私のKing Gnuライブ、隣の熱唱さんが主役だった件

📝 この記事のポイント

  • 美容院で「いつも通りで」と言ったら、担当者が変わっていて微妙な仕上がりに。
  • 前回の担当者さんが産休に入ったとかで、新人さんだったのよね。
  • そりゃあ「いつも通り」って言っても、その人の「いつも通り」と私の「いつも通り」が一致するわけないか、と鏡の中のちょっとだけ重めの前髪を見ながら思った午前中。

美容院で「いつも通りで」と言ったら、担当者が変わっていて微妙な仕上がりに。

前回の担当者さんが産休に入ったとかで、新人さんだったのよね。

そりゃあ「いつも通り」って言っても、その人の「いつも通り」と私の「いつも通り」が一致するわけないか、と鏡の中のちょっとだけ重めの前髪を見ながら思った午前中。

まあ、慣れればいっか、と自分に言い聞かせたけど、なんかモヤモヤが残ったままだった。

この「いつも通り」が通じない感じ、最近よくあるんだよね。

それでね、先日、念願のKing Gnuのライブに行ってきたの。

娘が学校に行ってる間に、夫に半ば無理やり頼み込んで休みを取ってもらって、ひとり身軽に参戦。

もうね、チケットが取れただけでも奇跡だと思ってて、当日まで「本当に私が行くんだよね?

」って何度か確認しちゃったくらい。

会場に着いたら、グッズ売り場は長蛇の列だし、みんな気合入ってるし、私もその熱気に背中を押されるように、普段は絶対着ないようなロックTシャツ(もちろんライブ会場で買ったやつ)に着替えて、いざ入場。

席はアリーナの後ろの方だったけど、それでも大好きなKing Gnuを生で見られるんだから、もうそれだけで感動。

開演前からドキドキが止まらなくて、照明が落ちてメンバーが登場した瞬間なんて、心臓が口から飛び出るかと思った。

一曲目が始まって、常田さんのギターが唸り、井口さんの歌声が響き渡った瞬間、もう涙が止まらない!

って思った、その時だったんだよね。

隣の席から、私の感動を打ち消すかのように、いや、それ以上に熱い「熱唱」が聞こえてきたのは。

その女性、私よりちょっと年上かな?

ってくらいの、いかにも「ライブ慣れしてます!

」みたいな雰囲気の方だったんだけど、もうね、全曲よ。

全曲大声で熱唱。

しかも、ただ歌うだけじゃなくて、井口さんの声に負けじと、いや、むしろ井口さんを食っちゃうくらいの勢いで、歌詞の一言一句を正確に、そして感情を込めて歌い上げてるの。

いや、あなた、プロですか?

ってくらいの歌唱力。

もちろん、それは彼女にとっての「ライブの楽しみ方」なんだろうし、私だって小さい声で口ずさんだりするし、それ自体は全然いいと思うんだよね。

でもさ、もう、私には井口さんの声がほとんど聞こえないレベルなの。

彼女の歌声の方が、何なら私にとっては「生歌」状態。

最初は「うわ、すごい熱量だな」って感心してたんだけど、3曲目、4曲目と進むにつれて、だんだん私の心の中でモヤモヤが膨らんでいくわけ。

「え、私、King Gnuのライブ聴きに来たんだよね?

それとも隣の人のカラオケ大会?

」って。

せっかく高いお金払って、奇跡的に手に入れたチケットで来たのに、肝心のアーティストの声が、隣の人の声に掻き消されちゃうって、これってどうなの?

って。

耳を澄ませても、私の耳に届くのは、彼女の情熱的な歌声と、うっすら向こうの方で鳴ってるようなKing Gnuの音。

なんか、すごく損した気分になったんだよね。

もちろん、ライブは「みんなで盛り上がるもの」っていうのは重々承知してるし、私も手拍子したり、体揺らしたり、できる限りの盛り上がりを見せてたんだけど、まさかここまで隣の人の声が主役になるとは思わなかった。

これって、ライブ会場での「みんなのいつも通り」と「私のいつも通り」が、盛大にズレちゃってるパターン?

