📝 この記事のポイント
- スーパーの3割引、魅惑のミイラ魚 公園のベンチで休憩していたら、鳩に囲まれてパニックになった。
- カバンから取り出したばかりのチョコクロワッサンを狙って、訓練された精鋭部隊のようにズンズン迫ってくる。
- 思わず「ひっ! 」と情けない声を上げ、慌ててクロワッサンをカバンに押し戻した。
スーパーの3割引、魅惑のミイラ魚
公園のベンチで休憩していたら、鳩に囲まれてパニックになった。
カバンから取り出したばかりのチョコクロワッサンを狙って、訓練された精鋭部隊のようにズンズン迫ってくる。
思わず「ひっ!
」と情けない声を上げ、慌ててクロワッサンをカバンに押し戻した。
都会の鳩は強い。
新社会人として働き始めて半年、やっと慣れてきたかと思いきや、まさか鳩にまで下に見られるとは。
一人暮らしを始めてからというもの、休日の過ごし方はもっぱら、最寄りの図書館とスーパーを梯子することになった。
実家暮らしの頃は、趣味といえば週末のカフェ巡りか、古着屋での掘り出し物探し。
それが今や、図書館で借りてきた分厚い本を読みながら、スーパーで買った半額のコーヒーゼリーをちびちび食べるのが至福の時間だ。
この落差。
社会人の先輩が「大人になると、いかに安く楽しく過ごすかが勝負になる」と言っていたけれど、まさかこんな形で身をもって知ることになるとは思わなかった。
図書館の企画展示コーナーで、ひときわ異彩を放つものが目に飛び込んできた。
「古代エジプトの食文化展」と銘打たれたその小さなブースには、本物の魚のミイラが展示されていた。
ガラスケースの向こうで、茶色く干からびた魚が横たわっている。
2000年以上も前のものだという。
説明書きには、当時の人々が供物として魚をミイラにしたと書いてあった。
へえ、そうなんだ。
古代の人も魚、食べてたんだ。
と、そこまではよかった。
問題は、そのミイラのビジュアルがあまりにも、あまりにも「干物」だったことだ。
頭から尻尾まで、完璧なまでに乾燥しきっていて、小骨の形までくっきりとわかる。
これはもう、干物だ。
正真正銘、天日干しを極めし干物。
脳裏に浮かんだのは、昔死ぬほどハマって読んでいたグルメ漫画のワンシーンだった。
ああ、あれだ。
『美味しんぼ』の山岡さんが「究極の干物」とか言って、このミイラ魚を引っ張り出してきそうな気がする。
海原雄山なら「フン、2000年前の魚なぞ、現代の養殖魚に劣るわ!
」とか言いそうだけど、山岡さんなら「いや、この魚にこそ、古代の叡智が凝縮されている!
」とか言って、なんかうまいこと料理しちゃいそうだ。
きっと、どこからか湧き出てきた漁師のおじいちゃんが「これは、古代の王様しか食べられなかった幻の魚じゃ!
」なんて語り出すに違いない。
そして、究極のメニューとか言って、このミイラ魚を丁寧に水で戻して、秘伝のタレに漬け込んで焼いてみたり、あるいは土鍋で出汁を取ってみたりするんだろう。
そう、この魚のミイラは、見れば見るほど「出汁」の顔をしている。
あの、昆布と鰹節をふんだんに使った、澄み切った黄金色の出汁。
そこに、この魚のミイラをポチャンと入れて、「古代のうま味が凝縮されたスープ」とか言い出すに違いない。
そこまで妄想して、私は思わずクスクス笑ってしまった。
隣で真剣な顔をして資料を読んでいるおじいさんの視線を感じて、ちょっと恥ずかしくなったけれど、まあいい。
しかし、2000年前のミイラ魚が出汁になる、なんて発想、我ながらちょっとどうかしているのかもしれない。
これも一人暮らしの弊害だろうか。
誰にも突っ込まれないから、思考がどんどん自由になっていく。
いいのか悪いのか。
でも、考えてみれば、食に対する探求心って、いつの時代も変わらないのかもしれない。
古代の人が魚をミイラにしたのは供物として、だけど、もしかしたら「これ、食べたらどうなるんだろう?
