📝 この記事のポイント
- 電車で隣に座った人の香水が強烈で、途中下車して車両を変えた。
- もう、あれは香水というよりも、化学兵器に近い。
- 満員電車で密閉空間なんだから、もう少し加減ってものがあるだろうに。
電車で隣に座った人の香水が強烈で、途中下車して車両を変えた。
もう、あれは香水というよりも、化学兵器に近い。
満員電車で密閉空間なんだから、もう少し加減ってものがあるだろうに。
いや、加減を知らないからああなるのか。
私は新しい車両のドアにもたれかかり、大きく息を吸い込んだ。
車内はさっきよりずっと穏やかな空気に満ちていて、ホッと胸をなでおろす。
はぁ、平和って、こういうことだよな。
そんなことを考えていたら、ふと、単身赴任先の週末の過ごし方を思い出した。
いつもは家族が待つ自宅に帰るのだが、たまにはゆっくりしたいと、一人で過ごすこともある。
で、何をするかというと、結局はスーパーに行って食材を物色し、家でゆっくりご飯を作るくらいしかやることがない。
これが50代単身赴任男性の現実だ。
哀愁漂うね。
スーパーで一番長く立ち止まるのは、鮮魚コーナーだ。
その日の気分と財布の中身と相談しながら、刺身用柵を眺めるのが、唯一と言っていい休日の娯楽である。
ブリ、マグロ、真鯛、アジ…いろんな魚が並ぶ中で、私はいつも、ある特定の魚に手が伸びてしまう。
そう、サーモンだ。
サーモンって、本当に優秀だと思うんだ。
刺身で良し、寿司で良し。
炙って塩を振るだけでもうご馳走だし、マヨネーズと玉ねぎスライスを添えれば、ちょっとしたデリ風になる。
アボカドと合わせて丼にすれば、あっという間に彩り豊かなカフェ飯のできあがりだ。
フライパンで焼けばムニエルだし、ホイル焼きもいける。
これだけ変幻自在な魚、他にいるだろうか?
いや、いない(反語)。
なのに、どうだろう。
「好きな寿司ネタは?
」なんて聞かれると、みんな口を揃えて「マグロの赤身かな、やっぱ」「光り物もいいよね」「貝類は外せない」なんて、通ぶった答えを言うではないか。
おいおい、待て待て。
本当にそう思ってるのか?
と、私はいつも疑問に思う。
居酒屋で「とりあえず枝豆と、あとは…」って言いながらメニューを眺める時、刺身盛り合わせのラインナップにサーモンが入っていると、ちょっと安心しないか?
なんというか、「ああ、ちゃんと美味しいものが提供される店なんだな」って、無意識に判断してないか?
いや、してるはずだ。
あのオレンジ色のとろりとした身は、食卓に安心と彩りを添える、まさに救世主的存在なのだ。
それなのに、なぜみんな、サーモンへの愛をひた隠しにするのだろう。
まるで「サーモンが好き」と言うことが、味覚が未熟であるかのような、あるいは「お子様舌」であるかのような、格下に見られる風潮がある気がしてならない。
これが私には、どうにも解せないのだ。
そう言えば、数年前、家族で回転寿司に行った時のことだ。
当時小学生だった娘が、まず最初に手に取ったのが、当然のようにサーモンだった。
「パパもサーモン食べようよ!
」と無邪気に勧めてくる娘に、私はニヤリと笑って「よし、じゃあパパはサーモンを食べる娘を見守る係だ」なんて、かっこつけた返事をしたのを覚えている。
で、結局、娘が飽きた頃にそっとサーモンを数皿食べた。
ああ、あの時の私は、なんと愚かだったことか。
正直に「僕もサーモンが一番好きだよ!
