郵便受けの山と、ライバー勧誘と、私の怠惰な日常

📝 この記事のポイント

  • 郵便受けに入っていたチラシの量が尋常じゃなくて、ゴミ袋が必要になった。
  • いつものことといえばいつものことなんだけど、今回はちょっと手ごわかった。
  • 厚手のフリーペーパー、飲食店のクーポン、不動産の広告。

郵便受けに入っていたチラシの量が尋常じゃなくて、ゴミ袋が必要になった。

いつものことといえばいつものことなんだけど、今回はちょっと手ごわかった。

厚手のフリーペーパー、飲食店のクーポン、不動産の広告。

そしてその中に、一枚だけ異彩を放つチラシが混じっていた。

「自宅でスマホ一つから始められる!

あなたも人気ライバーに!

高収入も夢じゃない!

」なんて、いかにも景気のいい言葉が並んでいる。

裏面にはキラキラした笑顔の女性の写真。

思わず「あらま」と声が出た。

ゴミ袋に押し込む直前、ふと手が止まった。

ライバー、ねぇ。

娘がよく言っている、動画を配信する人たちのことだろう。

正直、どういう仕組みで成り立っているのか、いまいちピンとこない。

娘に聞けば「ママにはわかんないよ」と一蹴されるのがオチだろうから、あえて聞かないでおく。

でも、このチラシは、なんだか妙に気になった。

普段なら即ポイなのに、なぜか今日は少しだけ、その言葉の裏側を覗いてみたい気分になったのだ。

昔の自分だったら、こういう新しいもの、面白そうなものには飛びついていたかもしれない。

いや、飛びつくというよりは、とりあえず試してみる、という感じだったかな。

高校を卒業して、短大に進んだ頃は、まさにそんな時代だった。

新しい情報誌が出ればすぐに買って、流行りのカフェに行ってみたり、ちょっと変わったアルバイトに応募してみたり。

バブルの残り香がまだそこかしこにあった頃で、世の中全体が「やってみよう!

」という空気で満ちていたような気がする。

当時、一度だけ、深夜のラジオ番組にハガキを送ったことがある。

お気に入りのパーソナリティが募集していた、ちょっとした体験談だった。

まさか読まれるわけがない、と思いながらも、何度も推敲して、可愛いイラストなんかも添えて。

数週間後、自分のハガキが読まれた時には、深夜に一人、布団の中で飛び上がって喜んだものだ。

パーソナリティが自分の文章を読んで笑ってくれたことが、本当に嬉しかった。

あの時の「何かを表現して、誰かに届いた」という感覚は、今でも鮮明に覚えている。

あれが、今でいう「バズる」とか「いいね」をもらう、みたいな感覚の、ごくごく原始的な形だったのかもしれない。

今の私は、パートでスーパーのレジ打ちをしている。

朝9時から夕方4時まで、バーコードをピッと読み込んで、お客さんの顔を見て「ありがとうございます」と言うのが仕事だ。

レジは、結構体力を使う。

常に立ちっぱなしだし、夕方のピーク時には、怒涛のようにお客さんが押し寄せる。

あの頃の「やってみよう!

」という意欲は、どこへ行ったんだろう。

週に5日、同じ時間に起きて、同じ服を着て、同じ道を歩いて、同じ仕事をする。

まるで砂漠を歩くラクダのように、黙々と日々のタスクをこなしている。

それでも、レジの仕事には、私なりの小さな喜びがある。

常連のおばあちゃんが「あんた、いつも元気でえらいね」と声をかけてくれたり、小さな子どもが私に向かって手を振ってくれたり。

ほんのささやかな交流だけど、それが一日のちょっとしたスパイスになる。

あとは、閉店間際、売れ残ったお惣菜が半額シールを貼られていくのを見るのも、密かな楽しみだったりする。

今日の夕飯はコレにしよう、なんて考えていると、なんだかちょっと得した気分になるのだ。

ライバーの話に戻るけど、あのチラシの「高収入も夢じゃない!

