銀行ATMで焦り、AEDの点検でさらに焦る話

📝 この記事のポイント

  • 銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
  • 最近、こういうちょっとしたことで心臓がバクつく。
  • 単身赴任から帰ってきて、家族のいる生活に再適応しようとしているこの数ヶ月。

銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。

最近、こういうちょっとしたことで心臓がバクつく。

単身赴任から帰ってきて、家族のいる生活に再適応しようとしているこの数ヶ月。

街の音も、人の流れも、ちょっとずつ違うものに見える。

夏が終わり、朝晩の空気が急にひんやりしてきた。

朝、ベランダに出ると、洗濯物がパリッと乾いて気持ちいい。

でも、油断すると風邪をひきそうだ。

急な気温の変化に、体も心もついていくのが大変。

この時期は毎年、何を着たらいいのか分からなくなる。

薄手のカーディガンを羽織るか、それとも厚手のパーカーにするか。

毎日、小さなファッションショーが開催されている。

結局、いつも中途半端な格好で外出して、後悔するんだよね。

そんなある日、会社でのこと。

総務の若い子が、AEDの点検について困っていた。

「あの、リース会社から全然連絡が来ないんですよ。

もう点検時期を過ぎてて」
と、眉間にしわを寄せている。

ああ、AED。

うちの会社にもエントランスに設置してある。

ピカピカの赤い箱。

いざという時に、きっと誰かの命を救うんだろう。

でも、そのいざという時が来ない限り、誰も気にしないのが現実だ。

リース契約だから、点検も向こうがやってくれるはず。

そう思っていたのは僕だけじゃなかったらしい。

総務の子も、てっきりリース会社任せで大丈夫だと思っていたようだ。

「あれ?

リース契約って、そういうの全部込みじゃないの?

」と、僕は思わず口に出してしまった。

「私もそう思ってたんですけど、よくよく契約書見たら、『設置者が維持管理の責任を負う』って書いてあって…」
なんてこった。

僕もね、そういうの、結構あるんだよね。

例えば、コーヒーメーカー。

ずっと使ってたんだけど、最近なんだか味が薄い。

フィルターの交換時期もとっくに過ぎてる。

でも「もうすぐ新しいのに買い替えるし」なんて、見て見ぬふり。

結局、新しいのはまだ買えてないし、薄いコーヒーを飲み続けている。

あとは、玄関の電球。

切れてからもう2週間。

ちょっと暗いけど、まあいいか、と。

いつか夫が替えてくれるだろう、と妻は思っているかもしれない。

僕も、いつかやる、と思っている。

この「いつか」が、とんでもなく長いんだ。

「いつかやろう」は「たぶんやらない」の遠い親戚だ。

リース契約って、なんか丸投げで安心、みたいなイメージがあるよね。

高額なものを自社で買うより、月々の支払いで済むし、メンテナンスも任せられる。

だから、みんなリースを選ぶ。

でも、それが落とし穴だったりする。

契約書を隅々まで読むなんて、しないもんね。

ついつい、都合のいい解釈をしてしまう。

「設置者が維持管理の責任を負う」って、これ、結構重い言葉だ。

AEDは命に関わるものだから、特にね。

点検を怠って、いざという時に動かなかったらどうなるんだろう。

想像するだけで背筋が凍る。

僕も昔、似たような経験をしたことがある。

単身赴任中、住んでいたアパートの給湯器が壊れた。

リース契約だった。

すぐに連絡して、業者が来るのを待った。

でも、なかなか来ない。

冬場のシャワーは地獄だった。

「リース会社が手配するから大丈夫」って言われたのに、全然大丈夫じゃない。

結局、自分でリース会社に何回も電話して、ようやく来てもらった。

あの時も「任せきりじゃダメだな」って思ったんだ。

その時、思ったんだよね。

丸投げって、結局はどこかで誰かが面倒を見なきゃいけない。

その「誰か」が自分だったりする。

それにしても、総務の子は偉いな。

ちゃんと契約書を確認したんだ。

僕だったら、「もうちょっと待ってみようか」とか「催促の電話、もう一回してみる?

