英国菓子に潜む鳥と、靴下片っぽ失踪事件簿

📝 この記事のポイント

  • 洗濯機の中か、ベランダから飛んでいったか。
  • どこかの平行世界に迷い込んで、私とは別の人生を歩んでいるのだろうか。
  • それならそれで、向こうで幸せになってくれ。

洗濯物を干していたら、靴下の片方がない。

これで今月3枚目である。

一体どこへ消えたのか。

洗濯機の中か、ベランダから飛んでいったか。

いや、後者は物理法則に反する。

そもそも靴下に翼はない。

どこかの平行世界に迷い込んで、私とは別の人生を歩んでいるのだろうか。

それならそれで、向こうで幸せになってくれ。

なんて、ちょっと格好つけてみても、結局残された片っぽが寂しげにカゴの隅で体育座りしている姿を見ると、いたたまれない気持ちになる。

この失踪事件は、我が家の「洗濯機は異世界への扉」説を補強する強力な証拠なのである。

妻からは「ちゃんとまとめて入れないからだよ」とごもっともな指摘を受ける。

いや、入れたはずなのだ。

ちゃんと、洗濯ネットに入れて。

しかし、そのネットの口が甘かったのかもしれない。

あるいは、洗濯槽という名のブラックホールが、密かに靴下だけを吸い込んでいる可能性もある。

我が家の猫、ミケがよく洗濯物の上で寝ているので、もしかしたらやつが毛玉と間違えてどこかに隠しているのかもしれない。

先日も、私の読みかけの本の上に堂々と座り込んで、ページを猫の毛だらけにしていた前科がある。

あのしれっとした顔を見ていると、何でもありそうな気がしてくるのだ。

そんなこんなで、またしても片っぽだけになった靴下を前に、私は途方に暮れていた。

こういう時、妻は「またなの?

もう、新しいの買いなさいよ」と呆れ顔で言うけれど、私としてはこの片っぽをどうにかして生かしてやりたい。

「いつか相棒が見つかるかもしれない」という淡い期待を抱きつつ、私は靴下カゴの奥底にそっとそれを押し込む。

そこには、すでに5枚ほどの「片っぽ組」が静かに眠っている。

彼らはいつか再会できると信じているのだろうか。

それとも、もう諦めて、独り身の自由を謳歌しているのだろうか。

想像すると、ちょっと切ないような、でもちょっと楽しそうな気もしてくる。

そんな感傷に浸りながら、コーヒーを淹れるためにキッチンへ向かうと、小学生の娘がテーブルで熱心に何かを描いている。

「パパ、これ見て!

」と差し出されたスケッチブックには、鳥の絵が何羽も描かれていた。

「これは?

」と聞くと、「ツイッターの鳥だよ!

ネットで見たの」と得意げに言う。

その鳥たちは、どれも同じような丸いフォルムで、少し上を向いている。

なるほど、確かに最近まであの青い鳥のアイコンだった鳥に似ている。

娘が言うには、公園で見たスズメがこの鳥にそっくりだったのだとか。

いや、スズメはもっとスマートで、首が短いぞ、と心の中でツッコミを入れる。

だが、子供の観察眼というのは、大人の凝り固まった視点では見えないものを見つけるものだ。

彼女の目には、日常に潜む「ツイッターの鳥」が、至る所にいるように見えているのかもしれない。

その日の午後、私は近所のスーパーへ買い物に出かけた。

妻に頼まれたのは、夕食の材料と、子供たちのおやつ。

おやつコーナーで、いつものようにイギリスのお菓子「ショートブレッド」を探す。

あのバターたっぷりの、ちょっと重たいけれど、素朴で優しい甘さがたまらない。

特に、動物の形をしたアニマルショートブレッドは、子供たちのお気に入りだ。

象やライオン、キリンといった動物たちの中に、たまに「これ、何の動物だろう?

」と首を傾げるような、よくわからない形のものも混ざっているのがまた楽しい。

手に取った箱を眺めていると、ふと、その中に見慣れた鳥の姿を見つけた。

それは、他の動物たちに紛れて、ひっそりと佇む一羽の鳥の形をしたショートブレッドだった。

その丸いボディと、ピンと伸びた尾っぽ、そして少し上を向いた顔。

どこかで見たような……いや、これは紛れもなく、娘が描いていた「ツイッターの鳥」ではないか!

