天使の取り分と私の取り分、人生の不可解な減り目

📝 この記事のポイント

  • 宅配便の再配達を3回も逃して、ついに営業所まで取りに行った。
  • 三度目の正直どころか、三度目の正直を逃した正直者が私である。
  • 朝、コーヒーを淹れてぼんやりしているとピンポンが鳴る。

宅配便の再配達を3回も逃して、ついに営業所まで取りに行った。

三度目の正直どころか、三度目の正直を逃した正直者が私である。

朝、コーヒーを淹れてぼんやりしているとピンポンが鳴る。

どうせセールスだろうと無視。

午後にうとうとしているとまたピンポン、今度は少し粘り強い。

ああ、宅配便だったか、でももう一度寝よう。

そして夕食の支度中に届いた不在票を見て、「あらあら、また」と軽い口調で妻に報告する。

「またって、あなた今家にいたでしょう!

」と、妻はフライパンを揺らしながら呆れたように言う。

僕だってインターホンに出ないでいるのは心苦しい。

でも、あのタイミングで、どうしても手が離せないことって、あるんだよね。

具体的に何をしているか、と聞かれると困るんだけど。

最終的に、営業所まで車を走らせた。

駐車場に停める際に、やけに車間距離を詰めてくる軽トラックがいて、あれは絶対に「急いでいるんだから早く動け」という無言の圧だったに違いない。

こちらも負けじとゆっくりと駐車枠に収める。

受付で荷物を受け取る際に、若いお兄さんが「ご迷惑おかけしました」と深々と頭を下げてくれたが、迷惑をかけたのはこちらのほうで、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

ああ、もうこんなことなら最初からコンビニ受け取りにしておけばよかった、と心底思う。

で、その受け取った荷物というのが、少し前にネットで衝動買いした、ミニチュアのウイスキー樽だった。

いや、ミニチュアと言っても、それなりに存在感のあるサイズで、直径が30センチくらいある。

自宅で気軽に熟成が楽しめる、という触れ込みにまんまと乗せられたのだ。

我が家も子どもたちが独立し、夫婦二人の時間が格段に増えた。

夜な夜なグラスを傾け、他愛もない話をするのが日課になりつつある。

そんな時に、自分たちだけの特別なウイスキーがあったら、ちょっと素敵じゃないか、と妻と意見が一致した。

家に帰り、早速その樽を眺める。

チリ産のオーク材でできていて、なかなか重厚な趣がある。

付属の説明書を熟読し、水漏れチェックのため数日間水を入れておく。

そしていよいよ、近所の酒屋で買ってきたそこそこ安価なブレンデッドウイスキーを、その樽に注ぎ込む日が来た。

ボトル3本分、だいたい2リットルくらいだろうか。

とくとくと、琥珀色の液体が樽の中に消えていくのを見るのは、なんとも言えない高揚感があった。

数年後、このウイスキーがどんな風味に変化するのか。

想像するだけで、夜の晩酌が待ち遠しくなる。

ところが、である。

それから半年ほど経ったある日、樽の様子をチェックしていると、どうにも量が減っているように見えるのだ。

樽には注ぎ口がついていて、そこから少量を取り出して味見できるようになっている。

試しにグラスに注いでみると、あれ?

こんなに少なかったっけ?

という感想が、正直なところ。

まさか、誰かがこっそり飲んだわけではあるまい。

いや、もしかしたら妻が、僕の知らないところで「味見」と称して嗜んでいる可能性も、なくはない。

うちの妻は、僕が冷蔵庫に隠しておいた高級プリンを、僕が気づかないうちに完食してしまうような、食に関する嗅覚と実行力に長けた女性である。

「ねえ、このウイスキー樽、なんか量が減ってない?

」と、さりげなく尋ねてみた。

「え?

そう?

私、触ってないわよ」と、妻は全く動じない。

その澄まし顔を見ていると、逆に怪しく思えてくる。

いや、しかし、本当に減っている。

もしかしたら、僕が酔っぱらって、記憶にないまま勝手に飲んでしまったのか?

