📝 この記事のポイント
- 休日の昼下がり、ソファで寝転んでいたら猫に顔を踏まれて目が覚めた。
- マロ、と呼ぶその白い毛玉は、どうやら私を通り道か何かと勘違いしているらしい。
- ずしりと乗る重みに、いい加減成長期は終わっただろうに、と目を閉じたまま考える。
休日の昼下がり、ソファで寝転んでいたら猫に顔を踏まれて目が覚めた。
マロ、と呼ぶその白い毛玉は、どうやら私を通り道か何かと勘違いしているらしい。
ずしりと乗る重みに、いい加減成長期は終わっただろうに、と目を閉じたまま考える。
結局、もう一度寝ることもできず、ぼんやりと携帯を手に取った。
特に目的もなく、SNSをスクロールしたり、どうでもいいニュースを眺めたり。
いわゆる「時間泥棒」と呼ばれるやつだ。
マロは私の胸の上で丸くなり、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
平和な午後、といえば聞こえはいい。
いつもの流れで、ふとジモティーのアプリを開いてみた。
特に買うものがあるわけでもない。
ただ、誰かが手放したがっているものや、面白い物件を眺めるのが、ひそかな趣味だったりする。
以前は、隣町で「使用済みだが状態の良い冷蔵庫」が、タダで出品されているのを見つけて驚いたこともあった。
誰かが不要なものを、誰かが求めている。
そのマッチングの妙が面白いのだ。
そして、その日、私はとんでもないものを見つけてしまった。
「池4500坪、安く売ります」
画面に表示された文字を、私は三度見した。
4500坪。
ピンとこない。
東京ドーム何個分とか、そういうスケールだろうか。
物件の写真には、どこまでも続くような水面が写っていた。
周りは木々に囲まれ、自然豊かな場所であることが一目でわかる。
価格は「応相談」とあるけれど、きっと桁が違うことは間違いない。
思わず、マロの寝息を聞きながら、その池の使い道を真剣に考え始めた。
まず頭に浮かんだのは、釣り堀だ。
都会の喧騒を離れて、休日には家族連れが釣り糸を垂らす。
釣った魚は、その場でバーベキュー。
なんて健全なレジャーだろう。
でも、待てよ。
魚を放流する費用は?
毎日、誰かが餌をやるの?
そして、4500坪の池の周りを、一体誰が掃除するんだ。
落ち葉は?
不法投棄されたゴミは?
水質管理は?
あっという間に、夢は現実の厳しい壁にぶち当たった。
次に思いついたのは、貸し切りキャンプ場。
池のほとりでテントを張って、満点の星空を眺める。
カヌーを漕いだり、ボートに乗ったり。
それはそれは素敵な空間になるに違いない。
だが、トイレは?
シャワーは?
電気は?
そもそも、ここまで来る道は舗装されているのか?
蚊は?
熊は?
妄想は、すぐに「管理」という名の重い鎖でがんじがらめになった。
隣でテレビを見ていた夫に、思わず声をかけた。
「ねえ、ジモティーでさ、池が売ってるんだけど」
夫は「ふーん」と、いつものように興味なさげな返事。
「買えば?
」と笑って言った。
「広い庭だと思って」
広い庭か。
庭、という言葉の響きはいい。
でも、4500坪の庭に、一体どんな植物を植えればいいんだろう。
芝生?
そんな広大な芝生、芝刈り機が何台あっても足りない。
それ以前に、維持するにも、途方もない金銭と労力がかかることは想像に難くない。
私は池の写真を眺めながら、溜息をついた。
一体、どんな人がこの池を欲しがるんだろう。
そして、一体どんな人がこの池を手放したがっているんだろう。
きっと、維持することに疲れたのかもしれない。
そう考えると、少し切ない気持ちになった。
私も、たまに衝動買いで失敗することがある。
失敗、というよりは、使いこなせなかったり、結局一度しか使わなかったり。
そういう買い物が、結構な頻度であるのだ。
例えば、去年のことだ。
近所のショッピングモールで、大きなホットプレートが半額になっていた。
それも、ただのホットプレートではない。
「たこ焼きも焼けて、焼肉もできて、お好み焼きもできる、魔法のプレート!
」というキャッチコピーが、私の頭の中で鳴り響いた。
しかも、デザインが可愛い。
マットな質感で、食卓に置いても様になる。
「これがあれば、休日がもっと楽しくなる!
」
「たこ焼きパーティーをしよう!
」
「家で焼肉ができるなんて、最高!
」
瞬時に脳内で繰り広げられたのは、友人たちとの賑やかな食卓の光景だった。
夫も「いいね」と乗り気だったので、私は迷わず購入した。
衝動買いというには、少しばかり時間をかけた気もするが、結局は勢いだった。
持ち帰ったホットプレートは、我が家の流し台の下に、ずしりと重い存在感で収まった。
さて、そのホットプレート。
一年が経って、何回使ったか、といえば。
たこ焼き、一回。
夫婦二人で、どうにか50個ほどのたこ焼きを焼いた。
途中から飽きて、結局冷凍たこ焼きを買えばよかった、と心の中で呟いた。
焼肉、二回。
煙がすごい。
そして、プレートを洗うのが、これまた大変。
油汚れがなかなか落ちず、結局翌日の昼まで、流し台に放置されていた。
お好み焼き、一回。
これは成功だった。
美味しかった。
でも、別にホットプレートじゃなくてもフライパンでできる。
つまり、合計で四回。
一年で四回。
しかも、使うたびに「洗い物が面倒だな」という気持ちが、少しずつ蓄積されていく。
流し台の下の奥にしまわれたホットプレートを見るたびに、私の中に一抹の後悔がよぎる。
あの時、本当に必要だったのか。
このスペースを、もっと有効活用できたのではないか。
でも、不思議なことに、使わないけれど捨てる、という選択肢には、なかなか至らない。
いつかまた、たこ焼きパーティーをするかもしれない。
いつかまた、家で焼肉が食べたい、と思うかもしれない。
その「いつか」のために、私は今日もホットプレートを流し台の下にしまい込んでいるのだ。
4500坪の池の維持費を考えれば、ホットプレートの維持費など、微々たるものだろう。
電気代と、洗剤代くらいのものだ。
それでも、私は思う。
あの広大な池を前にして、私は「いつか」のために、今日をどう過ごせばいいのだろう。
いや、そもそも、あの池は私のものになるはずもない。
私の日常とは、あまりにかけ離れたスケールだ。
結局、私は池の物件情報をそっと閉じた。
そして、流し台の下に眠るホットプレートの存在を、そっと再確認する。
マロは、もう私の胸の上では寝ていない。
いつの間にかソファの背もたれに移動し、窓の外を眺めている。
何かを期待しているような、でも特に何も起こらないことを知っているような、そんな表情だ。
私も同じだ。
途方もない夢を見て、現実的な問題にぶち当たり、そして、いつもの日常に戻る。
きっと、それでいいのだ。
4500坪の池は、誰かの手に渡り、誰かの夢になるのだろう。
私は、私の手の届く範囲で、小さな「いつか」を温めながら、今日を過ごしていく。
そして、ホットプレートは、今日も流し台の下で、静かに次の出番を待っている。
いつになるかは、誰にもわからないけれど。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

