📝 この記事のポイント
- ゴミ出しの日を間違えて、週末までゴミを抱えて暮らすことになった。
- 金曜日の朝、いつものように目覚ましが鳴る前に、飼い犬のポチが鼻を鳴らして私を起こす。
- 「早く散歩行こ! 」という無言の圧に負け、まだ薄暗い中、寝ぼけ眼で外に出る。
ゴミ出しの日を間違えて、週末までゴミを抱えて暮らすことになった。
金曜日の朝、いつものように目覚ましが鳴る前に、飼い犬のポチが鼻を鳴らして私を起こす。
「早く散歩行こ!
」という無言の圧に負け、まだ薄暗い中、寝ぼけ眼で外に出る。
その足で、まとめてあったゴミ袋をゴミステーションに置きに行った。
しかし、ふと見ると、他の家のゴミが一つもない。
あれ?
今日は燃えるゴミの日のはず……と、そこでようやく気がついた。
今日はまだ金曜日。
燃えるゴミは月曜と木曜だ。
私が間違えていたのは、一週間前の木曜日のゴミ出し、だった。
つまり、今日ゴミを出しても、来週の月曜日まで回収されない。
その間、私の部屋には、生ゴミやら何やらが詰まった大きな袋が二つも居座る羽目になる。
「ポチ、私、やっちゃったよ」
思わず口に出すと、ポチは首を傾げて、しっぽをぶんぶん振る。
まったく、君はいつでも平和でいいよね。
このゴミ袋を抱えて、もう一度家に戻る私の後ろ姿は、きっと哀愁が漂っていたに違いない。
言い訳をさせてもらうと、フリーランスになってからというもの、曜日の感覚がどうも曖昧になってしまって。
「今日は何曜日だっけ?
」なんて、しょっちゅうポチに問いかけている。
彼はいつも、尻尾を振るか、あくびをするかで答えてくれる。
役に立たないけど、可愛いから許す。
でも、いくらなんでも一週間間違えるなんて、我ながらどうかしている。
特にこの時期は、生ゴミの匂いが気になる。
夏野菜の皮とか、ポチが残した鶏肉の切れ端とか、想像するだけで鼻の奥がツンとする。
早くも部屋に充満し始めた気がして、私は慌ててゴミ袋をベランダの隅っこに追いやった。
週末までこのゴミと格闘するのか……。
いや、これはもう修行だ。
精神と時の部屋にいる悟空の気持ちで、この四日間を乗り切ろう。
そんなふうに、ゴミ問題というどうしようもない現実から目を背けたくて、私はふと、先日友人との間で盛り上がった話を思い出していた。
海外のニュースサイトを見ていたら、キルギスという中央アジアの国で、ある政治家が日本の石破元首相にそっくりだという記事があったらしい。
写真を見せてもらうと、確かに輪郭から目元、あの独特の佇まいまで、瓜二つと言ってもいいくらいのそっくりさんなのだ。
思わず「え、石破さん、キルギスにご兄弟がいたの?
」と声に出してしまったほど。
その話から、「日本人とキルギス人って、結構顔が似てる人がいるよね」という話題になった。
友人が言うには、「昔、歴史の授業で聞いたことがあるんだけど、『肉を食べたのがキルギス人で、魚を食べたのが日本人』っていう伝説があるらしいよ」と。
なんでも、遠い昔、同じ民族がアジア大陸を移動していく中で、内陸に残って肉食中心になったグループがキルギス人になり、海を目指して魚食中心になったグループが日本人になった、というような話らしい。
「へえ、それ面白いね!
」と私はすぐに食いついた。
だって、すごくロマンがあるじゃないか。
私たちのご先祖様が、遥か彼方の大陸を、肉を求めて、あるいは魚を求めて旅をしていたなんて。
なんだか壮大なロードムービーを観ているような気分になる。
ポチも、私と同じ民族の末裔なのだろうか。
彼は肉も魚も大好きだけど、私のおやつを狙う時は、とんでもない集中力を発揮するから、もしかしたら肉食系の血が濃いのかもしれない。
この「肉を食べたのがキルギス人、魚を食べたのが日本人」という伝説、実際にどれくらいの信憑性があるのかは知らない。
たぶん、歴史学的にはいろんな説があるんだろう。
でも、私たちは別に学術的な検証を求めているわけじゃない。
こういう、ちょっとファンタジックで、ロマンを感じさせる話が好きなのだ。
同じ顔の人が遠い国にいて、実は昔、一つの家族だったかもしれないなんて、想像するだけでワクワクする。
そういえば、私が子どもの頃、母方の祖母がよく言っていた。
「あんたの顔は、うちの先祖にそっくりだ」と。
祖母は、アルバムの中から、明治時代の古い写真を取り出してきては、「このおばあちゃんに、目元がよく似ている」だの、「このひいおじいちゃんの鼻筋が、あんたと同じだ」だの、あれこれと解説してくれたものだ。
正直、白黒のぼんやりした写真では、どれもこれも同じ顔に見えて、「はいはい」と適当に相槌を打っていたけれど。
でも、今になって思うと、あの祖母の言葉は、私の中に「自分は、この家族の歴史の上に立っているんだな」という感覚をそっと植え付けてくれた気がする。
遠い昔のキルギス人と日本人の話も、それと同じ感覚なのかもしれない。
私たちがどこから来て、何を食べ、どんな景色を見てきたのか。
そんなことを想像する時間が、日常のささやかな喜びだったりする。
ベランダに追いやったゴミ袋から、微かに何かの匂いが漂ってくるような気がして、私は思わず鼻をすすった。
いや、まだ大丈夫だ、気のせいだ。
きっとこれは、キルギスで肉を焼く香ばしい匂いに違いない、と現実逃避してみる。
ポチが私の足元にまとわりつき、「なんか美味しいものないの?
」とつぶらな瞳で見上げてくる。
ああ、君も肉食系の血が騒ぐのかい?
結局、ゴミ出しの失敗談から、遠い中央アジアの顔の話まで、私の思考はいつもあっちこっちに飛んでいく。
フリーランスの特権といえば特権だけど、こういうところが、仕事でもうっかりミスをする原因なんだろうな、と薄々自覚している。
でも、すぐに反省はするのだ。
次は絶対に間違えないぞ、と心に誓う。
まあ、たぶん無理だけど。
来週の木曜日には、また「あれ?
今日は何曜日だっけ?
」とポチに問いかけている自分が目に浮かぶ。
でも、それでいいのだ。
たとえゴミ出しを間違えても、ポチがいつもそばにいてくれるし、面白い話の種は尽きない。
キルギスの石破さんに似た政治家さんも、きっとどこかで、同じように日常の小さな失敗に苦笑いしているのかもしれない。
そう思うと、なんだか心強く感じるから不思議だ。
今夜は、ポチと一緒に、美味しい魚でも食べようかな。
それとも、やっぱり肉かな。
どちらにしても、ゴミの匂いは勘弁してほしいものだ。
週末まで、頑張ろう、私。
そして、ベランダのゴミ袋も。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

