釣具店で悟った、「好き」の賞味期限

📝 この記事のポイント

  • 近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。
  • ただ、週に3回は来るから、たぶんお店のおばちゃんに覚えられただけだ。
  • ここの生姜焼きは、肉厚なのに妙に柔らかくて、キャベツの千切りもたっぷり盛られている。

近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。

いや、別に常連ぶってるわけじゃない。

ただ、週に3回は来るから、たぶんお店のおばちゃんに覚えられただけだ。

今日の定食は、生姜焼き定食。

ここの生姜焼きは、肉厚なのに妙に柔らかくて、キャベツの千切りもたっぷり盛られている。

そして何より、ご飯が進む。

気づけばお茶碗が空になっていて、おばちゃんが何も言わずに新しいお茶碗とご飯を差し出してくれた。

これが「常連」ってやつなのだろうか。

ちょっとだけ、優越感。

いや、別に優越感に浸りたいわけじゃないんだけど。

普段、派遣社員としてデータ入力の仕事をしている私にとって、こういう細やかな気配は砂漠のオアシスみたいなものだ。

日々の業務は黙々とパソコンと向き合い、ひたすら数字と文字を打ち込む。

人間とのコミュニケーションは、午前中の休憩時間に同僚と交わす「今日のランチどうする?

」くらいで、それも大抵「うん、なんでもいい」で終わる。

そんな生活に、この定食屋の「お茶」は、ちょっとした彩りを与えてくれる。

これが私の、ささやかな日常。

でも、こんな小さな喜びにさえ、かつてはもっと大きな「好き」があった。

それは「釣り」だ。

別にマグロを釣るとか、そういう大物狙いじゃない。

近所の川でハゼを釣ったり、たまに友達と海へ行ってサビキでアジを狙ったりする程度。

でも、あの水辺に立って、竿を構え、ウキがピクッと動くのを待つ時間が、たまらなく好きだった。

普段は早起きなんて絶対にしない私が、釣りのためなら夜中の3時に飛び起き、まだ暗い道を自転車で飛ばしていたんだから、相当なものだ。

あの頃の私は、キラキラしていたと、自分でも思う。

そんな「好き」が高じて、「好きなことで生きていく」という甘美な響きに、私はまんまと誘惑された。

派遣の仕事に不満があったわけじゃないけど、もっと自分の時間を「好き」で埋めたい、という漠となく贅沢な願望があったのかもしれない。

ある日、いつものようにネットで釣具の情報を漁っていたら、近所の大型釣具店が「正社員募集」の広告を出しているのを見つけた。

しかも、未経験者歓迎、釣りの知識があれば尚良し、とある。

これはもう、私に言ってるようなものじゃないか。

運命だ、と思った。

履歴書を書きながら、心臓がバクバクしていたのを覚えている。

あの時の私は、まるで初めてのデートに向かう中学生のように、純粋な期待と興奮でいっぱいだった。

面接もトントン拍子に進み、あれよあれよという間に内定をもらった。

派遣の同僚や家族には「好きなことを仕事にするなんてすごいね!

」と褒められ、ちょっと得意げになったりもした。

そうして、私は「好きなことで生きていく」という、夢のような生活に足を踏み入れたわけだ。

最初は本当に楽しかった。

最新のルアーやリールを触り放題、釣り好きのお客様と専門的な話ができる。

休憩時間には、同僚と「この間、あのポイントで大物釣れたんですよ!

」なんて、釣果自慢に花を咲かせたりもした。

これこそ、求めていた生活だ、と。

でもね、現実はそんなに甘くなかった。

釣具店での仕事は、想像以上に体力と気力を使うものだった。

朝早くから夜遅くまで、重い釣り竿の束を運んだり、膨大な種類のルアーや仕掛けを整理したり。

お客様からの質問攻めも半端じゃない。

「この竿で、あの魚は釣れますか?

」「このリールとこの糸、どっちがいいですか?

