📝 この記事のポイント
- 帰宅したら、同じ建物の別の部屋のドアを開けようとしていた。
- 鍵を差し込もうとしたところで、ドアノブの形がいつもと違うことに気づく。
- あれ、なんでだろう、と首を傾げたところで、ようやく「あ、ここ、隣の部屋だ」と我に返った。
帰宅したら、同じ建物の別の部屋のドアを開けようとしていた。
鍵を差し込もうとしたところで、ドアノブの形がいつもと違うことに気づく。
あれ、なんでだろう、と首を傾げたところで、ようやく「あ、ここ、隣の部屋だ」と我に返った。
まったく、我ながら呆れる。
もう何度もこういう経験をしているというのに、一向に学習能力が働かない。
隣の部屋の方には本当に申し訳ない、と心の中で平身低頭しつつ、そそくさと自分の部屋のドアを開けた。
幸い、中に誰もいなかったようで、ホッと胸をなで下ろす。
こういう間抜けなことをやらかすたびに、そろそろボケが始まったのか、なんて心配になるけれど、まあこれも日常のささやかなスパイスだと思えば、許せる気もする。
いや、許していいのか。
定年して五年、私の日常はすっかり自分勝手なリズムで回っている。
朝は陽が高くなってからようやく目を覚まし、熱いお茶を淹れて新聞を広げる。
天気予報を確認し、今日は散歩か、釣りかと、その日の気分で決める。
妻はもう数年前に他界し、子供たちもそれぞれ家庭を持っているから、私を縛るものは何もない。
あるとすれば、週に一度、地域の公民館で開かれる囲碁教室の定例会くらいだろうか。
それだって、前日になって急に腰が痛いとか、雨が降ったとか、適当な理由をつけてはサボることが常態化している。
正直、囲碁の腕前もさっぱり上達しないのは、きっとそのせいだろう。
いや、もっと根本的な才能の問題かもしれない。
先生にはいつも「加藤さん、またサボったんですか」と苦笑されるが、そういう顔を見るのも、なんだか悪くない。
そんな自由気ままな日々を送る私にも、ひとつだけ、どうしても外せない「約束」があった。
それは、年に一度の人間ドックだ。
これもまた、妻が生きていた頃からの習慣で、「健康だけが取り柄なんだから、ちゃんと見てもらいなさい」と口酸っぱく言われていたものだから、さすがにこれだけは守ってきた。
正確には、守ろうとはしている。
いつも予約を忘れて、実施期間のギリギリになって慌てて電話をかけ、残り少ない枠の中から、どうにか都合の良い日を見つけてもらう、というのがお決まりのパターンだった。
今年は少し早めに予約しよう、と心に誓ったはずなのに、例によってすっかり頭から抜け落ちていた。
気づけば、来週が締切日。
慌ててパソコンを開き、予約サイトにアクセスした。
なんとか来週の火曜日に空きを見つけ、ホッと一息。
あとは、飛行機の座席を選ぶような感覚で、人間ドックの受診時間を選ぶだけだ。
午前中の早い時間帯はすでに埋まっていて、昼過ぎの枠しか残っていなかった。
仕方ない、とポチッと選択ボタンを押したところで、画面に奇妙なメッセージが表示された。
「この座席は、安心できない座席です。
同意の上で、ご予約を確定しますか?
」とある。
安心できない座席?
なんだ、それは。
一瞬、目を疑った。
いや、人間ドックでしょ?
飛行機じゃないんだから。
まさか、選んだ時間帯だと検査結果が怪しくなるとか、そういうことだろうか。
あるいは、担当する医師が若すぎて経験が浅いとか、そういう理由でもあるまいし。
頭の中でいくつもの疑問符が飛び交う。
「安心できない」という言葉の響きが、妙に不安を煽る。
まるで、某少年探偵が近くにいる席を選んでしまったような、そんな不穏な空気が漂っている。
もしかして、この時間帯は、何か事件が起こりやすいとか?