」という言葉は、私の心にはあまり響かなかった。

もちろん、お金は欲しい。

娘の学費だとか、老後の蓄えだとか、考えれば考えるほど足りないものばかりだ。

でも、簡単に手に入るお金ほど、裏があるような気がしてならない。

昔から、うまい話にはすぐ疑いの目を向ける性質で、それは今も変わっていない。

昔の私は、ハガキ一枚書くのだって、あれこれ悩んで、何度も書き直したものだ。

あの頃の情熱と努力が、ライバーという世界でどれだけ必要になるのか、想像すらできない。

きっと、もっと才能とか、魅力とか、瞬発力とか、そういうのが必要なんだろう。

私の持ち合わせているものといえば、せいぜい「レジ打ちがちょっと早い」とか「お釣りの計算が得意」とか、そんな地味なスキルばかりだ。

この数十年で、世の中は目まぐるしく変わった。

昔は、雑誌の占いコーナーを真剣に読んでいたのに、今はスマホで今日の運勢をさっと確認できる。

デパートの屋上遊園地が大好きだったのに、今はテーマパークが主流。

でも、変わらないものもたくさんある。

例えば、雨上がりのアスファルトの匂いとか、夕飯の味噌汁の湯気とか、娘が寝言で「ママ」とつぶやく声とか。

そういう、五感で感じる小さな幸せは、昔も今も、私の心を温めてくれる。

変わったことといえば、昔は「いつか自分も何か大きなことを成し遂げたい」なんて、漠然と考えていた時期もあったけれど、今はもうそういう野心はほとんどない。

目の前の小さな出来事に集中して、一日を無事に過ごせればそれでいい、という心境だ。

これは歳のせいなのか、それとも、人生の後半戦に突入して、肩の力が抜けた結果なのか。

きっと両方なのだろう。

ライバーのチラシを見て、ふと思ったのは、私には「続ける力」が圧倒的に足りない、ということだ。

いや、レジ打ちは続けているけれど、それは「生活のため」という強い動機があるからだ。

もし、誰かに見てもらうために、何かを毎日発信し続けるとしたら、きっと三日坊主で終わってしまうだろう。

日記だって、何度か挑戦したけれど、ノートの最初の数ページだけがびっしり埋まっていて、あとは真っ白、なんてことがしょっちゅうだった。

ウォーキングも、そうだ。

健康のため、と意気込んで、可愛いウォーキングシューズまで買ったのに、結局は週に一度、スーパーまでの道のりを少し遠回りするくらいが精一杯。

休日に「今日はちょっと遠くまで歩いてみようかな」と玄関まで出るものの、空を見上げて「あ、雲行き怪しいな」なんて言い訳を勝手に作り、結局ソファに逆戻り、なんてこともざらにある。

私のやる気は、まるで砂時計の砂のように、あっという間に下に落ちてしまうのだ。

「継続は力なり」なんて言葉があるけれど、私にとっての「継続」は、「怠惰の継続」のような気がする。

一度ダラダラし始めると、もう止まらない。

温かいお茶を淹れて、テレビを見ながらうたた寝。

気がつけば、夕飯の準備の時間になっていて、慌てて冷蔵庫の中を漁る。

そんな毎日が、なんだかんだ言って一番落ち着くのだから、困ったものだ。

ライバーのチラシに書かれていた「高収入」という言葉は、もしかしたら、そんな怠惰な私に、少しだけ刺激を与えようとしたのかもしれない。

でも、結局は、私の心をざわつかせることなく、ゴミ袋へと消えていった。

もし、あのチラシに「毎日同じ時間に、レジ打ちのコツを配信しませんか?

月収5万円アップ!

」なんて書いてあったら、少しは考えたかもしれないけれど、それもきっと、三日どころか一日で挫折するに違いない。

レジ打ちのコツなんて、誰が聞きたいんだろう。

結局、私の日常は、大きな変化もなく、小さな発見と小さな諦めの中で続いていく。

ライバーになることもなく、誰かに注目されることもなく、ただひっそりと、でも確かに、日々の暮らしを営んでいく。

それでいいのだ。

それが私なのだから。

ゴミ袋の口を縛って、玄関のドアを開ける。

生ゴミと、今日のチラシの山。

なんだか、私の人生みたいだ、なんて、ちょっと大げさなことを考えて、クスッと笑ってしまった。

明日の朝、ゴミ収集車が来るまで、このまま玄関に置いておこう。

そして、また新しい一日が始まるのだ。

きっと、明日も郵便受けには、たくさんのチラシが入っていることだろう。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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