冷蔵庫の幽霊と、広告の裏側で汗をかく人たち

📝 この記事のポイント

  • 朝、出勤前に冷蔵庫を開けたら、賞味期限切れの食材が4つも並んでいた。
  • 一番手前の卵パックは、もう二日も前に「要加熱」の表示を通り越し、「もはや食べるな」のオーラを放っている。
  • 奥には、先日スーパーの特売で勢いよく買った鶏むね肉と、使いかけの九条ねぎ。

朝、出勤前に冷蔵庫を開けたら、賞味期限切れの食材が4つも並んでいた。

一番手前の卵パックは、もう二日も前に「要加熱」の表示を通り越し、「もはや食べるな」のオーラを放っている。

奥には、先日スーパーの特売で勢いよく買った鶏むね肉と、使いかけの九条ねぎ。

そして、どこかで安くなっていたからと衝動買いした、見慣れない海外産のチーズ。

ああ、またやってしまった。

これだから独り身の料理は難しい。

一人分だとつい余らせてしまうし、賞味期限という名の「未来の約束」を、どうにも守れない。

食べる予定を立てたはずなのに、急な仕事や友人からの誘いで外食になったり、あるいは単純に、冷蔵庫の奥に隠れて存在を忘れ去られたり。

まるで、人生の約束や計画も、いつもこんな風にうやむやになっていく私の日常を象徴しているみたいだ。

冷蔵庫のドアを閉めながら、深いため息を一つ。

今日の朝食は、昨日スーパーで買った半額のサンドイッチで済ますことにしよう。

マンションに引っ越してきて三年になる。

これまで料理はほとんどしなかったけれど、この一年くらいで急にハマってしまった。

きっかけは、テレビで見た有名シェフのレシピだったり、友人が作ってくれた手の込んだ料理に感動したことだったり、あるいは単に、近所の八百屋で旬の野菜がやけにキラキラして見えたことだったりする。

最初は簡単な炒め物から始めて、今は週に二、三回はキッチンに立つ。

休日にはスーパーをはしごして、珍しい調味料を探したり、いつもは買わないような旬の魚を眺めたり。

レジで会計を済ませるときには、いつもより少しだけ、胸を張っている自分がいる。

最近のヒットは、鶏むね肉を使った「よだれ鶏」だ。

レシピサイトで偶然見つけて、その写真の美しさに心を奪われた。

蒸し鶏を作るところから始まり、タレも自家製。

豆板醤や甜麺醤、ラー油に花椒、おろしニンニクとショウガ。

八百屋で買ったばかりの新鮮なきゅうりを細切りにして、蒸し上がった鶏肉の上に乗せ、熱したタレをジュワッとかける。

あの音と香りがたまらない。

初めて作ったときは、調味料の分量を間違えて、一口食べたらむせてしまったけれど、三度目の正直で完璧なバランスを見つけた。

それからは、冷蔵庫に鶏むね肉とラー油がないと、何だか落ち着かない。

今日の冷蔵庫の幽霊たちの中に、よだれ鶏になれなかった鶏むね肉がいたのは、実に残念な話だ。

そんな料理ルーティンが定着してきたある日のこと。

いつものようにレシピサイトを見ていたら、ふと、あることに気づいた。

ページの隅々まで、広告がびっしり貼られている。

いや、これは前からそうだったはずだ。

ただ、この日はなぜか、その広告の存在がやけに気になったのだ。

レシピの合間に表示される、見慣れない調味料の広告や、全く関係のない家電製品の広告。

スクロールするたびに、画面の端でチラチラと光るそれらに、少しだけイライラした。

「なんでこんなところに広告が?

」と思った。

まるで、せっかく集中して読んでいる小説のページに、突然関係のないチラシが挟まれているような、そんな感覚だ。

その日は、結局レシピを探すのに時間がかかり、予定していた「大根と豚バラの煮物」を作るのを諦めて、近所の居酒屋で済ませてしまった。

約束を破るのは、自分相手でも気分が悪い。

翌日、また冷蔵庫を開けたら、昨日買ってきた大根が、まるで「なんで作ってくれなかったんだい?