「おいおい、まさかこんなところにも潜んでいたとはな」と、思わず独り言が漏れる。

まさか、イギリスの伝統的なお菓子の中に、あの青い鳥の祖先というか、原型というか、ともかく「それっぽい鳥」を見つけるとは。

しかも、このアニマルショートブレッドは、私が子供の頃からあったような気がする。

ということは、もしかしたらあの鳥のデザイナーは、このショートブレッドを見てインスピレーションを得たのか?

なんて、ちょっと大げさな想像をして、一人でニヤニヤしてしまった。

周りの買い物客から見たら、きっと変なおじさんだったに違いない。

急いで家に帰り、子供たちにそのショートブレッドを見せた。

「見てみろ、これ!

」と、鳥の形をしたクッキーを指差すと、娘は目を輝かせた。

「わあ!

本当だ!

ツイッターの鳥だ!

」と、興奮気味に叫ぶ。

息子も「ホントだ、ホントだ!

」と、目を丸くして頷いている。

私が発見したという手前、なんだか得意げな気分になった。

そこからが大変だった。

子供たちは「他にもいないかな?

」と、家中の鳥のモチーフを探し始めたのだ。

絵本の中の鳥、テレビのキャラクター、庭に来るスズメ、果ては私が着ていたパジャマの柄にまで、「これは?

」「あれは?

」と質問攻め。

「パパのTシャツの鳥さん、ちょっと違うね。もっと丸くないと」
「この絵本の鳥は、クチバシが長すぎる!」
「ミケちゃんが狙ってるスズメは、もっとちっちゃい!」

娘のこだわりは相当なものだった。

しまいには、庭の木に止まっている本物のスズメを指差して、「あれは、ツイッターの鳥の親戚かな?

」などと言い出す始末。

いや、スズメはスズメだよ。

でも、子供たちの目には、すべての鳥が「ツイッターの鳥」の仲間かどうかの判定対象になっているようだった。

そんな光景を見ていると、私はふと思った。

私も、日常の中で、もっと色々なものに気づくことができるのではないか、と。

例えば、あの行方不明の靴下。

もしかしたら、洗濯機の底に隠れて、私からの捜索願を待っているのかもしれない。

あるいは、庭の隅でひっそり咲いている名もなき花が、実はとんでもない希少種だったりするのかもしれない。

大人の私たちは、とかく効率や合理性を求めがちで、目の前にある「見慣れたもの」の中に潜む「非日常」を見過ごしていることが多いのではないだろうか。

次の日、私は改めて洗濯機をじっくりと観察してみた。

排水溝のネットを外し、洗濯槽のゴムパッキンをめくり、排水ホースの接続部まで。

普段は開けることのない部分を恐る恐る覗き込む。

埃と髪の毛の塊、そしてなぜかビー玉が一つ。

しかし、肝心の靴下の片方は見つからない。

妻からは「何してるの? 変なところで触らないで」と、またもや呆れ顔で声をかけられた。
「いや、靴下を探してるんだよ。きっとどこかに隠れてるはずだ」
「もう諦めて新しいの買いなさいって言ったでしょ」

確かに、その方が手っ取り早いし、合理的だ。

でも、私は諦めない。

この片っぽの靴下には、きっと何か意味があるはずなのだ。

例えば、私がもっと視野を広げ、細部に目を凝らすことの大切さを教えてくれているとか。

あるいは、失われたものの中にこそ、新しい発見があるという、壮大な人生の教訓を伝えているとか。

まあ、結局のところ、ただの靴下が行方不明になっただけなのだが。

でも、この探求の旅は、私にちょっとした楽しみと、子供たちとの会話のきっかけを与えてくれた。

次は、この片っぽの靴下を使って、何か新しい遊びでも考案してみようか。

例えば、靴下を操り人形にして、失踪劇を再現するとか。

まあ、妻と子供たちに「また変なこと考えてる」と冷たい視線を送られるのがオチだろうけれど。

でも、それでちょっと笑ってもらえたら、それはそれで悪くない。

失われた靴下は、私にとっての「ツイッターの鳥」探しなのである。

きっと、どこかの片隅で、私が見つけるのを待っているに違いない。

たぶん。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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