ゲーセンの定義、もはや俺にはわからん

📝 この記事のポイント

  • 久しぶりに料理をしたら、塩と砂糖を間違えて悲惨な結果になった。
  • 正確には、鶏肉のソテーに使うはずだったハーブソルトと、ホットケーキに混ぜる予定だった砂糖を、調理中にうっかり取り違えたのだ。
  • 鶏肉は甘じょっぱく、ホットケーキはしょっぱ甘いという、なんとも言えない味のハーモニー。

久しぶりに料理をしたら、塩と砂糖を間違えて悲惨な結果になった。

正確には、鶏肉のソテーに使うはずだったハーブソルトと、ホットケーキに混ぜる予定だった砂糖を、調理中にうっかり取り違えたのだ。

鶏肉は甘じょっぱく、ホットケーキはしょっぱ甘いという、なんとも言えない味のハーモニー。

妻は一口食べて「あら、これはこれでいけるかも?

」と優しさの塊みたいなことを言ってくれたが、俺は自分の舌を信じて「無理」と即答した。

幼い息子は、一口食べさせたら眉間にシワを寄せて、そっと皿を押し返してきた。

正直すぎるリアクションに、思わず笑ってしまったけど、料理の腕は、妻任せにしておくと確実に鈍るなと痛感した。

そんな食卓の失敗談から数日後、週末に家族サービスと称して、ショッピングモールへ出かけた。

最近、息子が絵本のトーマスにハマり始めていて、何か関連グッズでもあればと売り場を物色するのが目的だ。

まあ、結局は大人の買い物に付き合わせた挙句、最後に甘いものでごまかすパターンに落ち着くのはお約束なんだけど。

そんな中、息子が目を輝かせたのが、ショッピングモールの片隅にあるゲームコーナーだった。

正確には、「ゲームコーナー」というよりは「クレーンゲーム専門店」と呼ぶべき場所だ。

いや、もはや「専門店」ですら生ぬるい。

そこは、クレーンゲームの森だった。

所狭しと並べられた筐体、筐体、筐体。

入り口から奥まで、視界を埋め尽くすアームと景品の洪水。

音ゲーも、格闘ゲームも、レースゲームも、メダルゲームも、シューティングゲームも、体感ゲームも、何一つとして存在しない。

あるのはただ、ひたすらに、クレーンゲームだけ。

「ゲーセンを名乗るな」

思わず口から漏れそうになった、心の叫びを寸前で飲み込んだ。

だって、息子がはしゃいでるんだから。

この子にとっては、ここが「ゲームセンター」なんだろう。

俺が子供の頃、お小遣いを握りしめて通ったあの「ゲームセンター」は、もっと混沌としていた。

煙草の匂いが染み付いた薄暗い空間で、ストリートファイターの筐体から「昇龍拳!

