📝 この記事のポイント
- 回転寿司で、隣のレーンの皿が気になって自分の注文を忘れた。
- いや、正確には、隣の家族連れのお父さんが、小学校低学年くらいの娘さんに「これ、マグロだよ。
- 美味しそう? 」なんて優しく声をかけながら、娘さんが指差した皿をすっと取ってあげる光景に見惚れてしまったのだ。
回転寿司で、隣のレーンの皿が気になって自分の注文を忘れた。
いや、正確には、隣の家族連れのお父さんが、小学校低学年くらいの娘さんに「これ、マグロだよ。
美味しそう?
」なんて優しく声をかけながら、娘さんが指差した皿をすっと取ってあげる光景に見惚れてしまったのだ。
自分の皿が目の前を通り過ぎていくのも気づかずに。
ああ、うちも早く娘と回転寿司に行きたいなあ。
なんてしみじみしているうちに、妻が頼んだ「炙りえんがわ」が目の前で停車して、ようやく我に返った。
危ない、危ない。
俺の今夜の夕食当番のメニューは、「炙りえんがわ」だったはずだ。
そんな平和ボケした日常を送っている俺だが、最近、ちょっとした冒険を始めた。
きっかけは、玄関のドアノブがガタつくようになったことだ。
そろそろ直さないとな、と思いながら数週間が過ぎ、ある日、妻から「ねえ、いつになったら直すの?
毎朝、ドアが開かない夢を見るんだけど」と、ちょっとしたホラーじみたクレームが入った。
さすがにこれはいけない。
週末の夕食当番を免除してもらうことを条件に、ドアノブ修理大作戦を決行することにした。
まずは近所のホームセンターへ向かったのだが、どうもピンとこない。
いや、別に悪いわけじゃない。
むしろ、ガーデニング用品の品揃えは素晴らしいし、ペットコーナーの子犬は可愛い。
でも、なんだろう、こう、プロの「気迫」みたいなものが感じられないというか。
俺が求めているのは、もっとこう、現場の汗と埃が染み付いたような、男臭い、それでいてどこか頼りになる、そんな資材の匂いがする場所だったのだ。
いや、別に俺がプロの職人なわけじゃないんだけどね。
ただのドアノブ修理なのに、なぜか妙に気合が入ってしまったのだ。
そんなとき、ふと思い出したのが、職場の先輩が話していた「会員制ホームセンター」のことだった。
「あそこはマジでプロしかいないからな。
ビス一本買うのにも覚悟がいるぞ。
素人がフラフラ入っていくと、職人さんの視線で焼き尽くされるからな」なんて、冗談交じりに言っていたのが頭から離れない。
その先輩は、DIYどころか、電球交換も奥さんに任せるタイプなのに、なぜかその店には妙なリスペクトを抱いていたのだ。
その話を聞いてから、俺の中で「会員制ホームセンター=選ばれし者の聖域」というイメージが膨らんでいた。
よし、行ってみよう。
俺は生まれついての楽天家だ。
職人さんの殺伐とした視線で焼き尽くされるなら、それはそれで「貴重な体験」と割り切ればいい。
妻に「ちょっと聖地巡礼に行ってくる」と告げ、いつものユニクロのTシャツとカーゴパンツという、完全に「素人」丸出しの格好で、その会員制ホームセンターへと向かった。
店の入り口には、いかにも頑丈そうな鉄製のフェンスが設置されており、その先には「会員専用」の看板が。
まるで秘密基地の入り口みたいで、なんだかワクワクする。
受付で会員登録を済ませ、晴れて「会員」の腕章をつけ、いざ店内に足を踏み入れる。
最初に感じたのは、独特の匂いだった。
木材の香り、金属の匂い、そして微かに油の匂い。
普通のホームセンターとは一線を画す、無骨で力強い香りが充満している。
そして、噂に違わぬ「職人さん率」の高さだ。
作業着に身を包んだ屈強な男たちが、黙々と商品を選んでいる。
誰もが真剣な顔つきで、まるで戦場に向かう兵士のようだ。
俺は背筋を伸ばし、なるべく視線を合わせないように、まるで透明人間になったかのように店内をさまよった。
しかし、目的はドアノブのビスだ。
ビスコーナーへ行くと、そこには想像を絶する種類のビスが並んでいた。
長さ、太さ、頭の形状、材質、色。
もう、ビスというより、まるで生き物だ。
それぞれが独自の役割と個性を持っているように見える。
どれがうちのドアノブに合うのか、全く見当がつかない。
途方に暮れて立ち尽くしていると、後ろから「どうしましたか?
