📝 この記事のポイント
- 宅配便の再配達を3回も逃して、ついに営業所まで取りに行った。
- 午前中指定にしてたのに、うっかり寝過ごして、ピンポンの音で飛び起きた時には、もう玄関前に不在票が風に舞っていた。
- 仕方なく午後指定にしたら、今度は妻に「ちょっと買い物行ってくるから、あんた見ててよ」と言われて、ソファでうたた寝。
宅配便の再配達を3回も逃して、ついに営業所まで取りに行った。
午前中指定にしてたのに、うっかり寝過ごして、ピンポンの音で飛び起きた時には、もう玄関前に不在票が風に舞っていた。
仕方なく午後指定にしたら、今度は妻に「ちょっと買い物行ってくるから、あんた見ててよ」と言われて、ソファでうたた寝。
目覚めたらまた不在票。
もう、こうなったら意地だ。
最終的に、営業所まで車で15分、取りに行った方が早いと腹を括った。
担当のお兄さんの「いつもありがとうございます」という、ちょっと諦めと皮肉が混じったような笑顔が、妙に心に刺さったのは言うまでもない。
ああ、すまない、すまないね、お兄さん。
私も好きでこうしてるわけじゃないんだ。
ずっしりとした段ボールを助手席に載せて、営業所を出たのがちょうどお昼時。
昼飯どうしようか、と車を走らせていると、見慣れた公園のそばで、聞き慣れた甲高い声が聞こえてきた。
思わずハンドルを切って、公園の駐車場に滑り込ませる。
車を降りて、何気なく公園の方に目をやると、あちらこちらで子供たちが、それはもう無邪気に、全力を出し切る勢いで走り回っている。
ブランコは揺れ、砂場では小さな山が築かれ、滑り台からは歓声が上がっていた。
そんな中、ひときわ目を引いたのは、複数のグループに分かれて遊ぶ子供たちだった。
よく見ると、ひとつのグループが、どう見ても「ドラゴンボールごっこ」をしているではないか。
小学校低学年くらいだろうか、男の子が両手を前に突き出し、顔を真っ赤にして「かめはめ波ーっ!
」と叫ぶ。
それに向かって、別の男の子が「うわーっ!
」と大げさに吹き飛ばされるふりをして、芝生にバタリと倒れ込む。
その横では、女の子が「悟空、がんばれー!
」と応援している。
彼らの真剣な表情といったら、まるで地球の命運が彼らの「かめはめ波」にかかっているかのようだ。
思わず、口元が緩んでしまった。
40年以上経っても、公園の遊びの風景は変わっていないんだなあ。
僕が小学生だった頃、放課後の校庭や近所の空き地で、汗だくになりながら「かめはめ波」を撃ち合っていた光景が、まるで昨日のことのように蘇る。
あの頃はまだ、空き地が今よりずっとたくさんあって、コンクリートの塀に頭から突っ込むなんて日常茶飯事だった。
制服のズボンを破いて帰ると、母に「また!
」と怒られながらも、妙な達成感に浸っていたのを思い出す。
公園のベンチに腰を下ろして、もう少し観察することにした。
すると、驚くべきことに、その「ドラゴンボールごっこ」に、お父さんらしき大人の男性が参加しているグループを発見したのだ。
そのお父さん、まだ30代半ばくらいだろうか、子どもたちに負けじと「くっ、クリリン、やられたか!
」なんて言いながら、ちゃんと吹き飛ばされる演技をしている。
そして、子どもが「お父さん、次、お父さんの番だよ!
かめはめ波!
」と言うと、ニヤリと笑って「よし、いくぞ!
」と気合を入れる。
親子の共同作業で繰り出される「かめはめ波」は、単なる遊びを超えた、もはや一種のパフォーマンスだった。
お父さんは昔を思い出しながら、子どもは新しい遊びを創造しながら、それぞれが自分の「かめはめ波」を放っている。
その光景を見ていると、なんだか胸のあたりがじんわりと温かくなってきた。
うちの子どもたちが小さかった頃も、公園で泥だらけになって遊んだっけな、なんてことを思い出したりして。
あの頃はまだ、子どもたちを叱ることも多かったけれど、今となっては、もっと一緒に遊んであげればよかったな、なんて思う。
でも、独立して、夫婦二人の時間を楽しんでいる今も、それはそれで悪くない。
ねぇ、みんなもそうだよね?
