📝 この記事のポイント
- ネットで注文した服のサイズが合わなくて、返品の手続きが面倒で放置している。
- あの薄手のセーター、きっと来年の春までタンスの肥やしだろう。
- というか、その頃にはもう流行遅れで着られないかもしれない。
ネットで注文した服のサイズが合わなくて、返品の手続きが面倒で放置している。
あの薄手のセーター、きっと来年の春までタンスの肥やしだろう。
というか、その頃にはもう流行遅れで着られないかもしれない。
僕の人生って、いつもこんな感じだ。
ちょっとした手間を惜しんで、結局もっと大きな面倒を抱え込む。
元教員だった僕の過去を振り返ると、特に顕著で、あぁ、あの時もそうだったなぁ、と頭を抱えてしまう。
あれは、ちょうど僕が担任をしていた五年生のクラスに、いよいよ学校全体でタブレット端末が導入されることになった時のことだ。
今じゃ当たり前になりつつあるらしいけれど、僕が教壇に立っていた頃は、まさにその黎明期。
職員室では「時代だねぇ」「子どもたちはすぐ慣れるだろう」なんて声が飛び交っていたけれど、僕の心の中は「え、マジかよ」という絶望と、「これはきっと、とんでもないことになるぞ」という予感でいっぱいだった。
予感って、大抵当たるものだよね。
特に嫌な予感は。
まず、配布されたタブレット端末の初期設定。
これが地獄だった。
各教室にWi-Fiルーターが設置され、一人一台の端末にそれぞれパスワードを設定し、指定の学習アプリをインストールする。
説明書はA4で3枚。
僕は「ふむふむ、なるほど」と頷きながら読み始めたものの、3行目で早くも頭がパンクした。
「保護者アカウントと児童アカウントを紐付け…」いや、保護者って誰だよ。
子どもたちはまだ設定すらしてないのに、どうやって紐付けるんだ?
パソコンにそこまで明るくない僕は、その時点で完全に思考停止。
結局、休日の午後に、ITに強い同僚の先生を捕まえて、コーヒーとドーナツでご機嫌を取りながら、隣で丸一日かけて設定してもらった。
ドーナツ代800円。
これが僕の、デジタル化へのファーストステップだった。
しかも、その時設定したパスワード、翌週にはもう忘れてた。
人間って、本当に愚かだ。
そして、いよいよ授業での実践。
体育館で全校集会を開き、校長先生が「未来の学びが始まります!
」と高らかに宣言し、子どもたちにタブレットが配布された。
キラキラした子どもの瞳、それを横目に脂汗をかく僕。
初日の授業は、タブレットを使って理科の実験動画を見ることになっていた。
子どもたちは目を輝かせ、動画を再生。
ところが、教室のWi-Fiがパンクしたのか、一斉に動画を再生したせいで、画面はカクカク、音は途切れ途切れ。
しまいには「先生、フリーズしました!
」「これ、充電されてないよ!
」と、阿鼻叫喚の嵐だ。
僕は「落ち着いて!
」「バッテリーは大丈夫なはず!
」と叫びながら、たった一台の端末が固まっただけで冷や汗が吹き出た。
結局、その日の理科は急遽、紙の教科書と鉛筆を使った昔ながらの授業に変更。
子どもたちの「えーっ」という不満の声が、僕の心にグサグサと突き刺さった。
言い訳させてもらうと、僕は別にITが嫌いなわけじゃないんだ。
むしろ、新しいもの好きで、流行には敏感な方だと思う。
だって、今だって新しい家電が出れば欲しくなるし、便利グッズだってついつい買っちゃう。
ただ、なんというか、アナログからデジタルへの移行期に、現場で踏ん張っていた身としては、その「便利」の裏側に潜む「不便」や「リスク」を嫌というほど体験してきたんだよね。
あの、教室に響き渡る充電切れアラートの音とか、授業中に子どもが勝手にゲームを始めちゃって、こっそり没収したけど、次どうすればいいか分からなくて、とりあえず職員室の引き出しに隠したとか。
あれは今思い出しても胃がキリキリする。
でも、全部が全部、悪いことばかりだったわけじゃない。
もちろん、メリットもたくさんあった。
例えば、理科の授業で植物の成長を観察する時。
これまでは、毎日スケッチして、定規で測って、って地道な作業だったのが、タブレットで毎日同じ角度から写真を撮るだけで、タイムラプス動画が作れるようになったんだ。
最初は戸惑っていた子どもたちも、自分たちで撮った写真が、数秒の動画になって植物がニョキニョキ伸びていく様子を見た時は、本当に感動していた。
「先生!
