📝 この記事のポイント
- 電車で隣に座った人の香水が強烈で、途中下車して車両を変えた。
- もうね、鼻腔の奥までツーンとくる系のやつ。
- あれ、自分が良い匂いだと信じて疑わないんだろうなぁ。
電車で隣に座った人の香水が強烈で、途中下車して車両を変えた。
もうね、鼻腔の奥までツーンとくる系のやつ。
あれ、自分が良い匂いだと信じて疑わないんだろうなぁ。
まるで「俺の香り、どうだ!
」って全細胞で訴えかけてくるような勢いで、こっちはもう、降参。
週末のわずかな癒しを求めて、はるばる新幹線を乗り継いで家族の元へ向かってるってのに、この仕打ちはないだろう、と。
別に文句を言ったところで何も変わらないし、ただただ無言で車両を変える。
これもまた、単身赴任者のささやかな抵抗というか、諦念というか。
ま、いいか。
世の中にはいろんな人がいるんだから。
新幹線の中って、結構人間観察の宝庫だよね。
みんなそれぞれの目的地に向かって、それぞれの時間を過ごしてる。
俺はといえば、大抵は文庫本を読んでるか、イヤホンで落語を聴いてるか。
最近は、ちょっとしたコラムみたいなものを読むのが趣味で、週に一度は必ずチェックしてるウェブサイトがあるんだ。
そうそう、この前読んでて「へぇ〜」と思ったのが、詩旅紡さんっていうエッセイストのコラム。
鬱病に関する話だったんだけど、これがもう、やけに具体的で分かりやすいと評判になってるらしい。
SNSとかいうやつで、みんなが「初めて鬱というものを具体的に知った」とか言ってるのを見て、俺もちょっと読んでみたんだよね。
正直なところ、今まで「鬱」って言われても、漠然としたイメージしかなかったんだ。
なんかこう、精神的にしんどい状態、元気がない、布団から出られない…みたいな。
いや、もちろんそれも正解なんだろうけど、もっとこう、物理的な不調というか、具体的な「症状」みたいなものがあるんだって初めて知った。
例えば、頭に靄がかかったみたいに思考がまとまらないとか、今まで当たり前にできていた家事の一つ一つが、まるで巨大な岩を持ち上げるかのように重く感じる、とか。
あとは、味覚が鈍くなったり、匂いが分からなくなったりすることもあるんだって。
そういえば、あの香水のおじさんも、もしかしたら匂いがよく分からなくなって、ついつい大量に振りかけてしまっているのかもしれない、なんて一瞬だけ思ったけど、いやいや、あれは完全に確信犯の匂いだったな。
で、そのコラムを読んでいて、ふと自分の日常に目を向けてみたんだ。
俺もね、単身赴任生活が長くなってきて、たまに「これって、もしかして…」みたいな小さな不調を感じることがあるんだよ。
例えば、朝起きて、シャワーを浴びるか浴びないかで5分くらい悩んだりとかさ。
いや、別に浴びたくないわけじゃないんだ。
むしろ浴びたい。
でも、その「浴びる」っていう行為に至るまでの、服を脱いで、お湯を出して、体を洗って…っていう一連の動作が、なんかもう、すごく億劫に感じることがあるんだよね。
まるで、脳みそが「今日はもう、これ以上のタスクは受け付けません」ってストライキを起こしてるみたいな。
結局、いつもは「ええい、ままよ!
」って勢いで浴びてしまうんだけど、その葛藤に毎回5分くらい費やしてる。
この5分って、積み重なれば結構な時間になるんじゃないか、なんて、どうでもいい計算をしたりする。
そういえば、最近スーパーで買い物するのも、ちょっとだけ億劫になってきたかもしれない。
閉店間際の割引シールが貼られる時間帯を狙って行くのが、俺のささやかな楽しみなんだけど、最近は「今から行くか、いや、もう今日はカップ麺でいいか」みたいな押し問答が、心の中で繰り広げられる。
結局、カップ麺で済ませた日には、翌朝のゴミ出しの時に「ああ、またやってしまった…」って、軽い自己嫌悪に陥るんだ。
単身赴任先のアパートのごみ収集は週に二回なんだけど、プラスチックごみの日が水曜日と土曜日で、缶・ビン・ペットボトルが金曜日。
燃えるゴミは毎日出せるんだけど、曜日によって出すものが違うから、いつもカレンダーに大きく丸をして、スマホでリマインダーも設定してる。
それでも、うっかり出し忘れることがあるんだよね。
特にプラスチックごみ。
あの袋いっぱいのプラスチック容器を見るたびに、俺の侘しい食生活が白日の下に晒されるようで、ちょっとだけ恥ずかしいんだ。
で、話は戻るけど、その詩旅紡さんのコラムには、「鬱は心の風邪」なんて安易な表現では片付けられない、もっと根深く、具体的な病気なんだって書いてあった。
風邪なら薬を飲んで寝てれば治るけど、鬱はそうはいかない。
専門家の助けが必要なんだって。
それを読んで、俺も自分の「シャワー浴びるか葛藤」とか「スーパー行くか悩む」みたいな小さな不調が、もしかしたら…なんて一瞬だけ頭をよぎったんだ。
でもね、結局のところ、俺はなんだかんだで毎日会社に行ってるし、週末には家族の元へ帰って、妻とたわいもない会話をして、子供たちと公園でキャッチボールなんかもしてる。
帰りの新幹線で、疲れて寝落ちすることもあるけど、それは単に一週間の疲れであって、別に病気ではないだろう、と。
それに、俺には譲れない「些細なこだわり」があるからね。
例えば、コーヒー豆は必ず行きつけの喫茶店で、店主が手で挽いてくれたものを買う。
スーパーで売ってる挽いてあるやつじゃダメなんだ。
あと、タオルは絶対に今治タオル。
あれじゃないと、体を拭いた気がしないんだよね。
あと、靴下はいつも同じメーカーの、同じ色のやつを複数枚持ってる。
朝、どれを履こうか悩む時間すら惜しいというか、選択の余地なく手に取れる安心感が好きなんだ。
こういう、自分でも意味不明だけど譲れないこだわりがあるうちは、きっと大丈夫なんだろう、と思ってる。
あのコラムを読んで、今までモヤっとしていた「鬱」というものが、少しだけクリアになったのは事実だ。
でも、だからといって、俺の日常が劇的に変わるわけじゃない。
相変わらず週末の電車では、人の香水の匂いに辟易したり、隣の席の人がヘッドホンから盛大に音漏れさせててイライラしたりするんだろう。
そして、また来週も、朝のシャワーを浴びるか否かで5分くらい悩んで、結局は「ええい、ままよ!
」って浴びるんだ。
そうやって、なんだかんだで毎日を過ごしていく。
それが、俺みたいな50代の単身赴任おじさんの、ごく普通の日常なんだよな。
ま、たまには、誰かの言葉に触れて、ちょっとだけ立ち止まって考えてみるのも悪くない。
それで、また明日から、いつもの日常に戻るんだから。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