」とか、その場しのぎの提案しかできないかもしれない。

若い子の方が、よっぽどしっかりしてる。

僕は、会社の書類とか、読むのが本当に苦手なんだ。

契約書なんて、文字の羅列を見ただけで目が滑る。

だから、総務の子の行動力には頭が下がる。

単身赴任から帰ってきて、家族との生活にも「丸投げ」癖が染み付いている気がする。

食器洗い乾燥機を導入した時、「これで洗い物から解放される!

」と思った。

でも、食洗機に入れる前の予洗いは僕の担当。

それをサボると、妻から「あんたの予洗い、甘い!

」と雷が落ちる。

結局、手間はゼロにはならないんだよね。

子どもたちの宿題もそう。

担任の先生から「ご家庭でも、お子さんの学習状況を見てあげてください」と言われた。

でも、ついつい「塾に任せてるから大丈夫だろう」と思ってしまう。

塾も万能じゃないのにね。

なんだか、僕の「大丈夫だろう」は、いつも当てにならない。

秋風が窓から吹き込んでくる。

肌寒さとともに、少しだけ気分も沈みがちになる。

体調も崩しやすい時期だし、風邪をひかないように気をつけないと。

喉がイガイガすると、それだけで気分が滅入る。

妻は僕が帰任してきてから、僕が家事をするのを期待している部分と、これまで通りのペースでやらせてほしい部分と、微妙なバランスを取っているように見える。

僕も、どこまで手を出していいのか、まだ手探りだ。

「これは僕がやるべきことかな?

」「これは妻に任せておいた方がスムーズかな?


毎日が、小さな判断の連続だ。

AEDの点検の話は、僕の日常にも通じるものがある。

「これは専門家に任せるべきこと」と安易に決めつけて、自分の責任範囲を見誤ってしまうこと。

例えば、車の点検。

ディーラーに「お任せします」とだけ言って、内容をよく確認しない。

後で「あれ、こんな部品交換したっけ?

」なんてことになったりする。

水道のパッキン交換。

自分でやろうとして、結局水浸し。

プロを呼ぶ羽目になる。

これもまた、自己責任の範疇。

総務の子は、その後、リース会社に再度連絡し、それでも動かないので、AEDメーカーのサービス窓口に直接問い合わせたらしい。

そして、ようやく点検の手配がついたと報告してくれた。

「いやー、大変でしたよ。

でも、これで一安心です!

」と、ちょっと疲れた顔で笑っていた。

僕も自分の「丸投げ」癖を反省した。

結局、僕たちはどこかで誰かに「任せきり」にしたい生き物なのかもしれない。

それが楽だから。

時間も手間も省けるから。

でも、その裏には必ず「自己責任」という文字が隠されている。

「いざという時」に備えるのは、結局は自分自身だ。

AEDもそう。

コーヒーメーカーもそう。

玄関の電球もそう。

そして、家族との生活もそうなんだろう。

先日、僕も意を決して、切れた電球を買いに行った。

ホームセンターの電球売り場で、種類の多さに戸惑ったけど、なんとか合うものを見つけて帰ってきた。

取り付けて、スイッチを入れる。

パッと明るくなった玄関を見て、妻が「あら、替えてくれたの?

ありがとう」と笑った。

その瞬間、心が少しだけ軽くなった気がした。

小さなことだけど、自分でやったことで、ちょっとだけ自信がついた。

「誰かがやってくれるだろう」という期待は、自分で行動することで、もっと確かな喜びに変わるのかもしれない。

AEDの点検を頑張ってくれた総務の子を見て、そんなことを思った、秋の終わりだった。

僕も、この冬は、自分の「丸投げ」を少しずつ減らしていこう。

まずは、年末の大掃除からかな。

いや、もっと手近なところからだ。

今日こそ、コーヒーメーカーのフィルターを替える。

きっと。

たぶん。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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