📝 この記事のポイント
- スーパーのレジで並んでいた時、前の人のカゴの中身が気になってしまった。
- これはもう、人間の性みたいなものだと思う。
- だって、他人の冷蔵庫の中身を覗き見するのと同じくらいの、ある種の背徳感と好奇心が同居してるんだもん。
スーパーのレジで並んでいた時、前の人のカゴの中身が気になってしまった。
これはもう、人間の性みたいなものだと思う。
だって、他人の冷蔵庫の中身を覗き見するのと同じくらいの、ある種の背徳感と好奇心が同居してるんだもん。
今日の夕飯何だろう、とか、この人、健康志向なのかな、とか。
私の場合、ついつい「あ、そのドレッシング美味しいやつ!
」とか、「え、冷凍のたこ焼き、私も買おうと思ってたんだよね!
」って心の中で話しかけてしまう。
もちろん、声には出さないけど。
出した日には、ただの不審者だからね。
その日、私の前に並んでいたのは、品の良さそうなおばあさまだった。
カゴの中には、高級食パンと、ちょっとお高めなハム、それから小ぶりのフルーツトマト。
そして、なぜか、缶ビールが6本パック。
しかも、私が普段飲まないような、ちょっと渋めの銘柄。
その瞬間、私の頭の中には、一本のストーリーが立ち上がった。
「あら、今日は孫が来るのかしら。
お嫁さんはお料理上手だから、食パンとハムは孫のために。
トマトは、お口直しにいいわね。
で、缶ビールは…おじい様用?
いや、でも、おじい様が亡くなってからは、ずっと一人暮らしって言ってたような…まさか、おばあさま、ご自身で召し上がるのかしら!
」って。
いや、ちょっと待って。
勝手に他人の人生劇場を脳内で繰り広げるのはやめよう、私。
でも、この推測ゲーム、結構楽しいんだよね。
で、缶ビール6本パックの謎が解けないまま、お会計が終わってしまった。
おばあさまは、颯爽とエコバッグに詰めて、足早に去っていった。
私は残された疑問符を抱えたまま、自分のカゴの中身をレジの店員さんに差し出した。
猫のエサと、納豆、あと半額になったお惣菜の唐揚げパック。
うん、これぞ私の生活。
誰がどう見たって、一人暮らしで料理が苦手な人間が買いそうなものばかりだ。
ある意味、潔い。
そんな他人のカゴの中身から、なぜか最近よく耳にする「鉄道は座ってご乗車いただくのが基本」という話に思考が飛んだ。
地方路線が生き残るためには、全席着席を徹底すべきだ、という意見。
一瞬、「なるほど!
」と膝を打ったんだけど、すぐに「いや、待てよ?
」と頭を傾げた。
だって、通勤電車とか、ラッシュ時に全席着席なんて、無理ゲーにもほどがあるじゃない。
寿司詰め状態の車内で「座ってご乗車ください」って言われたら、どうする?
みんなで座禅でも組むのかしら。
それとも、互いの膝の上に座る「人間椅子」状態?
それはそれで、ちょっとしたアトラクションになりそうだけど、毎日は勘弁願いたい。
でも、地方路線ってなると話は変わってくるのかもしれない。
私も以前、一人旅で地方のローカル線に乗ったことがある。
あの時は、本当にガラガラだった。
一両編成のディーゼルカーに、私を含めて乗客は5人くらい。
みんな、窓の外の景色をぼーっと眺めたり、文庫本を読んだり、あるいは、ひたすら寝ていたり。
私も猫の写真を眺めてにやにやしたり、車窓を流れる田園風景を眺めては、都会の喧騒から離れた自分に酔いしれたりしてた。
そういう路線なら、全席着席どころか、一人でボックス席を占領して足を投げ出すことだってできる。
なんなら、シートを倒して寝そべることだって、物理的には可能なんじゃないか、とさえ思った。
もちろん、しないけど。
あの時のローカル線は、まさに「移動する喫茶店」みたいな趣だったな。
いや、喫茶店ってほどおしゃれじゃなくて、「移動する昭和の居間」って感じかな。
畳こそないけど、妙な落ち着きがある。
都会の電車って、常にピリピリしてるじゃない?
