📝 この記事のポイント
- 回転寿司で、隣のレーンの皿が気になって自分の注文を忘れた。
- 正確には、醤油皿を五枚重ねてタワーを作っている小学生の男の子と、その横で「やめなさい、怒られるわよ」と囁くお母さんの攻防に夢中になっていたのだ。
- うちの息子もいつかああなるのだろうか、いや、もうとっくになっている気もする。
回転寿司で、隣のレーンの皿が気になって自分の注文を忘れた。
正確には、醤油皿を五枚重ねてタワーを作っている小学生の男の子と、その横で「やめなさい、怒られるわよ」と囁くお母さんの攻防に夢中になっていたのだ。
うちの息子もいつかああなるのだろうか、いや、もうとっくになっている気もする。
今日の夕食は僕が当番で、妻からは「お寿司でいいよ」とありがたいような、ちょっと手抜きを指摘されているような、絶妙な指令が出ていた。
レールの向こうから、ようやく目的のサーモンアボカドが近づいてくる。
僕はレーンに顔を近づけて、まるで獲物を狙うハンターのように身構えた。
よし、今だ!
と皿に手を伸ばしたその瞬間、僕の隣に座っていたおじいさんが、ほとんど反射的にその皿をかっさらっていった。
一瞬の出来事だった。
僕と目が合ったおじいさんは、まるで何事もなかったかのように、涼しい顔でサーモンアボカドを醤油につけている。
いや、あれは僕の、僕がレーンを三周見守り続けたサーモンアボカドだったはずだ。
心の中で「ゾルトラーク!
」と叫びそうになったが、声には出なかった。
この回転寿司には、僕の期待を軽々と裏切る「魔物」が潜んでいるのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、結局別のサーモンアボカドを注文し直した。
人生、期待通りにいかないことなんて日常茶飯事だ。
むしろ、期待通りにならないからこそ、ちょっとしたサプライズや、諦めの先に意外な発見があったりする。
まあ、この場合は単にサーモンアボカドが二皿になっただけなのだが、二皿あれば二倍楽しめる、と無理やりポジティブに解釈してみる。
なんだか、宇野昌磨さんが「五輪には魔物がいるので人々はゾルトラーク覚えるべき」と言ったとか言わないとかいう話を思い出した。
きっと彼も、僕が今経験したような理不尽な横取りを、日々の練習で数えきれないほど経験してきたのだろう。
そして、その度に「ゾルトラーク!
」と心の中で唱え、その怒りのエネルギーをジャンプの高さに変えていたに違いない。
となると、彼がもし現役時代に本当にゾルトラークを使っていたとしたら、IOCに「ドーピング検査の項目に『呪文』を追加すべきか?
」なんて議題が持ち上がって、ちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。
そんなことを想像すると、なんだかおかしくなってくる。
家に着くと、玄関のドアを開けるなり、ふわっといい匂いが漂ってきた。
妻が先に帰ってきて、味噌汁を作ってくれていたのだ。
夕食当番は僕なのに、申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちが混じり合う。
冷蔵庫から取り出した瓶ビールをコップに注ぎながら、今日の回転寿司での出来事を話した。
「それ、おじいさんのゾルトラークが発動したんだね」と妻が笑う。
ああ、ここにも僕の期待を裏切る、でもどこか愛おしい「魔物」がいる。
そういえば、最近、近所に引っ越してきたご夫婦がいる。
僕らの家の向かい、築40年の一軒家をリノベーションした、おしゃれな平屋だ。
引っ越しの挨拶に来てくれた時も、奥さんが手作りのクッキーを持ってきてくれたりして、とても感じの良い人たちだった。
僕も妻も共働きだから、平日はなかなか顔を合わせる機会がない。
でも、週末になると、庭の手入れをしていたり、お子さんとシャボン玉で遊んでいたりする姿をよく見かける。
僕も庭の草むしりをしている時に目が合えば、「こんにちは」「いい天気ですね」なんて、当たり障りのない世間話をする。
この「当たり障りのなさ」が、近所付き合いの肝だったりするんだよね。
深入りしすぎず、でも無関心ではない。
その微妙な距離感が、心地よかったりする。
先日、僕が夕食当番の日、スーパーの帰り道でその奥さんとばったり会った。
カゴいっぱいに買い物をした奥さんは、少し困った顔をしていた。
「あら、こんにちは。
今日はお子さんのお迎えですか?