」っていう好奇心が、ほんの少しはあったんじゃないかな、なんて。
そんなわけないか。
グルメ漫画にハマったのは、高校生の頃だった。
ちょうど受験勉強の息抜きに、と借りてきた一冊をきっかけに、そこから怒涛の勢いで読み漁った。
当時はまだ実家暮らしで、母の作るごはんを何の疑いもなく食べていたけれど、漫画を読んでからというもの、急に「この食材の旬は?
」「この調理法で本当にいいのか?
」なんて、偉そうに口を挟むようになった。
母は呆れ顔だったけれど、たまに漫画に出てくるレシピを真似して作ってくれたりもした。
あの頃は、食へのこだわりが半端なかった。
スーパーで売っている「普通の」食材にすら、いちいち文句をつけていたような気がする。
今思えば、なんて傲慢だったんだろう。
新社会人になって、初めての一人暮らし。
実家を離れてみて初めて、料理の奥深さと、いかに母がすごい料理人だったかを思い知った。
最初は張り切って、週に3回は自炊するぞ!
と意気込んでいたけれど、現実はそんなに甘くない。
仕事で疲れて帰ってきて、洗い物をする気力もない。
気づけば冷蔵庫には、実家から送られてきたレトルトカレーと、賞味期限切れ間近の卵しかない、なんて日もザラだ。
結局、一人暮らしを始めて半年で、私の食へのこだわりは、すっかり「いかに楽に、それなりに美味しいものを食べるか」へと変化した。
スーパーの惣菜コーナーは私の味方だし、冷凍食品の進化には日々感動している。
むしろ、干物とか、手間のかかる料理は、もっぱら外食で済ませるもの、という認識になった。
でも、たまに、昔ハマっていたグルメ漫画を読み返すことがある。
特に、休日の昼下がり、図書館で借りてきた分厚い本を読みながら、ふと手が空いた時に。
すると、あの頃の情熱が、少しだけ蘇ってくる。
漫画の中の登場人物たちが、食材一つ一つに真剣に向き合い、最高の料理を追求する姿を見ていると、「ああ、私ももう少し、料理を頑張ってみようかな」なんて、ちょっとだけ思うのだ。
そして、その日の夕食は、普段はあまり買わないちょっといい鶏肉を買ってきて、丁寧に下処理をして焼いてみたりする。
結果はだいたい、焦がすか、味が薄いかのどっちかなんだけど、それでも「この肉は、この漫画に出てきたあの肉に似てる!
」とか、勝手に物語をつけたりする。
完璧な味じゃなくても、なんだか満たされた気持ちになるから不思議だ。
あのミイラ魚も、もしかしたら、古代の人々の食への情熱の証だったのかもしれない。
ただの供物ではなく、そこにはきっと、彼らの「究極のメニュー」があったんだ。
そう思うと、なんだか少し、その干からびた魚が愛おしく見えてきた。
いや、やっぱり食べないけどね。
2000年以上前の魚のミイラを、いくら山岡さんでも、さすがに食べさせないだろう。
たぶん。
でも、もし本当に食べられるのなら、ちょっとだけどんな味がするのか、興味はある。
それが、今私が持っている、最後のグルメ漫画魂なのかもしれない。
次スーパーに行ったら、ちょっと奮発して、いつもより良い干物でも買ってみようかな。
もちろん、2000年前じゃなくて、今日獲れたてのやつを。
そして、お醤油をちょっとだけ垂らして、熱々のご飯と一緒に食べるんだ。
それこそが、私の「究極のメニュー」なのかもしれない。
たぶん。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