」と声がした。
振り返ると、いかにも職人さんといった風貌の、ちょっと強面のおじさんが立っていた。
「あ、いや、ドアノブのビスを探しているんですけど、種類が多すぎて…」とモゴモゴ答えると、おじさんはフッと鼻で笑い、「素人さんだね」と一言。
俺は内心、「やっぱり焼き尽くされるのか…!
」と身構えた。
しかし、おじさんは意外にも優しい口調で「どれどれ、見せてみな」と、俺の持っていた外れたビスを手に取った。
「ああ、これはこれだね。
ちょっと長い方がいいかな。
これにしな」と、あっという間に適切なビスを選んでくれたのだ。
しかも、そのビスについて「これはな、湿気にも強いから長持ちするぞ」なんて豆知識まで教えてくれた。
俺は感動した。
職人さんの殺伐とした空気感、なんて勝手に想像していたが、実際は、そこにはプロならではの「面倒見の良さ」があったのだ。
おじさんは、「また困ったら声かけな」と言い残して去っていった。
その背中が、まるでゴルゴ13のように頼もしく見えたのは、きっと錯覚じゃない。
俺は選んでもらったビスを握りしめ、心の中で「ビスは生き物」と唱えた。
レジに並ぶと、隣にはこれまたいかにも職人さんといった感じの男性が、大量の木材を精算していた。
すると、レジの店員さんが「あれ、田中さん、今日の現場はあっちですか?
」と声をかけた。
田中さんは「ああ、そうだよ。
そっちの現場もぼちぼち仕上げだな」と答える。
どうやら、この店では、店員さんとお客さんの間に、まるで近所のコンビニの店員さんと常連客のような、アットホームな会話が繰り広げられているらしい。
俺が想像していた「プロ専用の殺伐とした空気感」なんてものは、どこにも存在しなかったのだ。
そして、俺の番。
店員さんが「ビス一本ですね。
ありがとうございます」と、にこやかに精算してくれた。
その笑顔は、普通のスーパーのレジの店員さんと何ら変わらない。
俺はなんだか拍子抜けして、でも同時に、ホッと胸をなでおろした。
ああ、人生って、こういうものだよな。
勝手に期待して、勝手に想像を膨らませて、いざ現実に直面すると、意外な側面が見えてくる。
そして、それがまた悪くない。
むしろ、想像をはるかに超える「優しさ」や「面白さ」に満ちていたりする。
帰り道、俺は手に入れたビスをポケットの中で転がしながら、ニヤニヤが止まらなかった。
今日の収穫は、ドアノブのビスだけじゃない。
職人さんの優しさに触れて、人の温かさとか、世の中の懐の深さを改めて感じられたことだ。
そして、何より、自分の勝手な思い込みが、どれだけ現実とかけ離れているかを再認識できたこと。
家に帰って、早速ドアノブを修理した。
選んでもらったビスは、まるで誂えたかのようにぴったりだ。
ガタつきは解消され、ドアノブは滑らかに動くようになった。
妻に「直したよ!
」と報告すると、「あら、ありがとう。
でも、ちゃんと閉まるか心配で、まだ夢に出てくるんだけど」と、なぜかまだホラーじみたことを言われたが、まあそこはご愛嬌。
会員制ホームセンターでの体験は、俺にとって、ちょっとした人生の縮図のようなものだった。
期待して、裏切られて、でもその先に、想像とは違うけれど、意外と悪くない、むしろ心地よい発見がある。
近所付き合いも、きっとそうだ。
最初は警戒したり、変に気を遣ったりするけれど、一歩踏み込んでみれば、意外な共通点が見つかったり、ちょっとした助け合いがあったりする。
まあ、うちの隣の家は、いつも玄関にカメの置物が置いてあって、それが季節によって微妙に服装を変えているんだけど、あれは一体何なんだろう。
今度、勇気を出して聞いてみようかな。
もしかしたら、そのカメの置物にも、深い「プロのこだわり」が隠されているのかもしれない。
人生、まだまだ知らないことだらけで、面白いもんだね。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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