歯医者すっぽかしから見えた、道民と白い服の微妙な距離感

📝 この記事のポイント

  • 歯医者の予約をすっぽかして、受付から確認電話がきて冷や汗をかいた。
  • 午前中の爽やかな日差しが差し込むリビングで、僕はスマホを握りしめたまま固まっていた。
  • 妻が淹れてくれたコーヒーはすっかり冷めて、マグカップの縁には無数の指紋がついていた。

歯医者の予約をすっぽかして、受付から確認電話がきて冷や汗をかいた。

午前中の爽やかな日差しが差し込むリビングで、僕はスマホを握りしめたまま固まっていた。

妻が淹れてくれたコーヒーはすっかり冷めて、マグカップの縁には無数の指紋がついていた。

まったく、情けない限りだ。

「あの、先ほどお電話したんですけど、〇〇さんでしょうか?」
「あ、はい、そうです!すみません、本当に、大変申し訳ありません!」

声のトーンをワントーン上げて、いかに自分が心から反省しているかを伝えようと必死になる。

まるで小学校の低学年が先生に怒られているかのような、情けない声だったと自覚している。

先週、妻に「次の歯医者、ちゃんとスケジュールに入れた?

」「うん、ばっちり」と胸を張って答えたばかりだったのに、このザマだ。

妻は隣で、僕の慌てっぷりを面白がるように、口角を少しだけ上げてテレビを眺めている。

普段はクールな人だが、こういう時の僕の反応には人一倍敏感なのだ。

結局、今日の予約はキャンセルとなり、次の予約は三週間後になった。

歯の痛みはまだそこまでではないものの、なんとなく舌で触るとざらつく部分が気になっていたので、少しばかり残念だ。

もっとも、自業自得なのだが。

予定が狂うと、途端に一日のリズムが崩れる。

いつもなら歯医者の後にカフェに寄って、読みかけの本を少し進めたりするのだが、今日はもうそういう気分でもない。

家でゴロゴロするのも悪くないが、それもなんか違う。

悶々としたまま、ふと冷蔵庫の牛乳が残り少ないことに気づいた。

よし、スーパーへ行こう。

妻の隣で、僕は少しばかり恨めしそうにテレビに映る天気予報を眺めた。

今日は気温がグッと上がり、札幌は28度になるらしい。

絶好の行楽日和だ。

きっと街中には、観光客がたくさん繰り出していることだろう。

最近、よく耳にする「道民は白を着ない」という話を思い出しながら、僕はいつも着ているちょっとくたびれたTシャツに袖を通した。

色は、もちろん、グレーだ。

妻の実家が近いこの地域は、地元の人と観光客が入り混じる独特の雰囲気がある。

とくに夏場は、どこから来たのか、いろんな方言が飛び交う。

スーパーへ向かう道すがら、僕はいつもの癖で人間観察を始めた。

すれ違う人たちの服装に自然と目が行く。

すると、面白いように「あ、この人、観光客だな」とピンとくる人がいるのだ。

たいてい、そういう人は、真っ白なシャツを着ている。

それも、襟元までパリッとした清潔感あふれる白。

もしくは、真っ白なワンピース。

そして、その白に映えるような、鮮やかな色のカーディガンを肩から羽織っていたりする。

足元は、これもまた清潔感のある白いスニーカー。

あるいは、サンダルだけど、ペディキュアまで完璧な爪先が見えている。

もちろん、道民だって白い服を着る。

だが、その「白」の質感が違うのだ。

道民の白は、なんだろう、もう少し「生活感」がある。

たとえば、真っ白なTシャツでも、なんだかんだで一枚で着ることは少ない。

上に羽織ったり、中に着たり。

あるいは、オフホワイトに近い色だったり。

新品のパリッとした白、というよりは、洗いざらした「普段着の白」が多いような気がする。

一方で観光客の皆さんの白は、まさに「旅先の非日常」を体現しているかのようだ。

北海道の雄大な自然や、青空の下で飲むビールに似合う、とびきりの白。

それは、僕らが普段着ているくたびれたグレーのTシャツとは、明らかに一線を画している。

まるで、これから美味しい海鮮丼を食べに行きます!

とか、これからラベンダー畑で最高の写真を撮ります!

