📝 この記事のポイント
- 歯医者の予約をすっぽかして、受付から確認電話がきて冷や汗をかいた。
- 午後三時半、仕事の合間にちょっと一息、とコーヒーを淹れていたら、聞き慣れない固定電話の番号だ。
- 「もしもし、〇〇歯科ですけど、本日のご予約はいかがされましたか? 」と、事務的な声。
歯医者の予約をすっぽかして、受付から確認電話がきて冷や汗をかいた。
午後三時半、仕事の合間にちょっと一息、とコーヒーを淹れていたら、聞き慣れない固定電話の番号だ。
「もしもし、〇〇歯科ですけど、本日のご予約はいかがされましたか?
」と、事務的な声。
時計を見たら三時四十分。
ああ、完全に頭から抜けていた。
前の晩に子どもが夜泣きをして、寝不足でぼんやりしていたせいだ。
とっさに「あ、すみません!
今日でしたか!
大変申し訳ありません、ちょっと急用が入りまして…」と苦し紛れの嘘をついてしまった。
急用ってなんだ。
コーヒーを淹れる急用か。
結局、別の日に予約を取り直して電話を切った後も、なんとなく心臓がバクバクしていた。
たかが歯医者の予約ひとつで、こんなに罪悪感を覚えるなんて、俺もまだまだ生真面目な日本人だな、と苦笑いした。
思えば最近、こういう「あれ?
」って感じる出来事が地味に増えている気がする。
たとえば、最近始めた趣味のイラスト。
週末に時間を見つけては、リビングの隅っこでコツコツ描いている。
妻には「またそんなに集中しちゃって、ご飯の時間だよ」と呆れられつつも、なかなか楽しい。
で、たまに気が向いたときに、インターネットにそのイラストを投稿したりするんだよね。
ちょっとした交流もあって、それがまた新鮮だったりする。
そんなある日、見知らぬ人からダイレクトメッセージが届いた。
「いつも素敵なイラスト拝見しています!
特に〇〇の線の使い方が本当に素晴らしいですね!
」と、やけに具体的な褒め言葉。
正直、普段からそこまで褒められることがないから、ちょっと舞い上がった。
メッセージの相手は、なんだかすごく丁寧な言葉遣いで、こちらの作品について熱心に語ってくれる。
俺の絵のどこが良いとか、どんな表現に惹かれたとか、具体的に何点か挙げてくれるんだ。
最初は「え、こんなに俺の絵を見てくれてる人がいるんだ?
」って、純粋に嬉しかった。
自分でも気づかなかったような、絵のこだわりまで見抜いてくれるような気がして、これはもしかしたら、同じ絵を描く仲間か、あるいはすごく感性の合う人なのかもしれない、と期待したんだ。
普段は「お、いいね」くらいの反応しかもらえないから、こういう熱烈な感想は本当に心に染みる。
ちょっとした有名人気分というか、自分も捨てたもんじゃないな、なんて浮かれていた節もある。
何度かメッセージをやり取りするうちに、相手は「実は私も、以前は絵を描いていたんです」と切り出してきた。
なるほど、だからそんなに詳しいんだ、と納得。
そして「でも、思うように上達しなくて、ずっと悩んでいたんです」と続く。
ここまでは、まあ、よくある話かな、と思った。
俺だって、もっと上手くなりたいっていつも思ってるし、そういう悩みは共感できる。
相手は、そんな自分を救ってくれた「ある先生」の存在を教えてくれた。
その先生の指導のおかげで、今はもう絵を描いてはいないけれど、自分の表現に自信が持てるようになった、と力説する。
そのあたりから、少しずつ雲行きが怪しくなってきた。
「先生は、本当に素晴らしい方で、私も人生が変わりました」とか「先生のメソッドは、普通の人には教えられない特別なものなんです」とか、なんだかやたらと持ち上げるんだよね。
そして、そろそろ本題かな、というタイミングで「もしよろしければ、先生の特別講座をご紹介しましょうか?
」と来た。
その講座、期間は「たったの3ヶ月」で「あなたの才能を最大限に引き出す」という謳い文句だった。
そして極めつけは、「今なら限定で、特別なモニター価格で受講できます!
」と、ご丁寧に割引まで提示してきたんだ。
提示された金額を見て、俺は思わずコーヒーを吹き出しそうになった。
いや、マジかよ、と。
そのモニター価格とやらが、俺が想像していた額の、優に十倍はするじゃないか。
これ、もしかして、あの「期待→裏切られる」ってやつか?
いや、裏切られたのは俺の財布の方か?
