📝 この記事のポイント
- これは、私の人生における「あるある」の最たるものだ。
- 入り口に「これだけ」と固く誓って足を踏み入れても、気づけばカゴの中は宝物で溢れている。
- 今日だって、欲しかったのはシンクの排水口ネット、たったそれだけだったはずなのに。
100円ショップで必要なもの1つだけ買うつもりが、15個持ってレジに並んだ。
これは、私の人生における「あるある」の最たるものだ。
あの店は人を惑わす魔力がある。
入り口に「これだけ」と固く誓って足を踏み入れても、気づけばカゴの中は宝物で溢れている。
今日だって、欲しかったのはシンクの排水口ネット、たったそれだけだったはずなのに。
気づけば、どこで使うか分からない謎の収納グッズが2つ、柄が妙に可愛いタオルが3枚、使わないと分かっているのに買ってしまったキーホルダー、そして何故か娘のお弁当箱用ピックセットがカゴの底に沈んでいた。
家に帰れば妻に「また増えてる」と呆れられ、義理の娘には「パパ、それいつ使うの?
」と純粋な眼差しで問われる。
その度に私は「いや、これはいつか使うんだ」と根拠のない自信を胸に反論するのだが、結局、棚の奥でホコリを被る未来が目に見えている。
しかし、それでも懲りないのが私という人間なのだ。
何故なら、あの店には「もしかしたら、これで私の生活は劇的に良くなるかもしれない」という、根拠のない希望が詰まっているからだ。
まあ、実際はさほど変わらないどころか、物が増えることで却って混沌とするのだが、その一瞬の夢を見させてくれる対価としては、100円は安すぎるくらいだ。
そんな日々のささやかな自己欺瞞を抱えながら、私は最近、職場での小さな悩みに頭を抱えている。
それは、水筒のお茶の味についてだ。
毎朝、家で淹れたほうじ茶を水筒に入れて持っていく。
香り高く、口当たりもまろやかで、午前中の仕事の合間の一服にぴったりなのだ。
ところが、ここ数日、どうも様子がおかしい。
午前中は普通なのだが、午後になって飲もうとすると、味が妙に薄いというか、水っぽくなっている。
そして、微かに変な匂いがする。
何というか、生温い鉄のような、あるいはほんのりカビのような、形容しがたい不快な風味なのだ。
最初は私の味覚が疲れているのかと思った。
いや、水筒の洗浄が甘いのか、と念入りに洗剤で洗い、熱湯消毒までしてみた。
しかし、状況は改善しない。
ある日、あまりに気になって、午後の休憩時間に水筒の中身をコップに出してみた。
すると、驚いた。
色が薄いのだ。
朝入れたばかりの、あの濃い琥珀色はどこへやら、まるで一度飲んだ後の出がらしのような、薄っすらと濁った茶色になっている。
そして、微かに不快な匂いがする。
これは、明らかに異常事態だ。
私の脳裏に様々な考察が駆け巡った。
まず考えられるのは、水筒の劣化だ。
もう五年以上使っているから、内側のコーティングが剥がれて、金属成分が溶け出しているのかもしれない。
そういえば、最近少し傷つきやすい気がしないでもない。
いや、でも、金属臭ならもっとはっきりした味がするはずだ。
次に思いついたのは、職場の給湯室の水の質だ。
もしかしたら、給湯器のフィルターが汚れていて、お茶が変質しているのかもしれない。
しかし、他の同僚は誰もそんなことを言わない。
皆、何の疑問も抱かずにお茶やコーヒーを淹れている。
まさか、これは、悪戯なのか?
そんな考えが頭をよぎった時、ゾッとした。
小学生のいたずらならまだしも、いい大人がそんなことをするだろうか。
しかし、世の中には奇妙な人間がいるものだ。
もしかしたら、私の水筒に何かを入れられているのかもしれない。
例えば、誰かが私の水筒を間違えて、自分の水筒と取り違え、中身を飲んでしまい、慌てて水を足して戻したとか。
あるいは、もっと悪意のある液体を混ぜられているとか。
想像が膨らむほど、背筋が寒くなる。
試しに、翌日は別の水筒を持っていった。
すると、その日は一日中、お茶の味に異変はなかった。
よし、やはり水筒が悪かったのだ、と胸をなで下ろしたのも束の間、数日後、同じ現象が再び起こった。
今度は、いつも使っている水筒とは別の、ほとんど使っていなかった新品同然のものだったのに。
これはもう、誰かが水筒の中身に何かをしている、としか考えられない。
私のデスクは、フロアの中央付近に位置している。
休憩時間や離席中に、誰かがこっそり近づいて水筒の蓋を開け、何かを投入しているのだろうか。
しかし、一体何を?