といった意気込みが、その真っ白な服から滲み出ているような気がしてくる。

スーパーに着くと、案の定、店内は観光客らしき人たちで賑わっていた。

北海道限定のお菓子コーナーや、地元の牛乳が並ぶ乳製品コーナーには、特に白シャツ軍団が多く集まっている。

レジに並ぶ僕の前にいたカップルは、二人とも真っ白なポロシャツを着ていた。

まるで制服のように揃っていて、なんだか微笑ましい。

彼らがレジで会計をしている間、僕はふと、妻の言葉を思い出した。「そういえばさ、あんたも結婚前に初めて私の実家に来た時、真っ白なシャツ着てたよね」。

え、まじで?

確かに、初めて義父母に会うのだから、と気合を入れて、当時お気に入りの真っ白なリネンシャツを着て行った記憶がある。

襟元もパリッとアイロンをかけ、袖もきっちりまくって、清潔感と爽やかさを演出したつもりだった。

義母からは「あら、爽やかな青年ね」と褒められたと、当時の僕は純粋に喜んでいたのだが、今思えばあれは「あ、観光客だな」と同じ目で見られていたのかもしれない。

あるいは、「気合入りすぎちゃって、面白いわね」くらいのニュアンスだった可能性もある。

なんだか、背筋がゾッとした。

僕がレジで会計を済ませていると、後ろに並んでいたおばあさんが、「あら、〇〇さん、こんにちは。

今日はご主人お一人?

」と声をかけてきた。

近所に住む山田さんだ。

妻の実家の近くに引っ越してきて三年。

最初は慣れない土地での生活に戸惑うことも多かったが、自治会の活動や、こうしてスーパーで顔を合わせるうちに、すっかり顔なじみになった。

山田さんも、僕と同じくグレーのカーディガンを羽織っている。

中は、やはり落ち着いた色合いのカットソーだ。

「ええ、今日は歯医者の予約をすっぽかしちゃって、一人で買い物に来ました」
思わず正直に話すと、山田さんは「あらあら」と優しく笑ってくれた。

「大丈夫、そんなこともあるわよ。

でも歯は大事にしなきゃダメよ」と、まるで孫を諭すかのような口調だ。

この微妙な距離感が、心地よい。

深入りはしないけれど、見守ってくれているような温かさ。

家に帰り、冷蔵庫に牛乳をしまう。

妻はまだテレビを観ていた。

「ただいまー。

ねえ、俺ってさ、初めて実家に来た時、白いシャツ着てたっけ?


妻はテレビから目を離さずに、「着てた着てた。

なんか気合入ってるなーって思ったもん。

普段そんな真っ白な服着ないのにね」とケラケラ笑った。

ああ、やっぱり。

「あれ、完全に観光客と見られてたな」と呟くと、妻は「ま、でも、おかげで良い印象だったんじゃない?

」と慰めるように言った。

確かに、あの時の僕は、義父母に少しでも良く思われたくて、背伸びをしていた部分もあった。

真っ白なシャツは、そんな僕の「よそ行き」の気持ちを代弁してくれていたのかもしれない。

そして、今。

僕はすっかりこの土地に馴染んだ。

妻の実家の近くに住み、地域の人たちと顔見知りになり、スーパーで世間話をする。

歯医者の予約をすっぽかすようなドジは相変わらずだが、それでも「まあ、そんなもんか」と笑って流せるようになった。

真っ白な服を着て、気合を入れてよそ行き顔をしていた頃の自分も、それはそれで一生懸命で可愛げがあった。

でも、今の、洗いざらしのグレーのTシャツを着て、ちょっとドジを踏んでも笑い飛ばせる自分も、それはそれで悪くない。

きっと、人生なんて、真っ白なシャツを着て気張っていた時期と、くたびれたTシャツで普段着の自分をさらけ出す時期の繰り返しなんだろう。

そして、そのどちらもが、その時々の自分にとって、かけがえのない大切な時間なのだ。

次に歯医者に行くときは、ちゃんと予約を忘れないようにしよう。

そして、今度はどんな服を着て行こうか。

おそらく、真っ白なシャツではない、いつもの普段着で。

それが今の僕にとって、一番心地よい服装なのだから。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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