📝 この記事のポイント
- クリーニング店で預けた服を3ヶ月放置していたことに気づいた。
- 気づいた、というか、いつも通るクリーニング店の前で「あ、そういえば」と、まるで他人事のように思い出したのだ。
- 季節はもう初夏、預けたのは厚手のウールのコートと、夫の少々くたびれた礼服だったはず。
クリーニング店で預けた服を3ヶ月放置していたことに気づいた。
気づいた、というか、いつも通るクリーニング店の前で「あ、そういえば」と、まるで他人事のように思い出したのだ。
季節はもう初夏、預けたのは厚手のウールのコートと、夫の少々くたびれた礼服だったはず。
あの頃はまだ肌寒かったから、そろそろ引き取りに行こう、とメモに書いたような気もする。
いや、書いたかどうかすら曖昧だ。
こういうところだ、自分のダメなところは。
いつも「明日でいいか」が口癖になってしまって、気づけば時間の流れに乗り遅れている。
自宅から車で十分ほどのそのクリーニング店は、ご夫婦で営んでいる小さなお店だ。
いつも明るい奥さんがにこやかに迎えてくれる。
「あら、奥さん、お久しぶり。
ずいぶん長いことお預かりしてましたね」と、きっと笑顔の裏で「またか」と思われているに違いない。
年に数回、こうしてうっかり放置してしまうのは、もはや我が家の恒例行事のようなものだ。
一度、夫に「俺の礼服、いつまで冬眠させるつもりだ?
」と呆れられたことがある。
その時もきっと3ヶ月は過ぎていた。
まるで、約束という名の畑に種を蒔いたのに、収穫の時期を忘れて草ぼうぼうにしてしまうようなものだ。
私は昔から、約束事や時間の管理が苦手だった。
子供の頃、夏休みの宿題を最終日に泣きながらやったのは、いい思い出でも何でもない。
大人になってからもそれは変わらず、銀行の手続きはいつも期日ギリギリ、役所からの書類は封筒を開けるのが億劫で、何度か再送されてきたこともある。
夫はきっちりした性格だから、最初はよく衝突したものだが、最近では諦めと達観の境地に達しているようだ。
「まあ、それがお前だからな」と、笑って許してくれるようになった。
夫婦の年季とは、こういうものなのだろうか。
クリーニング店の奥さんに謝りながら、引き取り票を探した。
財布の中、バッグのポケット、玄関の棚、台所の引き出し。
結局、いつも通り、冷蔵庫にマグネットで貼り付けてあった。
本当に、学習能力がない。
奥さんは慣れた手つきでコートと礼服を出してくれた。
ビニールに包まれたそれは、預けた時よりもいくぶんか立派に見える。
まるで、私のいい加減さを責めているかのようだ。
会計を済ませて店を出ると、ちょうど小学校の下校時間で、ランドセルを背負った子供たちが元気よく通り過ぎていった。
その日の夕食時、いつものように畑で採れたての夏野菜を並べた食卓で、小学三年生の孫娘が、唐突に私に質問してきた。
「ねえ、おばあちゃん、『頭痛が痛い』って、日本語として変なんでしょ?
」
私は「あら、よく知ってるわね。
そうね、ちょっとおかしいわね」と答えた。
すると孫娘は、真剣な顔で続けるのだ。
「じゃあ、『食べ物を食べる』は、なんでいいの?
『食べる』って言ったら、もう食べ物ってわかるじゃん。
『食べる』って単語の中に『食べ物』の意味が入ってるのに、なんで『食べ物』ってまた言うの?
」
私は箸を持つ手が止まった。
うむ、確かに。
言われてみれば、その通りだ。
夫は横で「おお、鋭いな!
」と、からかうように笑っている。
私は口ごもりながら「ええとね、それはね…」と、しどろもどろになった。
孫娘のまっすぐな瞳が、答えを待っている。
普段、テレビで聞くニュースや、ご近所さんの噂話なら、いくらでもペラペラと喋れるのに、こういう純粋な疑問には、とんと弱い。
まるで、いつもの畑仕事で、雑草は抜けるのに、肝心な作物の正しい育て方を忘れてしまったような気分だ。
その夜、私は寝る前にこっそり夫に尋ねた。
「ねえ、あの『食べ物を食べる』の件、あなたならどう説明する?