」と僕が声をかけると、「ええ、そうなんです。
でも今日に限って、鍵を家に忘れちゃって…」と苦笑いしている。
お子さんはまだ小さいから、インターホン越しに「ママ、まだー?
」なんて言っているのが聞こえる。
奥さんは困った顔で、何度も玄関のドアノブをガチャガチャと回していた。
まるで、五輪の魔物に取り憑かれた選手のように、鍵のないドアに挑んでいる。
これじゃゾルトラークを唱えるどころか、フバーハでも唱えたくなるだろう。
どうしたものかと思案していると、奥さんが僕に申し訳なさそうに切り出した。
「あの、もしよかったらなんですけど…少しだけ、お子さんをうちの庭で遊ばせていただけませんか?
私は今から、夫の職場まで鍵を取りに行こうと思うんですけど、さすがにこの子を連れては…」と。
僕は一瞬戸惑った。
正直なところ、今日の夕食は少し凝ったものを作ろうと意気込んでいて、頭の中ではすでに段取りが組まれていたのだ。
冷蔵庫で待つ鶏肉と、これから炒める野菜たちのことを考えると、少しだけ億劫な気持ちになった。
僕の夕食計画という「期待」が、目の前の「魔物」によって裏切られそうになる。
でも、奥さんの困った顔と、玄関でしょんぼりしているお子さんの姿を見たら、断るなんて選択肢はなかった。
「もちろんです!
うち、庭でシャボン玉とかもできますよ」と、気づけば笑顔で言っていた。
僕がそう言うと、奥さんは心底ホッとしたような顔で、「本当にありがとうございます!
助かります!
」と何度も頭を下げた。
お子さんも僕を見て、少しだけ表情が明るくなったように見えた。
僕が「さあ、おいで」と手招きすると、お子さんは小さく頷いて、僕の後ろからちょこちょことついてきた。
僕の夕食計画は、見事に頓挫した。
鶏肉は冷蔵庫で眠ったままだし、野菜を炒める時間もなくなった。
結局、シャボン玉をしたり、庭の蟻を観察したり、ブランコをこいだりして、あっという間に一時間が過ぎた。
奥さんが戻ってきた頃には、お子さんはすっかり僕に懐いていて、僕のズボンの裾を掴んで離れようとしない。
「ごめんなさいね、本当に助かりました」と奥さんが再び頭を下げた時、僕は疲労感とともに、妙な充実感を覚えていた。
その日の夕食は、結局、妻が作ってくれた味噌汁と、回転寿司で買ってきたサーモンアボカド(二皿)と、スーパーで適当に買ったお惣菜で済ませた。
妻には「夕食当番なのに、どうしたの?
」と小言を言われたが、今日の出来事を話したら、「あら、偉いじゃない。
たまにはそういう日もあるわよ」と、意外にも優しい言葉が返ってきた。
人生、本当に色々な「魔物」が潜んでいる。
回転寿司のレーンをかっさらうおじいさん然り、僕の夕食計画を狂わせる近所の奥さん然りだ。
期待通りにいかないことも多いし、予想外の展開に巻き込まれることもある。
でも、そうやって裏切られたり、振り回されたりした結果、意外と悪くない結末が待っていたりするんだよね。
今日の僕の夕食は手抜きだったけれど、近所の人との距離が少し縮まった気がする。
僕がゾルトラークを唱えずに済んだのは、もしかしたら僕の心の中に、ちょっとした「ホイミ」が発動したからなのかもしれない。
そんなことを考えながら、僕は二皿目のサーモンアボカドを、ゆっくりと口に運んだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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