名前が変わるって、なんだかソワソワする話

📝 この記事のポイント

  • 美容院で「いつも通りで」と言ったら、担当者が変わっていて微妙な仕上がりに。
  • そう、なんかこう、左右のバランスがわずかに違うというか、前髪の落ちる角度が想定と違うというか。
  • 鏡の中の私は、ちょっとだけ「誰? 」って顔をしてる。

美容院で「いつも通りで」と言ったら、担当者が変わっていて微妙な仕上がりに。

そう、なんかこう、左右のバランスがわずかに違うというか、前髪の落ちる角度が想定と違うというか。

鏡の中の私は、ちょっとだけ「誰?

」って顔をしてる。

でも、もう「やり直してください」なんて言えないよね。

だって、たぶんこれ、担当者さんからしたら「いつも通り」なんだもん。

新しい担当者の「いつも通り」と、私の知ってる「いつも通り」が、盛大にすれ違った瞬間。

「ああ、これが世に言う認識のズレってやつか」と、心の中で深いため息をついた。

この微妙な「いつも通り」のズレって、日常のあちこちに潜んでるんだよね。

例えば、娘が「ママ、あのオモチャどこ?

」って聞く「あのオモチャ」が、私にとっては「一体どれのこと?

」だったり。

夫が「冷蔵庫にあるアレ、食べちゃっていい?

」って聞く「アレ」が、私が楽しみにしていた高級プリンだったり。

いや、それ食べちゃダメなやつ!

って、毎回心の中で叫んでる。

名前がないと、指示が曖昧だと、こんなにも認識ってブレるものなんだなと、毎回しみじみ思う。

そんなことをぼんやり考えていたら、パート先の休憩室で目にした新聞記事の隅っこに、やたらと目が釘付けになった。

「中道改革連合・階猛氏、党名『なじみにくい』と変更示唆…一方、小川淳也氏は『まだ早い』と否定」。

おやおや、ここでも「いつも通り」が通じてないパターン?

って、思わずクスリとしちゃった。

いや、党名って、そう簡単に「いつも通り」じゃなくなるものなのかしら。

党名変更の議論って、なんかこう、私の美容院での出来事と似てて笑っちゃう。

誰かにとっては「なじみにくい」名前が、別の誰かにとっては「まだ早い」って。

つまり、その名前が持つ「意味」とか「イメージ」が、それぞれの頭の中で違うってことなんだろうな。

昔から「名は体を表す」なんて言うけど、まさにそれ。

名前って、そのもの自体を表すだけじゃなくて、それを受け取る側の感情とか、期待値とか、過去の記憶とか、いろんなものが複雑に絡み合って形成される「印象」みたいなものまで背負ってるんだよね。

うちの娘、小3なんだけど、クラスに同じ名前の子が3人もいるらしいの。

「ねぇ、ママ。

〇〇ちゃんと、〇〇ちゃん(漢字が違う)、〇〇ちゃん(あだ名が違う)がいるの!

」って、毎日報告してくれるんだけど、もう私には誰が誰だかさっぱり。

そこで彼女は、それぞれの子に勝手に「プリン好きな〇〇ちゃん」「走るの速い〇〇ちゃん」「いつも鼻歌歌ってる〇〇ちゃん」って、特徴を付け足して呼んでるんだよね。

それって、もはや「党名変更」ならぬ「個人名にキャッチフレーズ追加」みたいなものじゃない?

って、妙に感心しちゃった。

結局、名前だけじゃ覚えきれないから、そこに付随する情報で識別しようとする人間の性。

考えてみたら、私もよくやっちゃう。

スーパーで「あの、いつもの食パンどこですか?

」って聞かれても、「いつもの食パン」って何よ!

って思うくせに、自分も「あの、いつものコーヒー豆、新しくなった?

」とか平気で聞いちゃったりする。

店員さんの頭の中の「いつものコーヒー豆」と私の頭の中の「いつものコーヒー豆」が、果たして一致しているのか。

いや、たぶん全然違う。

レジのお姉さんに「袋、ご一緒にどうぞ」って言われて、焦って「あっ、いらないです!

」って断った後に、なんでか恥ずかしい気持ちになっちゃうのも、きっと「いつもの私」が持ってるはずのマイバッグを忘れてきたから、っていう心のズレなんだろうな。

電車に乗ってて、目の前に座ってるおじいさんが新聞を読んでるのを見かけると、ついつい記事のタイトルに目がいっちゃうんだけど、そこに書かれている固有名詞が、私にとってまるで意味をなさないものだったりすると、途端に「あ、自分とは違う世界だ」ってなる。

でも、それがもし「たまごサンド半額!

」みたいな見出しだったら、前のめりになっちゃうんだろうな。

人間って、自分にとって意味があるものには過剰に反応するし、意味がないものには無関関心。

だからこそ、「なじみにくい名前」っていうのは、もしかしたら「自分にとって意味を見出しにくい」ってことなのかもしれない。

階猛氏が「なじみにくい」って言うのは、きっと世間の人々がその党名に対して「ピンとこない」とか「何をやってる政党なのか想像しにくい」って感じてるんじゃないか、ってことなんだろうな。

私もたまに、初めて聞く海外のアーティストの名前とか、長いカタカナの料理名とか聞くと、「え、それって美味しいの?

」「どんな曲なの?

」って、頭の中に疑問符が乱立するもん。

名前が持つイメージって、本当に大事。

でも、小川淳也氏が「まだ早い」って言うのも、これまた深い。

党名って、ただの記号じゃなくて、これまで積み重ねてきた歴史とか、活動とか、そこに関わってきた人たちの思いとか、いろんなものが詰まってるはずだもんね。

それらを簡単に捨ててしまうのは、ちょっと待ってよ、っていう気持ちもわかる。

私が美容院で微妙な仕上がりになっても「あ、これ、これでアリかも…?

」って自分を納得させようとするときの心理と、ちょっと似てる気がする。

今まで慣れ親しんだものを、急に変えるのって、勇気がいるし、エネルギーもいるし、何より「新しいものが本当に良くなるのか?

」っていう不安もつきまとうもの。

結局のところ、党名変更の議論も、私の美容院での「いつも通り」の件も、娘のクラスの〇〇ちゃん問題も、スーパーの「いつものアレ」も、全部同じところに集約されるんじゃないかなって思う。

つまり、「名前」とか「呼称」とか、そういうものが持つ「意味」や「イメージ」って、人それぞれ全然違うし、それを統一するのってめちゃくちゃ難しい、って話。

でもさ、もし党名がすごくキャッチーで、「これぞ!

」っていう名前に変わったとしたら、私の頭の中にも新しいイメージが焼き付くんだろうな。

それこそ、スーパーのレジで、「本日発売!

幻のパンダパン!

お一人様一点限り!

」って言われたら、普段は買わないのに思わず手に取っちゃう、あの衝動買いみたいなもの。

名前一つで、人の行動ってこんなにも変わるんだから、政治の世界も面白いよね。

まあ、私の髪の毛も、時間が経てば伸びて、また「いつも通り」に戻るんだけどさ。

その間に、また新しい「いつも通り」を見つけられたら、それはそれで悪くないのかもしれないな。

世の中の「名前」たちも、きっとそうやって少しずつ形を変えながら、より良い「いつも通り」を探してるんだろうな。

うん、たぶん。

とりあえず、明日は娘と新しいプリンを探しに行こうっと。

名前はまだないけど、きっと美味しいはず!


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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