ベンチに座って、そんなノスタルジーに浸っていると、急にお腹が空いてきた。
そうだ、昼ご飯だ。
営業所からの帰り道、すっかり忘れていた。
腕時計を見ると、もう午後1時を過ぎている。
最近、妻と二人で「お昼、何にする?
」と悩む時間が増えた。
子どもたちがいた頃は、冷蔵庫の残り物でチャチャっと済ませたり、休日は近所のラーメン屋に繰り出したりと、わりとメニューは決まっていた気がする。
でも今は、選択肢が多すぎて、かえって困る。
結局、いつもと同じパターンで、妻に「なんか食べたいものある?
」とLINEを送る。
「特にない」という返信に、「じゃあ、コンビニでなんか買って帰る?
」と提案。
「それでいいよ」と来たので、近くのコンビニエンスストアに車を滑り込ませた。
今日の気分は、ガッツリ系だ。
おにぎりコーナーで、ツナマヨと鮭を選び、レジ横のホットスナックから、揚げたてのフライドチキンを二つ。
さらに、カップ麺の棚で、新商品のとんこつラーメンをカゴに入れる。
ついでに、ブラックコーヒーと、デザートにプリンも。
もう、ほとんど衝動買いだ。
家に帰って、妻に「ごめん、またガッツリ系になっちゃった」と謝ると、「いいよ、お腹空いてたから」と笑ってくれた。
妻は、いつもなら健康志向で、お昼はサラダチキンと玄米パンとか、そんな感じなんだけど、今日は私の「かめはめ波」パワーに釣られたのか、フライドチキンを美味しそうに頬張っている。
二人でテーブルに向かい合って、コンビニ飯を広げる。
私は熱々のカップ麺をすすりながら、さっき公園で見た光景を妻に話して聞かせた。
「いやぁ、びっくりしたよ。
今どきの子供たちも、ちゃんと『かめはめ波』撃ってるんだぜ。
しかも、親御さんまで一緒にやっててさ。
あれ、絶対、昔自分もやってたやつだろ」
妻はフライドチキンをかじりながら、うんうん、と頷く。
「へえ、面白いね。
時代は変わっても、遊びって変わらないもんなんだね。
私なんて、昔はよくゴム跳びしてたけど、今の子もやってるのかな?
」
「どうだろうな。
でも、ゴム跳びはちょっと道具が必要だから、もしかしたら『かめはめ波』の方が手軽でいいのかもしれないな。
そんな他愛もない会話をしながら、私はコンビニのプリンをスプーンで掬う。
トロリとした甘さが口の中に広がり、なんだか至福だ。
子どもたちが独立して、夫婦二人の食卓は、以前よりも少し静かになったけれど、その分、こんな風に、今日の出来事をゆっくりと話したり、お互いの好きなものを気兼ねなく選んだりする時間が増えた。
それはそれで、悪くない。
むしろ、肩の力が抜けて、楽になった部分もある。
そして、ふと思った。
あの公園で「かめはめ波」を撃っていた子どもたちも、いつか大人になって、自分たちの子どもと一緒に、また公園で「かめはめ波」を撃つ日が来るのかもしれない。
そうやって、遊びの風景は形を変えながらも、ずっと続いていくのだろう。
それはまるで、私が今日もコンビニで、昔からある定番のおにぎりを選んでしまうのと同じくらい、ごく自然なことなのかもしれない。
食べ終わったカップ麺の容器を片付けながら、私はもう一度、営業所のお兄さんの笑顔を思い出した。
再配達を3回も逃した私と、40年以上も変わらない公園の遊び。
宅配便のシステムは日々進化しているのに、人間の根源的な遊びの欲求は、そう簡単には変わらない。
むしろ、新しいものを追いかけることに疲れたら、昔ながらの遊びに立ち返るのが、一番の癒しになるのかもしれない。
そんなことを考えながら、私はコーヒーを一口飲んだ。
少し苦いけれど、後味はどこか甘かった。
さて、午後は何をして過ごそうか。
また妻と二人で、のんびり考える時間だ。
それが、今の私たち夫婦にとっての、ささやかな「かめはめ波」なのかもしれない。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