いやいや、そんなはずはない。
私はミステリー小説の読みすぎで、少し頭がおかしくなっているのかもしれない。
しかし、このメッセージ、どうにも気味が悪い。
これを選んだら、何か恐ろしいことが起こるのではないか。
バリウムを飲んだ後、トイレが混雑していて、絶体絶命のピンチに陥るとか。
あるいは、採血で何度も失敗されるとか。
そんな、日頃から漠然と抱いている不安が、この「安心できない」という言葉によって、一気に現実味を帯びてくる。
いや、待てよ。
落ち着け、加藤。
これは飛行機の座席ではない。
ましてや、サスペンスドラマの舞台でもない。
きっと、何かシステム上の都合があるのだろう。
たとえば、昼過ぎの枠だと、午前中に比べて待合室が混雑するとか、検査の進行が遅れがちになるとか、そういう類いのことかもしれない。
あるいは、単に「午前中の早い時間帯に比べると、待ち時間が発生する可能性があります」というような注意書きを、システム担当者がちょっと大げさに表現してしまっただけなのかもしれない。
そう考えると、少し気が楽になった。
それにしても、「安心できない」とは、なかなかインパクトのある言葉を選ぶものだ。
これでは、まるで何かを隠しているかのように聞こえるではないか。
結局、他に選択肢もないし、このまま予約しないわけにもいかない。
ええい、ままよ、とばかりに「同意する」のボタンを押した。
すると、すぐに「ご予約が確定しました」というメッセージが表示され、ホッと胸をなで下ろす。
なんだ、別に何も起こらないじゃないか。
拍子抜けするほどあっけない幕切れだった。
私は苦笑しながらパソコンを閉じ、ふと、この「安心できない座席」の話を、囲碁教室の面々に話したら、どんな反応が返ってくるだろう、と考えた。
きっと、「加藤さん、また変なこと言ってるよ」と笑われるのがオチだろう。
だが、それでもいい。
こんな些細な出来事でも、誰かに話せば、少しは面白おかしくなる。
それが、私の日常を彩る、小さな楽しみのひとつなのだ。
人間ドック当日。
朝食を抜いて、指定された時間に病院へと向かった。
やはり、昼過ぎの枠だったからか、待合室はそれなりに混み合っていた。
なるほど、これか。
「安心できない」の正体は。
待ち時間のことだったのか、と妙に納得した。
それでも、私は文庫本を持参していたから、時間を潰すのは苦ではなかった。
むしろ、いつもより長く本を読める、と前向きに捉えることができた。
検査は順調に進み、バリウム検査も難なくクリア。
採血も一度で成功した。
特に「安心できない」ような事態は何も起こらなかった。
むしろ、看護師さんたちがとても親切で、安心して検査を受けることができた。
唯一、予想外だったのは、検査後のランチだ。
病院内のレストランで使える食事券をもらっていたので、そこで昼食をとることにした。
胃カメラを飲んだ後だから、消化に良いものを選ぼう、とメニューを眺めた。
すると、病院食とは思えないほど美味しそうなカツ丼の写真が目に入った。
いやいや、ダメだろ。
胃に負担がかかる。
そう思いつつも、私の手は勝手にカツ丼を指差していた。
「これ、お願いします」と店員さんに告げた後、我に返って後悔した。
健康診断の直後にカツ丼を食べるなんて、本末転倒じゃないか。
これもまた、私の「約束を守れない自分」エピソードの一つに加わることだろう。
翌日、公民館の囲碁教室で、私はこの「安心できない座席」の話を披露した。
案の定、みんなは笑い転げた。
「加藤さん、それはシステムのエラーだよ」「きっと、混雑しますよ、って意味だったんだよ」と口々に言う。
しかし、私は確信している。
あれは、ただのシステムエラーではない。
きっと、何か壮大な、いや、壮大でもない、ごくごく些細な「不都合」を暗示するメッセージだったのだ。
そして、その不都合とは、カツ丼を食べてしまう私の意志の弱さだったのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は囲碁盤に向き合う。
今日もまた、先生に「加藤さん、またサボったんですか」と言われないよう、ちゃんと出席した。
約束を守れたこと自体が、なんだか奇跡のように思える。
そして、盤上の石を眺めながら、ふと気づく。
囲碁だって、一手一手が「安心できない」選択の連続だ。
次にどんな手が飛んでくるか分からない。
それが面白いのだ。
人生もまた、安心できないことばかり。
でも、だからこそ、少しだけ面白いのかもしれない。
私の日常は、今日もまた、小さな「安心できない」出来事を織り交ぜながら、のんびりと続いていく。
そして、明日もまた、隣の部屋のドアを開けようとしないように、気をつけなければならない。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。


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