大学の食堂でバイトする僕が、今日もまた夢を諦められない話

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📝 この記事のポイント

  • ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
  • 「パパ、これマジでヤバいって! 」「お前なぁ、そういう言葉遣いはやめろって言っただろ」「でもさぁ、これ、えっと、神ってるよね? 」って、中学生くらいの息子が目を輝かせてハンバーグを指差している。
  • 母親は「神ってるって死語じゃないの? 」と冷ややかに言い放ち、父親は苦笑い。

ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。

「パパ、これマジでヤバいって!

」「お前なぁ、そういう言葉遣いはやめろって言っただろ」「でもさぁ、これ、えっと、神ってるよね?

」って、中学生くらいの息子が目を輝かせてハンバーグを指差している。

母親は「神ってるって死語じゃないの?

」と冷ややかに言い放ち、父親は苦笑い。

あ、僕も今、隣の席で神ってる会話に遭遇しているかもしれない。

思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えながら、冷めきったグラタンをフォークでつつく。

実験の合間に駆け込んだ昼食だったけど、脳は完全に隣の家族劇場に占領されていた。

昔の僕は、こんな風に周囲を観察しているようで、実は自分の世界に閉じこもりがちだった。

高校生の頃、進路指導の先生に「君は何がしたいんだ?

」と聞かれても、「うーん、特に…」としか答えられなかった。

漠然と「何か面白いことができたらいいな」とは考えていたけれど、それが具体的に何を指すのか、さっぱりわからなかったのだ。

ただ、成績だけはそこそこ良かったから、周りからは「真面目な子」というレッテルを貼られていた。

「東大か京大に行けば、将来安泰だよ」と親にも言われ、特に反発することもなく、なんとなく大学に進学した。

あの頃は、将来のことなんて、雲の上の話だと思っていたし、そもそも「生活する」という実感すら薄かった。

欲しいものがあれば親にねだればいいし、困ったことがあれば誰かが助けてくれる、そんな呑気な考えだったんだよね。

大学に入ってからも、しばらくはその延長線上にいた。

サークル活動に明け暮れ、講義は最低限出席して単位を取る。

夏休みは海外旅行に行く友人の話を聞きながら、自分は家でごろごろして「ま、いっか」と開き直る。

研究室に入ってからは、実験という名の泥沼にハマり、寝食を忘れて没頭する日も増えた。

研究そのものは面白い。

新しい発見があったり、仮説が立証されたりすると、脳汁がドバドバ出るような快感がある。

将来は研究者になりたい、と本気で思うようになったのもこの頃だ。

でも、その「研究者」という職業が、一体どれくらいの給料で、どんな生活を送るのか、具体的なイメージは皆無だった。

奨学金だけでは全然足りないから、週に何回か大学の食堂でアルバイトをしている。

学食のBランチを運んだり、食器を洗ったりする単純作業だけど、これがなかなか楽しい。

意外と筋肉がつくし、厨房のおばちゃんたちの人生相談を聞くのも面白い。

食堂のバイトで得られる収入は、正直言って雀の涙だ。

時給1100円で週に3日、1日5時間働いたとして、月に6万6千円。

これに奨学金を足しても、家賃と食費、研究費、たまの飲み代でほぼ消えていく。

学食の賄いは助かるけれど、たまには外食だってしたいし、新しいスニーカーだって欲しい。

そんなある日、研究室の先輩と飲みに行った時、衝撃の事実を聞かされた。

「なあ、お前、バイトだけじゃやっていけなくないか?

」「まあ、ギリギリっすね…」僕が答えると、先輩はニヤリと笑って言った。

「俺さ、実は週末だけ、イベント会場の設営のバイトもしてるんだ」「え、そうなんすか?

