪しさが増すばかりだ。

求人情報として出すには、ちょっとハードルが高いかもしれない。

仮にこんな募集を出したとして、果たして応募者は現れるのだろうか。

むしろ、「この人、何してるんだろう?

」と訝しがられるのがオチだろう。

結局、僕のシリアルコード入力代行計画は、誰にも知られることなく、僕の頭の中で完結した。

そして、その後も僕は、来るべき次のライブのCDが発売されるたびに、あの小さな帯と格闘し続けている。

少しずつ、入力のスピードは上がってきている、ような気がする。

これも一種の修行なのだろうか。

そんな経験を経て、僕の日常ルーティンに、また一つ、新しい習慣が加わった。

スーパーで食材を買うときは、必ずその日のうちに使うものか、せいぜい翌日には使い切るものだけにする。

特に葉物野菜や豆腐、鶏肉といった足の速いものは、計画的に、そして少なめに。

以前は「特売だから」とまとめ買いをしては、結局使い切れずに捨ててしまうこともあったけれど、今は違う。

必要な分だけを買う。

そして、買ったその日のうちに、どんな料理にするかを具体的にイメージする。

この新しい習慣は、僕に思わぬ変化をもたらしてくれた。

冷蔵庫を開けても、賞味期限切れの食材に落胆することはほとんどなくなったし、その日の献立を考えるのが、以前にも増して楽しくなった。

時には、予定していた食材が売り切れていて、急遽違うメニューに変更することもあるけれど、それもまた、料理の醍醐味の一つだと感じるようになった。

まるで、シリアルコード入力で予測不能な記号に遭遇するように、料理もまた、その時々の状況に合わせて柔軟に対応する力が試される。

そして、もう一つ。

何かを入力する作業をするときは、必ず目を休ませてから取り組むようにしている。

目薬をさして、深呼吸。

そして、「よし、やるぞ!

」と気合を入れてから、キーボードに向かう。

あのシリアルコード入力の地獄を経験したおかげで、僕は少しだけ、小さなタスクに対する集中力と忍耐力を身につけたのかもしれない。

もちろん、いまだに「0」と「O」の区別には手こずるけれど、それでも、以前よりはスムーズに、そして穏やかな気持ちで取り組めている、ような気がする。

僕の生活は、相変わらず大きな変化はない。

朝、出勤前に冷蔵庫を開ける。

そこには、新鮮な食材たちが今日の出番を待っている。

会社に行き、仕事をする。

帰りにスーパーに寄って、今夜の献立を考える。

そして、時折訪れる、あの小さな帯との格闘。

一つ一つの小さな出来事が、僕の日常を彩り、少しずつ、僕自身を変えていく。

タイミーを雇う夢は、闇バイトの香りを帯びて消えてしまったけれど、その代わりに、僕は少しだけ、自分の手で生活を整えることの楽しさと、目の前の小さな困難に立ち向かう術を学んだのかもしれない。

今日もまた、僕は冷蔵庫の野菜室を覗き込みながら、今夜の夕食に思いを馳せるのだ。

さて、何を作ろうか。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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