」とでも言いたげな顔をして、私を睨んでいるように見えた。

その晩、ぼんやりとネットを眺めていると、たまたま昔、夢中になって聞いていた歌い手の動画を見つけた。

彼は当時、まだ学生だったと記憶している。

自作の歌を、自宅の部屋で録音してアップロードしていた。

それが、今では何百万回も再生され、ライブツアーも開催している人気者だ。

動画のコメント欄を読んでみると、「昔はよかった」「商業化してつまらなくなった」といった、少し辛辣な意見が目についた。

そして、動画の冒頭に流れる広告に対しても、「広告ウザい」「金儲け主義」といった批判が散見された。

私はそのコメントを読んで、ふと、昼間のレシピサイトの広告のことを思い出した。

そして、あの歌い手のことを。

彼はただ、好きな歌を歌っていただけなのに、人気が出るにつれて、色々な声に晒されるようになったんだろう。

広告を貼っただけで「金儲け」と揶揄され、ファンからは「変わってしまった」と言われる。

でも、彼が歌い続けるためには、生活があるはずだ。

機材だって、タダではない。

活動を続けるには、お金が必要なのは当然のことなのに、それがなぜか「汚いもの」と見なされる風潮がある。

そのとき、まるで頭の中に、ピーッと警報が鳴ったような気がした。

レシピサイトの運営者だって、サイトを維持するために広告が必要だ。

新しいレシピを開発する人、写真を撮る人、サイトを管理する人。

みんな、そこで生活している。

私たちが無料でサービスを利用できるのは、その裏で、誰かが広告という形で報酬を得ているからなのだ。

それからというもの、私のネットの使い方は、少しだけ変わった。

レシピサイトを見るたびに、そこに貼られた広告を、以前のような「邪魔なもの」としてではなく、「誰かの活動を支えるもの」として見るようになった。

昔好きだった歌い手の動画の広告も、飛ばさずに最後まで見るようになった。

時には、興味を引く広告があれば、クリックしてみたりもする。

それが、微々たるものかもしれないけれど、クリエイターや運営者への「ありがとう」の気持ちに繋がるような気がしたのだ。

もちろん、広告だらけで見るに堪えないサイトや、露骨すぎる表現の広告には、いまだに眉をひそめることもある。

けれど、多くの場合、それはサービスの提供側が、私たち利用者が気持ちよく使えるように、試行錯誤した結果だと知った。

広告の配置や種類、表示のタイミング。

きっと、何度もテストを重ねて、一番邪魔にならない形を探っているのだろう。

それはまるで、私のキッチンの調味料の配置と似ているのかもしれない。

砂糖や塩はすぐ手に取れるところに、でも唐辛子や花椒は、必要な時にだけ取り出す引き出しの奥に。

そんな風に、使いやすさを考えて配置していく感覚だ。

「広告邪魔だなぁ」と感じるたびに、私は自分の冷蔵庫の中を思い出す。

あの賞味期限切れの食材たち。

あれもこれも、私が「いつか使う」と安易に約束したものの、結局守れなかった結果だ。

クリエイターたちが正当な報酬を得るための「広告」も、私たちユーザーが「無料で利用できる」という約束を守るために、きっと必要不可欠なものなのだろう。

最近は、レシピサイトの広告に対して、以前のようなイライラはほとんどなくなった。

むしろ、そこから新しい発見があることも少なくない。

先日も、全く知らなかった海外の香辛料の広告を見つけて、思わずクリックしてしまった。

それがきっかけで、また一つ、新しい料理に挑戦しようと思っている。

今度は、約束をきちんと守れるように、その香辛料を使った料理の予定をカレンダーに書き込んでおくことにしよう。

朝食を済ませて、私は出勤の準備をする。

冷蔵庫のドアを閉めるとき、またあの賞味期限切れの卵パックが、私をじっと見つめているような気がした。

よし、今晩は鶏むね肉と九条ねぎを使って、何かしら作ってやるか。

せっかく出会えた食材たちを、無駄にはできない。

クリエイターたちが、ただひたすらに情熱を注いで生み出したものを、私が少しでも支えることができるなら、それはきっと、とても素敵なことだ。

そんなことを考えながら、私はマンションのドアを閉めた。

今日も一日、頑張ろう。

冷蔵庫の幽霊たちのためにも、ね。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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