📝 この記事のポイント
- 書店で立ち読みしていたら、知らない人に話しかけられて焦った。
- 「その本、面白いですよね」と、いきなり背後から声をかけられたのだ。
- いやいや、面白くても面白くなくても、今、僕は集中してこの文庫本の冒頭数ページを吟味している最中なんだ。
書店で立ち読みしていたら、知らない人に話しかけられて焦った。
「その本、面白いですよね」と、いきなり背後から声をかけられたのだ。
いやいや、面白くても面白くなくても、今、僕は集中してこの文庫本の冒頭数ページを吟味している最中なんだ。
この「面白そうだけど、本当に買うほどではないかもな」という葛藤の尊さを、あなたは理解しているのか。
僕は基本的に、一度手に取った本はなるべく元の場所に戻したいタイプの人間で、それが新刊書店の未読本だろうと、古本屋の値札が貼られた既読本だろうと、本棚に整然と並べられた状態こそが完成形だと信じている。
だから、ちょっとでも立ち読みの痕跡を残してはいけない、と、まるでスパイのような緊張感で書棚に本を差し戻す。
その瞬間に声をかけられると、なんだか万引き犯が確保されたような気分になる。
違う、違うんだ、僕はただ、この本の表紙とタイトルの間に潜む「思ってたんと違う」という罠を回避したかっただけなんだ、と心の中で叫びつつ、「ああ、はい…」と極めて曖昧な返事をして、そそくさとその場を後にした。
まったく、どこにでも変わった人はいるもんだ。
そんなことを考えながら、僕は名古屋の地下鉄の駅へと向かっていた。
単身赴任先の僕にとって、名古屋という街はまだ少しだけよそよそしい。
もちろん、味噌カツは美味しいし、手羽先も最高だ。
名古屋メシのポテンシャルは計り知れない。
が、いかんせん、まだ「地元」とは呼べない距離感がある。
たまに週末、気が向くとふらりと栄や大須のあたりを散策するんだけど、その日もたまたま大須演芸場という看板の前を通りかかった。
小さな芝居小屋だ。
その日の演目を見て、僕は「ん?
」となった。
演目自体はよくある寄席なんだけど、そこに書かれていた「名古屋山三郎」という名前が、どうにも気になったのだ。
名古屋山三郎。
なんだか字面からして、すごく色っぽい。
いや、別に僕がそっちの趣味があるとかじゃなくて、なんだろう、こう、歌舞伎役者とか、宝塚のトップスターとか、そういう「役どころ」としての色気が漂っている、とでも言えばいいのか。
その日の夜、僕はスーパーで買った半額の刺身パックと、レトルトの牛丼を肴に、一人で晩酌をしていた。
普段は自炊がメインなんだけど、週に一度か二度、こういう「手抜きデー」を設けている。
レトルト食品は偉大だ。
レンジでチンするだけで、そこそこの温かい食事が摂れる。
ただ、僕にはこだわりが一つある。
それは、レトルトの牛丼をどんぶりに入れる際、必ずご飯の真ん中にくぼみを作り、そこに牛肉を流し込む、というものだ。
このくぼみがないと、ご飯と牛肉が均等に混ざり合わない気がして、どうにも落ち着かない。
誰に言われたわけでもないし、なんなら適当に混ぜてしまえば一緒じゃないか、と自分でも思うんだけど、これは譲れない。
一種の儀式みたいなものだ。
そんなことを考えながら牛丼をかきこんでいると、ふと、昼間に見た「名古屋山三郎」という名前が頭に浮かんだ。
あの名前の響き、そして大須演芸場のちょっと古めかしい佇まい。
なんだか、すごく絵になるんじゃないか、と。
そこで僕は、ちょっと調べてみることにした。
単身赴任先の狭いアパートで、スマホ片手に「名古屋山三郎」と検索する。
出てきたのは、想像通りの、いや、想像をはるかに超える「男」だった。
写真を見て、僕は思わず「うわっ!
