📝 この記事のポイント
- いや、いつものことだと認めるまでには、幾度となく同じ過ちを繰り返してきた。
- 今日欲しかったのは、妻に頼まれた、排水溝のゴミ受けネット。
- それだけだったはずなのに、なぜか両手いっぱいに抱えきれないほどの品々が、いつの間にかカゴの中に収まっていた。
100円ショップで必要なもの1つだけ買うつもりが、15個持ってレジに並んだ。
いつものことだ。
いや、いつものことだと認めるまでには、幾度となく同じ過ちを繰り返してきた。
今日欲しかったのは、妻に頼まれた、排水溝のゴミ受けネット。
それだけだったはずなのに、なぜか両手いっぱいに抱えきれないほどの品々が、いつの間にかカゴの中に収まっていた。
「いらっしゃいませー」と、パートのおばちゃんの声が、やけに遠く聞こえる。
カゴの中には、特に必要でもないのに「あったら便利かも」と脳内で囁かれた、透明なフック、謎の猫型スポンジ、見た目が可愛いだけの洗濯バサミ、妙に惹かれた竹製の菜箸が三組。
あと、義理の娘が喜びそうな蛍光色の付箋セット。
ああ、それから、いつか使うかもしれないと思って手に取った、小さくて薄いプラスチック製のヘラ。
何に使うのかは、未だにわからない。
結局、3000円近い会計になった。
必要なゴミ受けネットは110円。
残りの2890円は、未来の「あったら便利」への投資という名の衝動買いだ。
店を出て、袋の重みを両腕で感じながら、「またやってしまった」とため息をつく。
この「またやってしまった」という感覚も、もはや日常の一部と化している。
一種の様式美とでも言おうか。
まるで、定期的にお金を払って、自分の学習能力のなさを再確認する儀式のようだ。
家に帰り、妻が袋の中身を見るなり、「また大量に買ってきたの?
」と呆れた顔で言う。
悪びれることなく「いや、ほら、これとか、いつか使うと思って」とヘラを差し出すと、「それ、何に使うの?
」と返された。
私も答えられない。
娘は蛍光色の付箋を見つけて「わーい!
」と声を上げたので、まあ、これは無駄ではなかったと、わずかな救いを感じる。
この買い物癖は、もう何十年も続いている。
若い頃はもう少し慎重だったような気もするが、いつからかこの歯止めが利かなくなった。
一度だけ、本気で「もう無駄なものは買わない」と心に誓い、100円ショップの入り口で深呼吸し、買うものをメモしてから入店したことがあった。
結果は、やはりメモにないものまでカゴに入れてレジに並んでいた。
人間、そう簡単に変われないものらしい。
まるで、魔法のあるファンタジー世界で、いつまで経っても文明が中世レベルで停滞しているようなものだ。
どんな強力な魔法があっても、馬車と剣と石造りの城が延々と続くのは、どう考えても不自然だろう。
いや、私の買い物癖と一緒にしては、ファンタジーの世界に失礼かもしれない。
でも、似たような「変わらない」という奇妙な停滞感がある。
例えば、魔法があるなら、移動だって一瞬でできるはずだし、物を生成したり、修復したりも簡単にできるだろう。
病気だって治せる。
そうすれば、労働力が余り、余暇が生まれて、色々な研究や発明に時間が使えるはずだ。
鉄を精錬するのに何日もかかるなんてことにはならないだろうし、建築ももっと効率的になるはずだ。
なのに、多くの物語では、いつまで経っても文明レベルが上がらない。
まるで、魔法があること自体が、かえって変化を阻害しているかのように。
便利なものが手軽に手に入りすぎて、かえって新しいものを生み出す必要性が薄れている、ということだろうか。
私の買い物癖も、ある種の「魔法」に囚われているのかもしれない。
100円という手軽さが、まるで魔法のように私の財布の紐を緩め、思考停止を誘発する。
レジに並んで初めて「あれ、これ本当にいるか?
」と我に返るが、時すでに遅し。
会計を済ませてしまうと、もう後戻りはできない。
そして家に帰って、使わないヘラをキッチンの引き出しの奥にしまい込む。
数日後、買ってきた猫型スポンジで食器を洗っていたら、娘が「パパ、そのスポンジ可愛いね」と言った。
ちょっと得意げな気分になる。
洗濯バサミは、娘の幼稚園のタオルを干すのに使っている。
意外と丈夫で、風の強い日でも飛ばされない。
透明なフックは、結局、義理の娘の部屋の壁に貼られ、小さなぬいぐるみを吊るすのに役立っている。
あの竹製の菜箸は、先日、妻が炒め物をするのに使っていた。
「これ、使いやすいね」と言っていたので、これも無駄ではなかった。
結局、あの時「いらない」と思ったものの多くが、何かしらの形で我が家の日常に溶け込んでいる。
ヘラだけは未だに出番がないが、いつか奇跡的な用途が見つかるかもしれない。
油汚れを掻き出すとか、隙間に落とした物を拾うとか。
可能性はゼロではない、と信じたい。
こうして考えると、私の買い物癖も、あながち無駄ではないのかもしれない、という、やや強引な自己肯定に辿り着く。
ファンタジー世界がなぜ文明を発展させないのか、という疑問も、結局は、そこに生きる人々の「慣れ」や「現状維持」の心地よさにあるのかもしれない。
魔法という究極の便利さが、かえって変化への意欲を削いでいる、と。
いや、そんな大層な話ではないか。
ただ、私が100円ショップで、ついつい余計なものを買ってしまうだけだ。
そして、それを妻に呆れられ、娘に少しだけ褒められる。
そして、また次の週には、あの魅惑的な商品棚の前で立ち尽くし、「これ、ひょっとしたら必要かもしれない」と囁く心の声に耳を傾けている自分がいるだろう。
それでもいい。
それで、私の日常は少しだけ、彩り豊かになっているような気がするのだ。
今日も、排水溝のゴミ受けネットは、しっかりと機能している。
それが何よりだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