」と言えば良かったのだ。
なぜ、あの時、自分の本能に逆らったのか。
きっと、どこかで「サーモン好きはちょっと…」という、無言のプレッシャーを感じていたのかもしれない。
この「サーモン愛、隠しちゃう問題」について、私は一時期、真剣に悩んだ。
いや、真剣に悩むほどのことではないんだけど、気になりだすと止まらない性分なんだ。
週末、家族が自宅に帰った後の静まり返った単身赴任先のマンションで、私は一人、スマホを片手にネットの海を彷徨った。
もちろん、禁止ワードは使わない。
ただひたすら「なぜサーモンは人気なのに下に見られるのか」といった、どうでもいいキーワードで検索をかけたのだ。
すると、どうだろう。
意外な発見があった。
どうやら「サーモン」と一言で言っても、その歴史はかなり複雑らしい。
我々が普段食べている「サーモン」の多くは、実は「アトランティックサーモン」や「ニジマス」を養殖したもの。
昔から日本で食べられていたのは、産卵のために川を遡上する「シロザケ」だったそうで、これは生食には向かない。
アニサキスとか、寄生虫の問題があるからね。
で、今のように生のサーモンを寿司ネタとして食べるようになったのは、ここ数十年の話なんだとか。
ノルウェーからの働きかけで、養殖サーモンが日本に本格的に導入されたのがきっかけだという。
それまでは「鮭は焼いて食べるもの」というのが、一般的な感覚だったらしい。
なるほど。
つまり、伝統的な和食の視点から見ると、生で食べるサーモンは「新参者」なのだ。
そして、養殖技術の進歩によって、比較的安定して供給され、価格も手頃になった。
この「新参者」かつ「手頃」という点が、「格下」に見られる原因の一つになっているのかもしれない。
古くからの食文化を重んじる人たちにとっては、マグロやタイといった「昔からある高級魚」こそが至高であり、サーモンは「手軽で美味しいけど、ちょっと違うんだよな」という、どこか一段下に見る感情が生まれるのかもしれない。
そして、その「新参者」であり「手軽」であるという特性が、「子供に人気」というイメージと結びつき、結果的に「お子様舌の魚」という不当なレッテルを貼られてしまった、というのが私の勝手な結論だ。
でもさ、ちょっと待ってくれよ。
新参者だろうが、手頃だろうが、美味いものは美味いんだ。
そして、これだけ調理法が豊富で、どんな食べ方をしても「間違いがない」魚って、他にそうそうないだろう?
例えば、週末の朝、ちょっと寝坊して、でもちゃんとした朝食が食べたい時。
冷蔵庫からサーモンの刺身を取り出して、ご飯の上に並べる。
醤油をちょっと垂らして、刻み海苔でも散らせば、もうそれだけで立派な朝食だ。
これに味噌汁があれば、もう言うことなし。
単身赴任先のスーパーの鮮魚コーナーで、私はいつも思う。
ブリもいい。
マグロもいい。
でも、やっぱりサーモンなんだよな、と。
あの脂の乗り具合、口に入れた時のとろけるような食感。
いくら歴史がどうだとか、伝統がどうだとか言われても、結局、舌が求めるのはサーモンなのだ。
それに、この単身赴任生活で、私は気づいたことがある。
それは、「本当に美味しいものを、好きな時に、好きなだけ食べる」という、この上ない贅沢だ。
誰に気兼ねすることなく、自分の食欲に正直になること。
それが、週末を豊かにする秘訣だと、私は確信している。
だから、もう私は隠さない。
堂々と「サーモンが好きだ!
」と宣言する。
金曜の夜、仕事帰りにスーパーに寄る。
今日は奮発して、少し厚切りの刺身用サーモンを3パック。
ついでにアボカドと、玉ねぎのスライスに使う新玉ねぎも買っておこう。
レジで「ポイントカードはお持ちですか?
」と聞かれ、「はい、お願いします」と答える私のカゴの中には、誇らしげにオレンジ色のサーモンが鎮座している。
そして、マンションに帰って、まずはビールをプシュッと開けて一息。
今日の夕飯は、まずはサーモンの刺身をそのまま何もつけずに一切れ。
うん、美味い。
次に、醤油をちょんとつけてもう一切れ。
これまた美味い。
それから、残りのサーモンは、アボカドと新玉ねぎのスライス、マヨネーズとちょっとの醤油で和えて、ごはんに乗っける。
仕上げに刻み海苔と白ごまをパラパラと。
これはもう、至福の丼だ。
これを作るために、私は毎週、金曜まで頑張っていると言っても過言ではない。
もちろん、休日には娘たちに「パパ、またサーモン食べてるの?
」と、呆れられることは百も承知だ。
でも、いいんだ。
私は、このサーモン愛を貫く。
なぜなら、それが私の、ささやかながらも譲れない「食」へのこだわりだからだ。
週末の食卓に、サーモンがあれば、私の心は満たされる。
それがたとえ誰かに「お子様舌」と揶揄されようと、私は我が道を行く。
まあ、所詮、単身赴任のおじさんの小さなこだわりなんて、誰も気にしないんだけどね。
でも、それでいいんだ。
人生、そんなもんだ。
次回の週末は、サーモンを炙って、塩とレモンでいただこうか。
それとも、ホイル焼きにして、バターと醤油の香ばしい香りをまとわせるか。
いや、待てよ、ちょっと贅沢に、クリームチーズと合わせてバゲットに乗せるのもいいかもしれない。
ああ、考えるだけでワクワクする。
サーモンは、私の単身赴任生活に、確かな喜びと彩りを与えてくれる、かけがえのない存在なのだ。
結局のところ、香水のニオイがどうとか、サーモンがどうとか、そんなことばかり考えている私の一人暮らしは、今日も平和に、そして少しだけ豊かに過ぎていくのである。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

