📝 この記事のポイント
- こんなにも清々しいのに、僕の心は靴下迷子センターと化していた。
- 乾燥機の奥深くで、あるいは排水溝の向こう側で、異世界転生でも果たしたのだろうか。
- 妻に聞けば「また? ちゃんとポケット確認したの? 」と、いつもの定型文が返ってくるのが目に見えている。
洗濯物を干していたら、靴下の片方がない。
これで今月3枚目である。
ベランダで呆然と空を見上げた。
青い空に白い雲が浮かんでいる。
こんなにも清々しいのに、僕の心は靴下迷子センターと化していた。
一体どこへ消えたんだ、僕のパートナーよ。
乾燥機の奥深くで、あるいは排水溝の向こう側で、異世界転生でも果たしたのだろうか。
妻に聞けば「また?
ちゃんとポケット確認したの?
」と、いつもの定型文が返ってくるのが目に見えている。
子どもたちに至っては、片方だけの靴下を「あ、お父さんの!
また独りぼっちになっちゃったんだね!
」と、まるで僕が孤独な中年男の象徴であるかのように扱ってくる。
いや、それは事実なんだけどさ。
朝からこんな調子で、週末の家族サービスに臨むのは正直しんどい。
今日は長男の少年野球の練習試合で応援係、その後は娘のピアノ発表会の衣装合わせに付き合い、夜はスーパーで特売の豚肉を巡る争奪戦に参加する予定だ。
僕の週末は、まるでヘヴィメタルのアルバムジャケットみたいにカオスだ。
混沌と暴力と、たまに意味不明な美しさが垣間見えるような。
ヘヴィメタルのアルバムジャケット、あれって本当に面白いんだよね。
昔、まだ僕が中学生で、世の中のすべてのことに反抗してやろうと意気込んでいた頃、お小遣いを握りしめてCDショップに通っていた。
当時はインターネットなんてまだ普及してなくて、音楽との出会いは雑誌のレビューか、あとはジャケットのインパクトが全てだった。
で、ヘヴィメタルのコーナーに足を踏み入れると、もうそこは異世界だった。
ドラゴンの背中に跨る筋肉ムキムキの戦士、血しぶき舞う戦場、骸骨が山積みの地獄絵図。
それはもう、思春期の僕の心を見事に鷲掴みにした。
今思えば、あれらのジャケットの多くは、かなり「攻めてる」というか、一周回って「ダサい」の域に達しているものも多かった。
いや、「ダサい」なんて口にするのも憚られるくらい、とんでもないデザインもあった。
例えば、黒い背景に、なぜか緑色の液体が滴る髑髏が描かれていて、その髑髏の目がぎょろっとしている、みたいな。
いや、それだけならまだいいんだけど、その髑髏の隣に、やたらとデフォルメされた悪魔がニコニコしながら立ってる、とか。
悪魔なのにニコニコって、どういうことなんだろう。
当時、僕の心を捉えたのは、その狂気じみたセンスだった。
「これ、本当に格好いいのか?
」と、友達と顔を見合わせながらも、なぜか惹かれてしまう魔力があった。
ジャケットの絵のタッチも、筆で描いたようなものから、妙にリアルなCG、果ては合成写真なのか判別不能なコラージュまで様々だ。
特に、メンバーの顔写真がやたら大きく配置されていて、しかもその顔が全員真顔で、何とも言えないシュールさを醸し出しているやつ。
あれなんか、もう芸術の域だ。
本人たちはきっと真剣なんだろうけど、見る側からすると「で、この人たちは何がしたいんだろう?
」という疑問符しか浮かばない。
僕なんか、思わず吹き出しそうになって、親に「変な顔しないでご飯食べなさい!
」って怒られたこともあったっけ。
先日、長男が僕の昔のCDコレクションを見つけてきた。
段ボール箱の奥底に眠っていた、あの頃の僕の青春の証だ。
「パパ、これ何これ!
この人たち、顔がすごいよ!
」長男が指差していたのは、まさにあの真顔のバンドのCDだった。
ジャケットには、メンバー全員が、なぜか蛍光色のスーツを着て、真剣な面持ちでこちらを見つめている。
まるで「お前もこっちの世界に来い」と誘っているかのような。
横から覗き込んだ娘が「おばけみたい」と呟いた。
いや、おばけじゃない、おばけじゃないんだよ。
これは、パパが若かりし頃、本気で痺れていた音楽なんだ。
「いやぁ、これはね、パパが若い頃に聴いてた、その、何ていうか、すごく力強い音楽なんだよ」と説明しようとしたら、長男が「この絵、パパが描いたの?