」しまいには、「この前、全然釣れなかったんだけど、お兄さん何かコツ教えてよ」と、まるで私が釣り顧問であるかのような無茶振りまで。

もちろん、釣り好きだから多少の知識はある。

でも、プロじゃない。

ましてや、お客様の釣果に責任なんて負えない。

最初は丁寧に答えていたけれど、だんだんうんざりしてくる。

何より辛かったのは、自分の釣りの時間が、ごっそり減ってしまったことだ。

仕事が終わると、もうクタクタ。

休日は、家でゴロゴロしているか、溜まった家事を片付けるので精一杯。

たまに休みが取れても、お店で一日中釣具に囲まれていると、もう「釣り、行きたい!

」という気持ちが全く湧かない。

それどころか、釣具を見ると「あ、これ、また棚に戻さないといけないやつだ」とか「このルアー、最近補充したばっかりなのに、もう売れてる…また発注か」とか、仕事のことが頭をよぎるようになってしまった。

あれだけ好きだった釣りが、もはや「仕事」という義務感と疲労の象徴になってしまったんだ。

ある日、休日に友達に誘われて、久しぶりに釣りにでかけた。

以前ならウキウキしていたはずなのに、その日はなんだか気が乗らない。

竿を振っても、集中できない。

ウキがピクッと動いても、ただの反射で合わせるだけ。

結局、一匹も釣れず、友達には「今日、元気ないね」と心配されてしまった。

その帰り道、私は悟った。

ああ、私はもう、釣りが好きじゃないのかもしれない、と。

いや、好きじゃないというよりは、好きだった気持ちが、仕事の重みに潰されてしまった、という方が正しいかもしれない。

そこから数ヶ月、私は悶々と過ごした。

このままでは、大好きな釣りを完全に嫌いになってしまう。

それは、なんとしてでも避けたい。

私の心の中の「好き」が、仕事という名の巨大な魚に丸呑みされていくようで、ぞっとした。

そして、私は決断した。

釣具店を辞めて、元の派遣社員に戻る、と。

上司には「せっかく好きだった釣りの仕事なのに、もったいない」と言われたけれど、もう私の心は決まっていた。

退職届を提出し、再びデータ入力の派遣社員に戻った。

周りからは「やっぱり、好きなことを仕事にするのは難しいんだね」なんて言われたりもしたけれど、私にとっては、これでよかったんだ。

元の生活に戻って、しばらくは釣りのことは全く考えなかった。

いや、考えられなかった。

釣具店で働いた期間は、まるで夢だったかのように、私の生活から「釣り」という言葉を消し去ってしまっていた。

だけど、ある日の夕方、定食屋で生姜焼きを食べながらテレビをつけたら、偶然、釣り番組がやっていた。

見慣れた川辺の風景、竿を振る釣り人の真剣な眼差し。

それを見ていたら、ふと、昔の自分が蘇った。

あの頃の私は、釣りを心の底から楽しんでいたんだな、と。

その週末、私は久しぶりに、埃をかぶっていた自分の釣り道具を引っ張り出した。

竿を組み立て、リールに糸を通し、仕掛けを準備する。

指先が覚えている感覚に、なんだか胸が温かくなった。

そして、日の出前のまだ薄暗い時間に、自転車を漕いで近所の川へ向かった。

空気はひんやりと澄んでいて、川面に朝焼けが映り込んでいる。

竿を投げ、ウキが水面に漂うのを見つめる。

すると、ピクッ、とウキが動いた。

反射的に竿を上げると、小さなハゼが一匹、かかっていた。

その瞬間、私の心に、かつての喜びがじわりと広がった。

それは、釣具店で働いていた頃の、義務感や疲労とは全く違う、純粋な喜びだった。

ああ、私はやっぱり釣りが好きなんだ、と。

仕事としてではなく、ただ純粋に、自分の「好き」として向き合うことの大切さを、身をもって知った瞬間だった。

定食屋のおばちゃんが、今日も黙ってお茶を差し出してくれる。

あの時の「好きなことで生きていく」という勘違いは、ちょっと恥ずかしい経験だったけれど、今となっては笑い話だ。

たまに、派遣の同僚に「昔、釣具店で働いてたんだよ」なんて話すと、「えー!

意外!

」なんて目を丸くされる。

でも、それでいい。

私の「好き」は、仕事とはちょっと距離を置いて、これからも私の日常にそっと寄り添ってくれるだろう。

そして、週に3回、この定食屋で生姜焼きを食べながら、私は今日も、ささやかな幸せを噛みしめている。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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