いやいや、そんなはずはない。

だって、僕が最後に飲んだのは、まだ注ぎ入れたばかりの頃で、正直言って「ただの安酒じゃん」という感想しか抱かなかったのだから。

半年間熟成させたところで、劇的に美味しくなるわけがないと、本能的にわかっていたはずだ。

そこでハッと、とある言葉を思い出した。

「天使の取り分」。

ウイスキーの熟成中に、樽から蒸発して量が減ってしまう現象を、昔の人はそう呼んだという。

なんともロマンチックな表現じゃないか。

天使が夜中にこっそりやってきて、樽の隙間から香りを吸い上げ、一口二口と味見していく。

そして、そのお礼とばかりに、残されたウイスキーに極上の風味をもたらす、と。

なるほど、これなら納得がいく。

僕が飲んだわけでも、妻がこっそり飲んだわけでもない。

天使の仕業なのだ。

だが、冷静に考えてみてほしい。

いくらなんでも、その「取り分」が暴利に過ぎやしないだろうか。

半年でざっと見て、元の量の1割は減っている。

いや、もしかしたらもっとだ。

このペースでいけば、数年後には樽の中は空っぽになってしまうのではないか。

僕が一生懸命働いて稼いだお金で買ったウイスキーが、無償労働の天使たちによって、何の対価も払われることなく持ち去られているのである。

しかも、その天使たちは、僕のウイスキーを美味しくする、という名目で、ちゃっかり自分たちの取り分を確保しているのだ。

まるで、僕が会社で企画書を完成させた途端、部長が「これは君の努力の賜物だね。

でも、この部分は私が手を加えたんだ」と言って、しれっと手柄を横取りしていくような、あの理不尽さに似ている。

いや、待てよ。

本当に天使なのか?

もしかしたら、樽の継ぎ目から、少しずつ漏れているだけなのではないか。

あるいは、オーク材の乾燥によって、隙間ができてしまったとか。

そう疑い始めると、ロマンチックな「天使の取り分」という言葉も、単なる「蒸発」という、いかにも現実的で味気ない現象に思えてくる。

そして、僕の隣で新聞を読んでいる妻が、ふと鼻歌を歌い始めた。

その鼻歌が、なんだか天使の賛美歌のように聞こえてきたのは、僕の気のせいだろうか。

いや、違う。

あれは、僕が買って冷蔵庫に入れておいた、とっておきのチーズケーキを、さっきこっそり食べた後の高揚感を表す鼻歌だ。

きっとそうだ。

人間って、どうしてこうも自分の都合の良いように解釈したがるんだろうね。

目の前の現象が、自分の理解を超えている時や、説明がつかない時に、ついついファンタジーに逃げ込んでしまう。

宅配便の再配達を3回も逃したのは、僕がインターホンに気づかなかったから、という単純な理由なのに、なぜか「あの時、たまたま手が離せなかった」という、いかにももっともらしい言い訳を探してしまう。

ウイスキーが減っているのは、蒸発という自然現象なのに、それを「天使の取り分」と呼んで、ロマンチックな物語を作り上げてしまう。

でも、まあ、それも人生の面白さなのかもしれない。

だって、もし全ての現象が、常に論理的で明快な説明がつくものばかりだったら、きっと世界はもっと味気ないものになっているだろう。

たまには、説明のつかないことや、ちょっとした摩訶不思議な出来事が、日常に彩りを与えてくれる。

それが「天使の取り分」という名の蒸発だろうと、妻のいたずらだろうと、あるいは僕自身のうっかりミスだろうと、結局のところ、僕たちの生活にちょっとした話題と笑いを提供してくれているのだ。

そういえば、先日コンビニで買った「プレミアム濃厚チーズケーキ」が、冷蔵庫に入れておいたはずなのに、今朝見たらもう無くなっていた。

あれもきっと、夜中にやってきた「チーズケーキの天使」が、僕の知らないうちに、その甘い香りを吸い上げてくれたに違いない。

そして、そのお礼として、僕の食卓に、今日の夕食の献立のヒントを、そっと置いていってくれたのだろう。

今日の夕食は、冷蔵庫に残っていた鶏むね肉と、しなびかけたキャベツで、なんとか凌ぐしかない。

ああ、天使たちよ、せめて減らした分は、ちゃんとした食材で返してほしいものだ。

いや、むしろ、もうちょっと減らしてくれるなら、いっそ高級食材に変化させてほしい。

それが、僕のささやかな願いなのである。

ねえ、みんなも、身に覚えのない「減り目」って、ない?


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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