📝 この記事のポイント
- 「パパ、また靴下食べられたの? 」 隣で自分のハンカチを干している小学校低学年の娘が、まるで定番のギャグであるかのように笑いながら聞いてくる。
- だって、本当に「そこにあったはずなのに、きれいに跡形もなく消え失せる」のだから。
- 犯人は間違いなく洗濯機の中のブラックホールだ。
洗濯物を干していたら、靴下の片方がない。
これで今月3枚目である。
「パパ、また靴下食べられたの?
」
隣で自分のハンカチを干している小学校低学年の娘が、まるで定番のギャグであるかのように笑いながら聞いてくる。
食べられた、か。
いや、そう表現したくなる気持ちもわかる。
だって、本当に「そこにあったはずなのに、きれいに跡形もなく消え失せる」のだから。
犯人は間違いなく洗濯機の中のブラックホールだ。
ドラム式の奥深くに吸い込まれて、二度と戻ってこないあの感覚。
僕はため息をつきながら、残された片割れの靴下を、もう会うことのない恋人を思うかのようにそっと洗濯ばさみで挟んだ。
これが、僕の日常の小さな迷宮の始まりだ。
「もうさ、片方だけになった靴下で靴下貯金でも作るか?
いつか奇跡的に再会する日まで、大切に保管しておくの」
妻が隣で洗濯物を畳みながら、少し呆れたような、でもどこか面白がっているような声で言った。
「いや、そんなことしたら家が片割れ靴下だらけになるよ。
そのうち貯金箱から靴下が溢れてきて、僕が埋もれてしまう」
「あら、それも面白いじゃない。
靴下山で遭難したパパ、みたいな」
娘と息子までがその会話に加わり、「パパ遭難!
」「助けなきゃ!
」と、僕の周りを走り回り始める。
平和な週末の朝だ。
こんな馬鹿げた会話の中にこそ、僕たちの日常の「あるある」が詰まっているような気がする。
消えた靴下、探し物、見つからないリモコン。
誰かが隠したわけでもないのに、なぜかいつも行方不明になるものたち。
それはきっと、この世界のどこかに存在する、僕たちには見えない「日常の隙間」に吸い込まれているのだ。
そんなことを考えていたら、ふと先日ネットニュースで見た記事を思い出した。
なんでも、沖縄の鍾乳洞で、人気の声優さんがイベントをしたという話。
花宮初奈さん、という方だったかな。
普段からよくアニメを見る僕としては、声優さんの名前には結構詳しい方だ。
ライブイベントならホールとかスタジアムが定番だろうに、まさか鍾乳洞とは。
普段は薄暗くてひんやりした場所というイメージしかない鍾乳洞が、ステージになって、照明が当たって、大勢のファンが熱狂している光景を想像しただけで、なんだか脳みそがバグを起こしそうになる。
僕の消えた靴下が吸い込まれるブラックホールも、もしかしたらこんな鍾乳洞の奥深くへと続いているのかもしれない、なんて、突拍子もないことを考えてしまった。
鍾乳洞のイベント、と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、小学生の頃に行った社会科見学だ。
当時はまだそんなに観光地化されていなくて、薄暗い洞窟の中を、ガイドさんの懐中電灯の明かりだけを頼りに進んでいった記憶がある。
天井から水滴がポタポタ落ちてきて、自分の声が変に反響する。
足元はぬかるんでいて、ひんやりした空気が肌を刺す。
あの時、友達と「おばけが出そう!
」「化け物が潜んでる!
」なんて言いながら、半泣きで進んだっけ。
そんな場所に、まさか今どきの声優さんが来て、歌ったり話したりするなんて。
時代の流れを感じると同時に、なんだかロマンチックで、ちょっとシュールだ。
「ねえパパ、次のお休み、どこか行かないの?
」
息子が、洗濯物を畳み終えた僕の足元に転がっていたバスケットボールを拾い上げながら聞いてきた。
「どこ行きたいの?
」
「うーん、鍾乳洞!
」
僕は思わず吹き出した。
鍾乳洞。
まさか、あの記事を彼が見たわけでもないだろうに。
「どうして鍾乳洞なの?
」
「だって、パパがさっき、鍾乳洞、鍾乳洞ってぶつぶつ言ってたじゃん。
なんか面白そう」
ああ、僕の心の声が漏れていたのか。
家族に秘密は作れない。
特に、まだ耳が良い子どもたちには。
「鍾乳洞かあ……。
暑い沖縄の鍾乳洞なら涼しくて気持ちいいかもしれないけど、こっちの鍾乳洞はねえ……。
ちょっと寒いかもよ?