なんだか、それまでの丁寧なやり取りや、絵に対する熱烈な褒め言葉が、全部この高額な講座に誘導するための前フリだったのかと思うと、一気に冷めた。
もちろん、すぐに断った。
「すみません、ちょっと今のところ、そこまでの余裕がなくて…」と、またもや苦し紛れの当たり障りのない嘘。
相手からは「そうですか…残念です…」という、絵文字なしの短い返信が来て、それきり連絡は途絶えた。
いや、まあ、期待した俺がバカだった、というのもある。
世の中、そんなに都合の良い話ばかりじゃないんだよな。
でも、ちょっとだけ悔しかったのは、あの人が本当に俺の絵を褒めてくれていたのか、それとも単なる営業トークだったのか、結局わからずじまいだったことだ。
もしかしたら、本当に良いと思ってくれていたのかもしれないし、でも、そうだったら、なんであんな高額な話に繋げようとするんだ?
と、ぐるぐる考えてしまった。
でも、意外と悪くない、というか、むしろこれで良かったのかもしれない、とも思うんだ。
もしあの講座を受けていたら、俺は本当に絵が上手くなっていたんだろうか。
それとも、高いお金だけ払って、結局「やっぱり才能なかったな」と落ち込んでいた可能性もある。
そう考えると、事前に「これは違うな」と気づけて、変な深入りをせずに済んだのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
人生って、そういうもんだよな、と最近つくづく思う。ちょっとした期待が裏切られたり、思わぬ展開になったり。それは絵のDMだけじゃなくて、日常のあちこちに転がっている。
たとえば、うちの近所に住む山田さん家の猫。
真っ白で、いつも気だるそうに庭で日向ぼっこをしている、ちょっと太っちょな猫だ。
俺は勝手に「もち」と呼んでいる。
ある日の夕方、妻の実家から晩ご飯のおすそ分けをもらいに歩いていたら、そのもちが、なんと俺に向かって鳴きながら近づいてきたんだ。
普段は人見知りで、俺が声をかけてもフンと鼻を鳴らすだけなのに。
これはもしかして、俺のことが好きになったのか?
と、ちょっと期待した。
もしかしたら、今夜は俺の膝の上でゴロゴロしてくれるんじゃないか?
なんて、脳内ではすでに猫カフェのオーナー気分。
ところが、もちが俺に擦り寄ってきたのは、俺が持っていたコンビニの袋に、魚の匂いがしていたからだった。
妻のお母さんが作ってくれた、アジの南蛮漬けが入っていたのだ。
もちが俺の足元をぐるぐる回って、袋に鼻を近づけようとする。
期待はあっけなく裏切られた。
俺じゃなくて、魚かよ、と。
でも、そのもちは、魚の匂いを嗅ぎつけると、満足したように俺の足元に座り込んで、しばらくの間、俺の帰り道を一緒についてきてくれたんだ。
魚はやらなかったけど、もちは俺の足元でゴロゴロと喉を鳴らしている。
いつもの人見知りな態度じゃなく、なんだかちょっとだけ心を開いてくれたような気がして、それはそれで嬉しかった。
結局、もちが家に着く手前で曲がり角に消えていくまで、俺はなんだか温かい気持ちで歩いていた。
山田さんとは、普段、庭の手入れをしている時に、ちょっと世間話をするくらいの関係だ。
「いやぁ、最近、猫が妙に懐いてくれましてね」なんて話したら、「あら、珍しいわねえ。
あの猫、人見知りだから」と、意外そうに言われた。
「もしかして、なにか美味しいものでも持ってました?
」と、鋭い指摘。
俺は「いやぁ、まさか」と、とぼけておいた。
そんなちょっとしたやり取りも、近所付き合いの面白いところだ。
深入りしすぎず、でも適度な距離感で、お互いの生活を共有する。
歯医者のすっぽかしで冷や汗をかいた日も、DMで変な業者に引っかかりそうになった日も、近所の猫に期待を裏切られた日も、結局のところ、悪くない一日だった。
期待が裏切られることで、新しい気づきがあったり、ちょっとだけ心が軽くなったりする。
人生なんて、そんな小さな「あれ?
」と「まあ、いっか」の繰り返しなのかもしれない。
そして、その中に、ふと温かい気持ちになる瞬間が隠れていたりするんだよね。
明日もまた、なんだかんだで面白い一日になるんだろうな、と、冷めたコーヒーを飲みながら、ぼんやりと空を見上げた。
夕焼けが、今日のモヤモヤを全部洗い流してくれるような、優しい色をしていた。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