」
夫は「ふん。
俺ならこう答えるな。
『頭痛で痛いなら通る』って」
私は「は?
」と、思わず変な声が出た。
「どういうこと?
」
「だから、頭痛で、痛いんだ、ってことだろ?
『頭痛が痛い』は、頭痛が主語で、痛いが述語。
頭痛そのものが痛い。
でも、『頭痛で痛い』なら、頭痛という原因で、痛いという状態になっている、ってことだろ。
これなら通じるんじゃないか?
文法的に、だ」
私はしばし呆然とした。
そんな解釈があったのか。
まるで、畑の石ころだと思っていたものが、実は貴重な鉱石だった、とでもいうような驚きだった。
夫は私の戸惑いを見て、満足げに笑った。
翌日、孫娘が遊びに来た時、私は夫の受け売りをしてみた。
「あのね、昨日の話だけど、『頭痛が痛い』は変だけど、『頭痛で痛い』なら通じるんだって。
頭痛っていうので、痛い状態になるってことらしいわよ」
孫娘はきょとんとした顔で、「ふうん」と、あまり興味がなさそうだった。
そしてすぐに、「ところで、おばあちゃん、この前約束したケーキ、いつ作ってくれるの?
」と、別件の約束を突きつけてきた。
私はまたしても「あ…」と固まった。
そうだった。
先週、「今度来た時に一緒に作ろうね」と約束したんだった。
約束をすっかり忘れている自分に、また自己嫌悪に陥る。
畑の作物が収穫期を迎えているのに、いまだに手付かずのまま放置されているような気分だ。
夫は私のダメっぷりを横目に、相変わらず黙々と新聞を読んでいる。
彼は約束を忘れる私に呆れているはずだが、同時に、孫娘との約束をちゃんと覚えている孫娘の記憶力に感心しているのかもしれない。
彼は昔から、一度決めたことは絶対に守るタイプだ。
それはまるで、毎日同じ時間に畑に出て、同じ畝に水をやり、同じように作物の成長を見守る、彼のルーティンのようだ。
その揺るぎない日常が、我が家の基盤を支えている。
私は「ごめんね、すっかり忘れてたわ!
今から作ろうか?
」と、慌ててエプロンを取りに走った。
孫娘は「やったー!
」と嬉しそうに私の後をついてくる。
一緒に台所に立ち、小麦粉を混ぜ、卵を割り、泡立て器を動かす。
孫娘は真剣な顔でレシピを見ながら、「次はこれだね!
」「もっと混ぜて!
」と指示を出す。
まるで小さな先生だ。
私はその横で、失敗しないように、約束を破らないように、と必死に手を動かした。
オーブンから甘い香りが漂ってくると、夫が新聞から顔を上げ、「おお、美味そうだな」と、少しだけ表情を緩めた。
焼きたてのケーキを三人で囲み、温かいお茶をすする。
この瞬間が、何よりも幸せだ。
約束を破ってしまうダメな私だけど、こうして美味しいものを一緒に食べる時間だけは、絶対に忘れたくないと心から思う。
「ねえ、おばあちゃん、『食べる』って言葉は、おいしいって意味も入ってるのかな?
」と、孫娘がまた不思議なことを言い出した。
私は「そうね、たぶんね」と、曖昧に答えた。
言葉の奥深さ、日本語の面白さ。
それはまるで、私が畑で毎年違う顔を見せる野菜たちを育てるように、日々変化し、発見があるものなのかもしれない。
そして、約束を忘れてしまう私の日常も、言葉の畑で迷子になりながら、少しずつ新しい芽を出すのかもしれないな、と、そんなことをぼんやり考えた。
クリーニングのコートも、ケーキの約束も、次に忘れるのはいつになるやら。
ああ、困ったもんだ、本当に。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