」という叫び声が聞こえ、横では太鼓の達人がドコドコと賑やかに鳴り響き、さらに奥ではUFOキャッチャーの「アームが下がります」という機械音が重なる。

そんなカオスな空間こそが、ゲームセンターの醍醐味だったはずだ。

あの多様な遊びが織りなすハーモニーこそが、ゲーセンの音楽だった。

それがどうだ、このクレーンゲーム専門店。

まるで、音楽フェスが、ひたすら同じアーティストの同じ曲を流し続けるだけのイベントになってしまったようなものじゃないか。

入場料を払って、同じ曲を延々と聴かされる。

俺は、そんなフェスには行きたくない。

息子が指差す先には、トーマスの小さなぬいぐるみが入ったクレーンゲームがあった。

一回200円。

高い。

いや、昔もクレーンゲームはそれなりに高かったかもしれないが、なんかこう、納得感が違う。

昔のクレーンゲームは、景品が明らかにチープだったり、妙なキッチュさがあったりして、「まあ、こんなもんだよな」という諦めが許された。

でも、今の景品は妙にクオリティが高い。

そこそこ有名どころのキャラクターグッズだったり、下手な雑貨屋より気の利いた小物だったり。

それがまた、消費者の射幸心を煽る。

息子にねだられ、渋々千円札を投入。

五回挑戦するも、まるで獲れる気配がない。

アームはフニャフニャだし、景品はゴム板にガッチリ固定されている。

こりゃダメだ。

俺は悟った。

これはゲームではなく、一種の募金活動だ。

しかも、景品がもらえるかもしれないという甘い誘惑つきの。

結局、息子には別の店でトーマスのミニカーを買い与え、その場を後にした。

あのクレーンゲーム専門店で感じたのは、一種の失望感だった。

多様性が失われ、一つのジャンルに特化しすぎた結果、何か大切なものが抜け落ちているような。

まるで、美味しいラーメン屋が、メニューをラーメン一本に絞ったはいいが、肝心のラーメンの味も普通で、実はサイドメニューの餃子やチャーハンこそが真骨頂だった、みたいな。

いや、例えがイマイチだな。

もっとこう、全体的なバランスが崩れている感じ。

そういえば、昔はまってたカードゲームの専門店も、最近は似たような傾向にある気がする。

昔は、数百円のパックを買って、ワクワクしながら開けるのが楽しかった。

狙いのカードが出なくても、友達と交換したり、デッキを組むのに使えそうなカードを見つけたり。

それが、最近のカードショップときたら、ショーケースに並んでいるのは、万単位の値札がついた高額カードばかり。

子供たちがパックを買いに来る横で、大人が「これ、今月で何万円値上がりしたんだよ」なんて話しているのを聞くと、なんだか複雑な気持ちになる。

もちろん、趣味の世界に熱心な大人がいるのは素晴らしいことだ。

けど、本来、子供たちが気軽に遊べるはずのカードゲームが、いつの間にか投機の対象になってしまっている。

あの、カードのイラストを眺めて、友だちと「このモンスター、かっこいいな!

」と無邪気に盛り上がっていた頃の楽しさは、どこへ行ってしまったのだろう。

まるで、昔は雑多な品揃えが魅力だった駄菓子屋が、いつの間にか高級輸入菓子専門店になってしまったような。

いや、これも違うな。

昔のゲーセンやカードショップは、もっと懐が深かったんだ。

腕自慢のゲーマーも、お小遣いの少ない子供も、同じ空間でそれぞれの楽しみを見つけられた。

その多様性こそが、あの場所の魅力だったんだよな。

家に戻って、妻に今日のゲーセンでの出来事を話した。

クレーンゲームのフニャフニャアームの恨み節から、高額カードショップへの愚痴まで。

すると妻が、「でも、その分、家に色々なゲームが揃ってるじゃない」と笑う。

ああ、そうか。

うちには、古いゲーム機から新しいボードゲームまで、それなりに遊び道具が揃っている。

息子も、クレーンゲームで獲れなかったトーマスより、家にある積み木やレゴブロックで遊ぶ方がよっぽど楽しそうだ。

もしかしたら、俺が求めている「多様性」は、もう外の世界にはあまり残っていないのかもしれない。

いや、正確には、それぞれの専門性が高まって、棲み分けが進んだ結果なんだろう。

ゲームセンターはクレーンゲームに特化し、カードショップは高額カードに特化する。

それはそれで、ニーズに応えているのかもしれない。

ただ、俺の記憶の中にある「ゲーセン」は、もっと雑多で、もっと懐が広かった。

そして、そこには、塩と砂糖を間違えたホットケーキのような、予想外の発見と、ちょっとした笑いがあったんだ。

結局、俺はあのクレーンゲーム専門店のことを、息子に「トーマスのぬいぐるみは、アームじゃなくて、お父さんが買うもんなんだよ」と、ちょっとした大人の知恵として語り聞かせることにした。

そういえば、最初に作った塩味のホットケーキも、意外と砂糖醤油をつけたら美味しかったりするのかもしれない。

料理と娯楽、どちらも、ちょっとした工夫と広い心で、意外な楽しさが見つかるものなのかもしれないな。

そう思いながら、また料理のレパートリーを増やすべく、レシピサイトを眺め始めた。

今度は、塩と砂糖を間違えないように、ちゃんと確認しながらね。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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