」。

先輩は、僕よりずっと研究室にいる時間が長いのに、どうやってそんな時間を捻出しているのか不思議だった。

聞けば、そのバイトは日給制で、単発で高収入が得られるらしい。

他にも、ウェブサイトのテストを請け負ったり、友人の引っ越しを手伝ってお金をもらったりしている人もいるという。

みんな、それぞれの「隠れ副業」を持っているのだと知って、僕は目から鱗が落ちる思いだった。

「でも手取り15万では生活できません」という言葉が、まるで呪文のように頭の中で響き始めたのは、その頃からだ。

大学院を卒業して、研究職に就いたとしても、最初は決して高給取りではないと聞く。

もちろん、研究の面白さややりがいはお金には代えがたいけれど、かといって生活が成り立たないのでは話にならない。

今の僕の手取りが6万6千円で、それでもカツカツなのだから、将来15万円でどうやって暮らしていけばいいんだ、と真剣に考え始めた。

それで、僕も「何か別の収入源はないか?

」とアンテナを張り巡らせるようになった。

最初は、先輩に紹介してもらったイベント設営のバイトに応募してみた。

重い機材を運んだり、慣れない工具を使ったりして、全身が筋肉痛になったけれど、日当1万円は僕にとって大金だった。

そのお金で、ずっと欲しかったあの参考書と、ちょっと贅沢な回転寿司に行った。

昔の自分と今の自分を比べて、一番変わったことは、お金に対する意識かもしれない。

昔は漠然とした未来だったものが、今は少しずつ具体的な数字と結びつくようになった。

研究者としてのキャリアパスはもちろん重要だけど、それと同じくらい「どうやって食っていくか」という現実的な問いが、いつも頭の片隅にある。

学食のバイトも、単なるお小遣い稼ぎというよりは、生活を支える大切な柱の一つだと感じるようになった。

重い食器を運びながら、隣の席の学生たちの会話に耳を傾けたり、厨房のおばちゃんの世間話に相槌を打ったりする。

僕が運んだご飯を美味しそうに食べる学生たちを見ていると、なんだかちょっと嬉しい気持ちになる。

でも、変わらないこともたくさんある。

例えば、三日坊主の癖だ。

新しいことを始めようと意気込んでも、すぐに飽きてしまう。

前に「健康のために自炊をしよう!

」と決意して、スーパーで大量に食材を買い込んだのに、結局三日目の夜にはカップ麺を食べていた。

冷蔵庫の野菜たちは、無残にも腐ってしまい、罪悪感に苛まれたものだ。

筋トレもそうだ。

「今日こそは!

」とトレーニングウェアに着替えるところまでは順調なのに、いざ筋トレを始めると、すぐに疲れてYouTubeを見てしまう。

そして、気づけばベッドの上でスマホを眺めている、なんてこともしょっちゅうだ。

この「怠惰」と「習慣化の難しさ」は、僕の永遠の課題かもしれない。

副業を探す時も、ついつい単発で高収入が得られるものを選びがちで、継続的に何かを続けるということが苦手だ。

もちろん、研究も続けているし、学食のバイトも続けている。

でも、それは「やらざるを得ない」という義務感が強いからかもしれない。

もう少し、自分の意志で何かを習慣化できるようになりたい。

例えば、毎朝決まった時間に散歩するとか、英語の勉強を毎日30分続けるとか。

小さなことでもいいから、少しずつ積み重ねていくことの喜びを感じてみたいのだ。

最近、研究室で使っている古いパソコンが、いよいよ限界を迎えてきた。

何度もフリーズするし、起動するまでに5分以上かかる。

新しいパソコンは欲しいけれど、簡単に手が出せる値段ではない。

だから、僕はまた新しい単発の副業を探している。

今度はどんな「隠れ副業」に挑戦しようか。

日雇いの倉庫作業か、それともモニター調査か。

もしかしたら、僕が気づいていないだけで、世の中にはもっと面白い稼ぎ方があるのかもしれない。

そんなことを考えながら、今日も大学の食堂で、僕は食器を洗い続ける。

この先、研究者としてやっていけるのか、どんな未来が待っているのか、正直なところまだ全然わからない。

でも、少なくとも、目の前の「手取り15万では生活できない」という現実と向き合いながら、少しずつでも前に進んでいくしかない。

そして、いつかこの怠惰な僕でも、何かを「習慣化」できる日が来ることを、密かに期待しているのだ。

それはきっと、新しいパソコンを手に入れることよりも、もっと大きな達成感を与えてくれるに違いない。

たぶん、きっと。

いや、そうだといいな。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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