葉っぱが動いてる!
」「これ、面白い!
」って、目をキラキラさせていたっけ。
あの時の純粋な驚きと感動は、紙の教科書だけではなかなか味わえないものだったと思う。
あと、これは個人的な話だけど、僕が一番助けられたのは、子どもたちとの個別指導の時だったかもしれない。
うちのクラスには、ちょっと読み書きに苦手意識を持っている子がいたんだけど、タブレットだと文字の大きさを自由に調整できるし、音声読み上げ機能も使える。
最初は抵抗があった子も、次第にタブレットを使った学習に慣れていって、自分のペースで文字を読み、分からない言葉はすぐに調べられるようになった。
結果、自信を持って授業に参加するようになってくれたんだ。
それまで、なかなか前に出られなかった子が、タブレット越しに発表してくれた時は、思わず目頭が熱くなったのを覚えている。
あれは、本当に嬉しかった。
週末、子どもたちと会う日。
小3の娘は、僕の古いタブレットを器用に操って、絵を描いたり、パズルゲームをしたりしている。
横目で見ていたら、僕が教えた覚えのない、アプリのショートカットキーなんかを使いこなしているから驚きだ。
聞けば、学校で習ったらしい。
「パパ、これ押すと絵が消えるんだよ!
」「え、マジかよ」僕が試そうとしたら、「だめだよパパ、これ取り消しボタン押さないと!
」と、なぜか僕の方が叱られてしまった。
子どもって、本当にすごい。
新しいツールへの適応力は、大人の比じゃない。
今はもう教壇には立っていないけれど、2030年にデジタル教科書が本格解禁されると聞くと、あの頃の冷や汗と、子どもたちの笑顔がセットで蘇ってくる。
きっと、また色々なトラブルが起きるんだろうな。
Wi-Fiが繋がらないとか、充電し忘れたとか、端末を落として画面を割ったとか。
想像するだけで、元教員の僕は胃がキリキリする。
でも、その一つ一つを乗り越えるたびに、子どもたちは新しい知識と向き合い、未来を切り開いていくんだろう。
僕もね、この返品手続きを放置しているセーターも、いつかちゃんと返品して、もうちょっとだけ、デジタルとの付き合い方を真面目に考えてみようと思うんだ。
いや、たぶん無理かな。
だって、来週の週末も子どもたちと会うし、その前にスーパーで特売の鶏肉を買いに行かなきゃいけないし、そもそも、返品の梱包材どこにやったっけ?
…あぁ、もう。
人生って、いつもこんな感じだ。
でも、それでいいんだ、きっと。
小さな失敗を笑い飛ばしながら、一歩ずつ進んでいくしかない。
そして、いつか本当に「未来の学び」が、僕の知らないところで、子どもたちの日常に当たり前のように溶け込んでいる。
そんな日が来ることを、ちょっとだけ期待しているんだ。
そして、その時、僕はきっと「昔は紙の教科書でさぁ…」なんて、古くさい話を子どもたちに聞かせているんだろうな。
その隣で、娘がタブレットで僕の似顔絵を描きながら、「パパ、また同じ話?
」なんて呆れた顔で言っている姿が、今から目に浮かぶようだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