」
「寒いのやだ!
」
食い気味に答える息子に、僕は苦笑いするしかない。
だよね、小学生男子には、やっぱりもっと体を動かせる場所の方がいいだろう。
考えてみれば、僕も鍾乳洞は好きだ。
あの非日常的な空間、時間を忘れてしまうような神秘的な雰囲気に、どこか惹かれる。
天井からぶら下がる鍾乳石や、下からせり上がる石筍が、何万年もの時間をかけて作り出された造形美を見せつけてくれる。
きっと、声優さんのイベント会場になった鍾乳洞も、そんな圧倒的な自然の芸術品の中で、歌声が響き渡ったのだろう。
想像するだけで鳥肌が立つ。
僕の日常の、あの消えた靴下の片割れを探す迷宮とは、まるで違うスケールの迷宮だ。
しかも、その鍾乳洞、どうやら他の女性声優さんも過去にイベントをしたことがあるらしい。
つまり、あの鍾乳洞は、声優イベントの聖地と化している可能性すらあるのだ。
鍾乳洞の中で推しを応援する。
想像を絶する体験だろう。
僕の推し、といえば、やっぱり家族なわけで。
家族が楽しそうに笑っているのを見ているのが、一番の幸せだ。
だから、鍾乳洞での声優イベントも素敵だけど、僕としては、家族と行く普通の動物園とか水族館の方が、やっぱりしっくりくる。
まあ、でも、もし万が一、僕が声優さんのイベントに行くことになったとして、それが鍾乳洞だとしたら、きっと普段のイベントとは違う、記憶に残る体験になるだろうな。
しかし、そうやって鍾乳洞に思いを馳せていても、現実の僕の目の前にあるのは、相変わらず片方だけの靴下だ。
残された片割れは、まるで「僕の相棒はどこへ行った?
」と訴えかけているかのように、洗濯ばさみからぶら下がっている。
「パパ、その靴下、もう捨てちゃえば?
」
娘が真顔で言った。
「いや、もしかしたら、いつか洗濯機のブラックホールから、突然相棒が戻ってくるかもしれないだろ?
」
「そんなことあるわけないじゃん」
息子が鼻で笑う。
子どもたちは現実的だ。
僕のささやかなロマンチックな希望は、彼らにとってはただの妄想でしかないらしい。
でも、諦めきれないんだよなあ。
だって、たまに、本当にたまにだけど、数週間後に全く別の洗濯物の間に挟まって、ひょっこり見つかることがあるんだ。
その時の感動たるや、失われたピースが戻ってきたような、ちょっとした奇跡にすら感じる。
だから、僕はいつまでも希望を捨てられない。
「いい?
パパ、今度から靴下は洗濯ネットに入れるの。
そしたら、迷子にならないから」
妻が、完全に僕の行動パターンを見透かしたような口調で、僕に言い聞かせる。
「うん、わかってる。
わかってるんだけどねえ……」
「『わかってるんだけどねえ』が一番ダメなやつだからね」
妻の言葉は厳しい。
しかし、その通りだ。
僕だって、洗濯ネットに入れるべきだとは百も承知だ。
でも、なぜか、洗濯ネットに入れようとすると、他の洗濯物と一緒になってしまったり、あっちこっちに散らばっていたりして、結局面倒になってそのまま洗濯機に放り込んでしまう。
この「面倒くさい」という悪魔のささやきに、いつも負けてしまうのだ。
僕の意思の弱さよ。
でも今回は違う。
今回こそは、と、僕は心に誓う。
次からは、必ず洗濯ネットを使う。
片方だけになった靴下が増えるのはもう嫌だ。
この鍾乳洞のような深淵を抱える洗濯機から、これ以上犠牲者を出したくない。
残された片割れたちの、悲しげな眼差しに耐えられない。
「よし、今度こそ、徹底するぞ!
」
僕は拳を握りしめ、自分に言い聞かせる。
子どもたちは「また言ってる」という顔で僕を見ているし、妻は小さく笑っている。
まあ、無理だと思われているだろうな。
僕自身も、正直、自信がない。
だって、僕の「今度こそ」は、だいたい「また今度」に変わってしまうのが常だから。
でも、いいんだ。
僕の日常は、そんな小さな失敗と、それに対する家族の笑い声で彩られている。
消えた靴下探しも、鍾乳洞でイベントをする声優さんのように、どこか非日常的な、ちょっとした冒険なのかもしれない。
そう考えると、まあ、悪くないかな、なんて、残された片割れの靴下を眺めながら、僕はまた小さく笑うのだった。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。


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