そして、何のために?
妻にこの話をすると、「あなた、考えすぎよ。
老化じゃないの?
」と一蹴された。
義理の娘は、「パパ、お茶じゃなくてジュースにしたら?
」と、斜め上の提案をしてきた。
家族は私の悩みに全く共感してくれない。
私は、密かに監視カメラを設置することを考えた。
しかし、さすがにそこまでするのは大げさすぎるだろう。
それに、もし犯人が見つかったとして、私は一体どうすればいいのか。
問いただして「何してるんですか!
」と詰め寄るのか。
いや、それはあまりにも大人げないし、職場の人間関係にヒビが入るのは避けたい。
そこで私は、ある実験を試みることにした。
水筒の蓋に、ごく小さなセロハンテープを貼るのだ。
蓋を開ければ、テープは必ず切れる。
これで、誰かが開けたかどうかは分かるはずだ。
結果は、毎日テープが切れていた。
つまり、私が席を外している間に、誰かが私の水筒の蓋を開けているのだ。
しかし、テープが切れていることを確認しても、犯人は特定できないし、何が入れられているのかも不明のままだ。
途方に暮れた私は、もう開き直ることにした。
味が変だと思ったら、飲まない。
それだけだ。
だが、それでは毎日せっかく淹れたお茶が無駄になる。
それは悔しい。
そこで、私はふと思いついた。
水筒を二つ持っていくのだ。
一つはいつものほうじ茶。
もう一つは、誰も入れ替えるとは思わないような、強烈な味の飲み物。
例えば、ブラックコーヒー。
あるいは、市販のスポーツドリンク。
数日後、私は二つの水筒を持って出勤した。
一つにはいつものほうじ茶。
もう一つには、ドリップパックで淹れた濃いブラックコーヒー。
コーヒーは、普段はあまり飲まないのだが、この際だ。
そして、午後。
ほうじ茶の水筒は、やはり色が薄くなり、妙な味がしていた。
しかし、ブラックコーヒーの水筒は、香りも味も変化なし。
当たり前だ。
これに何かを加えようものなら、すぐにバレるだろう。
犯人は、水筒の中身が「お茶」だから、入れ替えても分かりにくい、あるいは、飲んでもすぐに気づかないだろう、と考えているのかもしれない。
一体誰が、何のために、こんなことをしているのだろう。
まさか、私の水筒を自分の水筒と間違えて、中身を少し飲んでしまい、慌てて水を足して戻している、という可能性もゼロではない。
いや、むしろそれが一番平和な解決策だろう。
しかし、そんな平和な解決策ばかりではない。
もしかしたら、私が席を外している間に、誰かが私の水筒に、自分の残り物のお茶を「少しだけ」足しているのかもしれない。
いや、そんな奇特な人間がいるだろうか。
この水筒事件を巡る考察は、私の頭の中で堂々巡りを続けている。
結局、犯人も、目的も、入れられているものも、何も分かっていない。
ただ分かっているのは、私のほうじ茶が毎日、少しずつ変質しているという事実だけだ。
そして、この不可解な水筒事件と並行して、私の100円ショップでの衝動買い癖も相変わらず続いている。
先日も、また新しい水筒を買ってしまった。
これで我が家の水筒は、大小合わせて8本目だ。
なぜか、キャラクターものが増えている。
娘の趣味に寄せているのか、それとも私の無意識が幼い頃の夢を追っているのか。
結局、私は変わらない。
水筒のお茶の謎は深まるばかりなのに、私はまた新しい水筒を買い、そして使わない収納グッズを増やしていく。
でも、まあ、それでいいのだ。
人生とは、そういうものなのかもしれない。
解決できない謎を抱えながら、小さな衝動に突き動かされて、日々を重ねていく。
水筒の謎は謎のままで、私の棚の奥には、いつか使うかもしれない謎のグッズが増え続けていく。
それはそれで、私の日常にちょっとした彩りを与えてくれているのかもしれない。
少なくとも、あの100円ショップのキーホルダーは、娘がいたく気に入って、自分の筆箱につけている。
それを見るたびに、私は自分の衝動買いも、たまには役に立つものだ、と無理やり納得している。
そして、今日もまた、水筒にほうじ茶を淹れるのだ。
今日こそは、変な味になりませんように、と、ささやかな願いを込めて。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