美容院の担当さん変更どころの騒ぎじゃない、って思ったよね。

こういうことって、ライブに限らず、日常のあちこちで遭遇するんだよね。

例えば、スーパーのレジ。

たまにいるじゃない?

店員さんがバーコードを読み込んでも、まだ前の商品の袋詰めを悠々と続けてて、次の人が並んでるのもお構いなし、みたいな人。

あれもきっと、その人の「いつも通り」なんだろうけど、私の「いつも通り」からすると、「いやいや、早くどいてくれよ!

」ってなるわけ。

私の後ろには、牛乳と卵を抱えたおばあちゃんが並んでるんだから、頼むからもう少しだけ、もうほんの少しだけでいいから、周りを気にしてくれないかな、って思う。

あと、電車の中とかもそう。

前に一度、通勤中に、ものすごく大きな声でスマホで話してるおじさんがいてさ。

もうね、車両中に響き渡る声量なの。

「いやー、昨日の件だけどさ、結局ああなってこうなって、そんで俺がこう言ってやったんだよ!

」って、まるで演説でもしてるかのように。

他の乗客もみんな顔を見合わせちゃってて、「これ、公開ラジオ番組かな?

」って錯覚するレベル。

もちろん、急ぎの用事とか、緊急の連絡とか、色々事情はあるのかもしれないけど、もう少しだけ、もうホントに少しだけでいいから、周りの耳のことも考えてくれないかな、って。

そういう場面に出くわすと、いつも思うんだよね。

みんな、自分が「いつも通り」だと思ってることでも、周りから見たら「え、それ、いつも通りじゃないから!

」って思われてることって、結構あるんじゃないかなって。

私も、娘の参観日で張り切りすぎて、先生の話の途中でついつい大きな声で娘を褒めすぎちゃったりとか、パートの休憩中に、同僚とのガールズトークが盛り上がりすぎて、ちょっと声が大きくなっちゃったりとか、絶対あるはずなんだ。

もちろん、悪気はないんだけどね。

でも、そういう些細な「いつも通り」のズレが、積み重なって、誰かのモヤモヤになってる可能性は否定できないわけで。

ライブの隣の熱唱さんも、レジで悠長な人も、電車で大声で話す人も、みんなきっと悪気はないんだ。

なんなら、ライブのお隣さんは、King Gnuへの愛が深すぎて、それが声量になって溢れちゃっただけかもしれないし。

そう考えると、なんだかちょっとだけ可愛らしく見えてくるから不思議だよね。

でも、やっぱり、私のKing Gnuのライブは、井口さんの声が聞きたかった!

って気持ちは変わらないけど。

結局、ライブは最後まで、お隣さんの歌声とKing Gnuの生演奏のハーモニー(?

)を堪能した私。

帰り道、娘に「ママ、King Gnuのライブどうだった?

」って聞かれたら、なんて答えようかな、って考えた。

きっと、「最高のライブだったよ!

でもね、ママの隣に、もう一人のボーカルがいたんだ」って答えるんだろうな。

そしたら、娘は目を丸くして「えー!

すごいね!

」って言うのかな。

今回のライブで学んだのは、自分の「いつも通り」が、必ずしも他人の「いつも通り」とは限らない、ってこと。

そして、自分の喜びや楽しみが、知らないうちに誰かのモヤモヤになってないか、ちょっとだけ気を配る心の余裕も大切だなってこと。

まあ、でも、次のライブに行く機会があったら、私も心の中で歌いまくって、ストレス発散させてもらおうかな。

もちろん、声は出さずに、ね。

だって、やっぱりKing Gnuの生歌を、ちゃんと聴きたいもん!

そういう私にとっての「いつも通り」は、ブレずに守っていきたい、と心に誓った、ちょっとだけ耳鳴りのする帰り道だった。

うん、やっぱり美容院の前髪、もう少し切ってもらえばよかったかな。

そんなことも、また次の機会に「いつも通りで」って言っちゃうんだろうけどね。

人間の性ってやつか。

はは。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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