」と聞いてきた。
僕は思わず「まさか!
」と答えたが、よく考えてみれば、僕が小学生の頃に描いていた怪獣の絵に似ているかもしれない。
いや、似ているどころか、僕の怪獣の方がまだリアルだったような気さえする。
あのジャケットの絵、あれはもう、狂気としか言いようがない。
でも、変なんだよな。
その「ダサさ」が、なぜか愛おしいと感じる時がある。
一周回って「美しい」とさえ思えてくる。
それは、作り手たちの「これでいいんだ!
」という、確固たる信念が伝わってくるからなのかもしれない。
周りの評価なんて気にしない、自分たちが信じる道を突き進む。
その姿勢が、結果的に見る者の心を揺さぶる。
まるで、片方だけになった靴下が、それでも何かを訴えかけてくるような。
「パパ、今日はお昼ご飯、何にする?
」妻の声が、僕を現実へと引き戻した。
僕は慌てて洗濯物を取り込み始めた。
片方だけの靴下は、結局見つからないままだった。
きっと、どこかで新しい仲間と出会い、新しい世界で羽ばたいているのだろう。
そう信じることにしよう。
さて、午前中の少年野球の練習試合、長男はきっと張り切っているはずだ。
ユニフォームの泥だらけになった姿を想像する。
帰ってきたら、また泥だらけの洗濯物が僕を待っている。
それが僕の日常だ。
そして、午後の娘のピアノ発表会の衣装合わせ。
フリフリのドレスを試着して、くるくる回る娘の姿を想像する。
その眩しい姿に、僕はきっと目を細めるだろう。
その合間に、スーパーでの特売豚肉争奪戦。
これはもう、戦場だ。
まさにヘヴィメタルのジャケットそのままの世界。
買い物カゴを盾に、僕は豚肉へと突撃する。
隣では、妻が「これ、本当に必要?
」と冷静に尋ねてくるだろう。
いや、必要だ。
この豚肉がなければ、今夜の食卓は成り立たない。
僕の人生は、なんだかんだで、あのヘヴィメタルのジャケットみたいだ。
混沌としていて、時々理不尽で、でも時々、妙に惹かれる瞬間がある。
家族との時間は、まるで激しいギターリフの合間に訪れる、美しいメロディのようなものだ。
僕自身も、かつては尖っていたはずなのに、今や靴下の片方さえ見つけられない40代の男だ。
でも、それでいいんだ、と思う。
片方だけの靴下だって、僕にとっては大切な存在だ。
いつか、新しい相方を見つけて、再びペアとして活躍してくれる日が来るかもしれない。
いや、来ないかもしれない。
でも、それでもいい。
次にCDショップに行くことがあれば、きっと僕はまたヘヴィメタルのコーナーに足を運ぶだろう。
そして、奇妙なジャケットのCDを見つけたら、思わず手に取ってしまうに違いない。
長男と娘に「これ、すごいね!
」と言われながら、きっと苦笑いするんだろうな。
夕食の準備中、妻が「そういえば、あなたのお気に入りの、あの変な絵のCD、どこやったの?
」と聞いてきた。
「ああ、あれ?
長男が学校に持って行って、友達に見せてたみたいだよ。
みんなで『これ、何?
』って騒いでたってさ」と答えると、妻は呆れたように笑っていた。
ああ、僕の青春は、こうして子どもたちの手によって、新たな形で世に放たれていくんだな。
靴下の片割れは行方不明のままだが、僕のヘヴィメタル魂は、きっと彼らの中で生き続ける。
そう、たぶん。
いや、きっと。
いや、やっぱり無理かな。
でも、それでいいじゃないか。
明日は、また新しい一日が始まる。
新しい靴下の片方が、どこかで僕を待っているかもしれない。
僕の人生は、まだ始まったばかりだ、なんてね。
さて、今夜はビールでも飲みながら、あの奇妙なジャケットを眺めて、もう一度青春を噛み締めてみようか。
そして、片方だけの靴下を眺めながら、僕の人生の迷子センターを想像してみよう。
きっとそこには、たくさんの個性的な靴下たちが、それぞれの物語を紡いでいるに違いない。
僕の靴下も、その物語の一部なんだ。
うん、そう思うと、少しだけ心が軽くなる。
たぶん。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。


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