みんな、目に見えないバリアを張って、互いに干渉しないようにしてる。
イヤホンをして外界をシャットアウトしたり、眉間にしわを寄せて本を読んだり。
でも、あの時のローカル線は、なんていうか、みんなが「ここにいる」ことを許容し合ってるというか。
おばあちゃんが大きな声で電話してても、誰も気にしない。
高校生が漫画を読んでゲラゲラ笑ってても、別に誰も注意しない。
それぞれの空間が、ゆるやかに共存してる感じ。
で、そこでふと思ったんだよね。
地方路線が生き残るための「全席着席」って、単に座れるかどうかの問題じゃないんじゃないかって。
座ることで得られる「ゆとり」とか「くつろぎ」が、サービスの質として求められてるんじゃないかと。
だって、もし私が都会の通勤電車で毎日満員で押しつぶされそうになってるとして、週末に旅行で地方の電車に乗ったとするじゃない?
そしたら、やっぱり座りたい。
なんなら、景色の良い窓側を確保して、駅弁でも広げて、ぼーっと外を眺めたい。
そういう「体験」が、地方路線の魅力になるんじゃないかなって。
移動手段としてだけじゃなくて、それ自体が観光コンテンツになるような。
私も、休日に猫を連れて実家に帰る時、いつも同じ路線を使うんだけど、あれも結構、地方路線に近い雰囲気があるんだよね。
途中までは都会の喧騒を走るんだけど、ある駅から先は急に本数が減って、乗客もまばらになる。
ボックス席も結構空いてたりするから、猫が入ったキャリーバッグを隣の席に置いて、のんびり外を眺めながら帰るのが好きだ。
猫も、電車に揺られてると大人しくなるし、たまに窓の外を不思議そうに眺めてるのが可愛いんだよね。
隣の席に知らない人が座ってきても、猫がいると「あら、可愛いわね」なんて話しかけられたりして、ちょっとした交流が生まれることもある。
都会の電車じゃ、まずないことだ。
だから、あの「全席着席」の提案は、あながち的外れじゃないのかもしれない。
座席を確保することで、乗客に「ここでの時間は、ゆっくり過ごしていいんだよ」というメッセージを送ってるような気がする。
都会の電車が「早く着くこと」を追求する乗り物だとすれば、地方の電車は「道中を楽しむこと」を目的とする乗り物になる。
そう考えると、座席の配置とか、窓の大きさとか、そういうのも含めて、車両全体のデザインも変わってくるんじゃないかな。
座席の座り心地が良いとか、景色がよく見えるとか、そういうプラスアルファの価値が、きっと地方路線の生き残る道になるはずだ。
前に、ある電車の中で、親子連れが向かい合わせのボックス席に座って、お弁当を広げてるのを見たことがある。
子どもが「ママ、このおにぎり美味しい!
」って言ってて、お母さんもにこにこしながら「そうでしょ、おばあちゃんが作ってくれたのよ」なんて会話をしてて。
その光景を見てたら、なんだか心が温かくなったんだよね。
都会の電車じゃ、そんな風景、まず見かけない。
みんな、ひたすら目的地を目指して、時間との戦いをしてる。
でも、地方路線では、あのゆったりとした時間が許される。
それは、単に人が少ないから、というだけじゃなくて、そこに「座ってゆっくり過ごす」という選択肢があるからこそ生まれる空気なんじゃないかな。
私は、料理が苦手で、ついついスーパーのお惣菜に頼りがちだけど、それでもたまに、時間をかけて煮込み料理を作ったりする。
手間はかかるけど、出来上がった時の満足感とか、じんわりと広がる温かさって、お惣菜じゃ味わえないものがある。
それと同じで、移動に時間がかかっても、そこで得られる「ゆとり」や「くつろぎ」が、地方路線の特別な価値になる。
そう考えると、私にとっての「最高の移動体験」って、座って猫を膝に乗せて、窓の外の景色を眺めながら、ちょっといいお菓子でもつまんでる、みたいな状況なんだよね。
あ、そのお菓子は、できればスーパーで気になった、ちょっといいやつがいいな。
そして、その移動の先には、美味しいご飯が待っている、と。
もちろん、私が作るんじゃなくて、誰かが作ってくれたやつ。
そう、まるでレジ前のおばあさまのビールのように、誰かの暮らしを想像しながら、自分のささやかな幸せを夢見る。
結局のところ、みんな、ちょっとしたゆとりと、ささやかな楽しみを求めて生きてるんだよね。
電車も人も、そういうものなんじゃないかなって、缶ビールの謎を解けないまま、今日も私は猫を撫でながら思ったのでした。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。


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