」と声を上げてしまった。
これは、安野モヨコ先生の漫画から抜け出してきた男だ。
いや、むしろ、安野モヨコ先生が彼の生き様を見てキャラクターを描いたんじゃないか、とすら思える。
あの、ちょっと鼻にかかったような、それでいて芯のある目つき。
顎のライン。
そして、なんといっても、あの色気だ。
なんというか、どこか退廃的で、それでいて情熱的。
ちょっと近寄りがたいけど、一度その魅力に触れたら、もう二度と抜け出せないような、そんな匂いがする。
ああ、これは「美人画」ならぬ「美男画」の題材になるだろうな、と、僕の脳内では勝手に安野モヨコ先生が筆を走らせていた。
安野モヨコ先生の漫画に出てくる男たちって、みんなそうじゃないか。
例えば『ハッピー・マニア』のヒデジ。
あの、一見ダメ男なんだけど、いざという時にはとんでもない男気を見せる、あの感じ。
あるいは『働きマン』の菅原文哉。
仕事はできるのに、どこか不器用で、妙に色っぽい。
そして、『シュガシュガルーン』のピエールなんか、もう「美形悪役」の究極系だ。
彼らに共通しているのは、単なるイケメンではない、ということだ。
顔立ちが整っているのはもちろんだけど、それ以上に、その内面から滲み出る「匂い」がすごい。
ちょっと影があって、何を考えているのか読めない部分もあるんだけど、だからこそ、余計に惹きつけられる。
名古屋山三郎という人は、まさにその系譜に連なる男だった。
あの、歌舞伎役者とも違う、独特の「男の色気」。
なんというか、生きてるだけで芝居になってしまうような、そんな存在感がある。
調べていくうちに、名古屋山三郎さんが大衆演劇の座長であること、そしてご自身の劇団「劇団錦」を率いていることもわかった。
大衆演劇かあ。
僕も一度だけ、熱海の温泉宿で見たことがある。
その時は、おばあちゃんたちが熱狂的に応援している姿が印象的で、「ああ、こういう世界もあるんだな」と思ったくらいだったんだけど、まさかこんなにも安野モヨコ的な男がそこにもいるとは。
いや、きっと、僕がその時見た演劇にも、そういう「匂い立つ男」はいたのかもしれない。
ただ、僕の感性が、まだそこまで振り切れていなかっただけなんだろう。
大衆演劇って、もっとこう、泥臭くて、情に厚い、みたいなイメージがあったんだけど、彼の写真を見ていると、一気にそのイメージが刷新された。
これは、一度生で見てみたい。
あの、舞台の上で、彼が一体どんな表情を見せるのか。
どんな仕草で、観客を魅了するのか。
僕の単身赴任生活に、新たな「見てみたいものリスト」が加わった瞬間だった。
ただ、ここで一つ、僕の「些細なこだわり」が発動する。
名古屋山三郎さんの舞台を見に行くなら、やはり、一番良い席で見たい。
そして、できれば、その日の演目についても、事前にきっちり予習をしておきたい。
例えば、彼の演じる役柄が、江戸時代の遊び人なのか、それとも武士なのか。
その役柄の背景にあるストーリーを、ある程度頭に入れておかないと、彼の表現の妙を十分に味わえない気がするのだ。
映画やドラマだって、何も予備知識なしに見るのと、原作を読んでから見るのとでは、感動の深さが違う。
ましてや、生身の人間が演じる舞台だ。
これはもう、ある程度の心構えが必須だろう。
そのためには、チケットの予約状況も確認しないといけないし、劇団の公式サイトも隅々まで読み込まなければならない。
ああ、なんだか、急にやることが増えたな。
こういう時、僕はいつも「やることリスト」を頭の中で構築するんだけど、そのリストが長くなればなるほど、実際の行動に移すまでの時間が長くなる、という悪癖がある。
結局、その日は、名古屋山三郎さんの舞台を見るという夢想だけで終わった。
僕の目の前には、相変わらずレトルトの牛丼がどんぶりに盛られ、刺身パックの残骸が散らばっている。
食後の片付けも、もちろん僕の仕事だ。
食洗機なんて気の利いたものは付いていないから、洗い物は全部手作業。
シンクに溜まった食器を、一つ一つ丁寧に洗っていく。
その作業中、ふと、あの書店での出来事を思い出した。
見知らぬ人に声をかけられて焦った、あの瞬間。
あの時、僕は手に取っていた本の内容を全く覚えていなかったんだけど、今になって思えば、あれはきっと、旅に関するエッセイだった気がする。
いや、正確には、旅先のホテルで遭遇したちょっと変わった人との交流を描いた、みたいな内容だったような。
しかし、結局のところ、名古屋山三郎さんの舞台を見に行く計画は、僕の「やることリスト」のかなり下の方に位置したままだ。
日々の仕事に追われ、週末はたまった洗濯物を片付けたり、一週間分の食材をスーパーに買い出しに行ったりしていると、なかなか腰が上がらない。
それに、名古屋山三郎さんの舞台は、夜の公演が多いらしい。
単身赴任先で一人暮らしの僕にとって、夜に出かけるのは、なんだかちょっとハードルが高いのだ。
特に、平日の夜なんて、仕事が終わってから急いで支度して、電車に乗って、終演後にまた電車で帰ってきて…と考えると、それだけで疲れてしまう。
ああ、もう歳なのかな。
でも、頭の片隅には、あの「安野モヨコの男」がずっと居座っている。
いつか、本当に、彼の舞台を見に行きたい。
そして、その時は、きっと、僕の生活に何らかの変化が訪れるんだろう。
いや、もしかしたら、何も変わらないかもしれない。
それでもいいのだ。
日々の生活の中で、こうして「見てみたいもの」「体験してみたいこと」が増えていく、という事実自体が、なんだかちょっと豊かな気分にさせてくれる。
今日も僕は、スーパーで半額になったお惣菜を探しながら、レジのおばちゃんの「ポイントカードありますかー」という声に、精一杯の笑顔で「ないです!
」と答える。
僕の日常は、相変わらず、そんな小さな出来事の連続で、名古屋山三郎さんの舞台は、まだ少しだけ遠い夢のままだ。
まあ、それも悪くないか。
いつかその日が来た時のために、レトルト牛丼のくぼみだけは、これからも完璧に作り続けてやろう、と、僕は心に誓うのだった。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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