ムッチリスタイルとソヴリンレイン、ときどき僕の料理事情

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📝 この記事のポイント

  • 久しぶりに料理をしたら、塩と砂糖を間違えて悲惨な結果になった。
  • 正確に言えば、昼食にチャーハンを作ろうとして、味付けの最後に「隠し味にひとつまみ」と砂糖の瓶から白くてサラサラした粉をぱらりと入れたら、それがまさかの塩だったのだ。
  • いや、瓶には「しお」と「さとう」と、妻の達筆な字で書いてある。

久しぶりに料理をしたら、塩と砂糖を間違えて悲惨な結果になった。

正確に言えば、昼食にチャーハンを作ろうとして、味付けの最後に「隠し味にひとつまみ」と砂糖の瓶から白くてサラサラした粉をぱらりと入れたら、それがまさかの塩だったのだ。

いや、瓶には「しお」と「さとう」と、妻の達筆な字で書いてある。

なのに、なぜ僕はよりによって「さとう」の瓶に入った「しお」を、何の疑いもなくチャーハンに投入したのか。

それはもう、完全に僕の思い込みと、いつもの「妻任せ」な生活からくる油断としか言いようがない。

普段は妻がすべてを仕切ってくれるキッチン。

僕はせいぜい、言われた通りに野菜を洗うか、完成した料理を皿に盛り付ける程度の「お手伝い要員」だ。

在宅勤務になって、昼食だけは自分でなんとかする、という暗黙のルールが生まれたのだが、レパートリーは限りなく少ない。

今日のチャーハンも、冷凍ご飯をチンして、冷蔵庫に残っていた卵とネギとハムを適当に炒めるだけの、いわば「お一人様適当ランチ」の代表格だ。

そんな手抜き料理に、せめてもの彩りを、と僕は無意識に「隠し味」という名の冒険に挑んでしまった。

一口食べれば、もう、そこは塩田だった。

口の中がキンとするようなしょっぱさ。

これ、もう料理じゃない。

塩の塊だ。

もちろん、幼児がいる手前、食べ物を粗末にするわけにはいかない。

捨てるに捨てられず、しかし食べるに食べられない塩漬けチャーハンを前に、僕はしばし呆然としていた。

その日の昼食は、結局、スーパーで買ってきた半額のおにぎりで済ませることになったのは言うまでもない。

妻にその話をしたら、「もう、なんでちゃんと見ないの!

」と呆れられ、同時に「次からはちゃんと私が分けて書いてあげるから」と優しいフォローが入った。

いつか笑い話になるだろう、と自分に言い聞かせつつ、しょっぱい思い出として脳裏に刻まれたのは言うまでもない。

僕の人生、こういった「ちょっとズレてる」出来事が多い気がする。

そんな「ちょっとズレてる」感覚は、僕の最近のささやかな娯楽にも通じるところがある。

それは、一口馬主だ。

いや、一口馬主と言っても、大富豪が何億円も出すような世界とはまるで違う。

クラブ法人というものがあって、数百人から数千人で一頭の馬を共同所有する、というのが僕のやっていることだ。

月々数千円から、高くても数万円程度の出資で、G1レースを夢見られる。

僕のような庶民が、競馬場で自分の出資馬が走るのを観る、というのは、まあ、ちょっとした非日常というか、夢を見させてくれる仕組みなのだ。

在宅勤務で家にいる時間が増え、どこにも出かけられないストレスが溜まっていた頃、何気なくネットで競馬の記事を読んでいるうちに、この世界に足を踏み入れていた。

妻には「パチンコと一緒じゃないの?

」と訝しがられたが、「いや、投資だから。

資産形成だから」と、苦しい言い訳で納得させた(多分)。

初めての出資馬は、それこそ「夢」を抱かせてくれるような、優雅な名前だった。

まるで夜空を駆ける流星のような、ロマンチックな響きを持つ名前。

僕もその名前に魅せられて、何十万円という、僕にとっては清水の舞台から飛び降りるような金額を出資したのだった。

結果?

まあ、語るまい。

僕の夢は、あっけなく散った。

そう、この手の娯楽は、まさに「沼」なのだ。

一度ハマると、なかなか抜け出せない。

でも、諦めきれない。

そんな時に、ふと目にしたのが、ある競走馬の名前と、その出資者のコメントだった。

その馬の名前は「ソヴリンレイン」。

響きからして、高貴で優雅なイメージが漂ってくる。

まるで英国王室の庭園に降る、静かで美しい雨のようだ。

父はあのディープインパクト、母も海外の重賞ウィナーという血統。

それこそ、サラブレッドの中のサラブレッド、といった感じだ。

きっと、この馬の出資者たちは、その名前を聞くたびに胸が高鳴り、輝かしい未来を想像したに違いない。

クラシックレースを制覇し、凱旋門賞へ――そんな壮大な夢を描いていたことだろう。

まさに、僕が最初に抱いた夢そのものだ。

ところが、である。

同じクラブで、とんでもなく、いや、あまりにもギャップの激しい名前の馬がいた。

「ムッチリスタイル」。

初めてその名前を見た時、僕はコーヒーを吹き出しそうになった。

ソヴリンレインの、あの気品と風格はどこへ?

ムッチリスタイル。

このネーミングセンス、一体どういうことなのだ。

いや、僕の頭の中に浮かんだのは、子供の頃に食べた、やたらとクリームの詰まったシュークリームとか、お祭りの屋台で売っていた、異様に膨らんだベビーカステラとか、そういう「ムッチリ」した食べ物のイメージだった。

あるいは、僕の腹回りの肉とか。

いやいや、まさか。

調べてみると、この「ムッチリスタイル」という名前は、その馬の出資者の一人が、子馬の頃の姿を見て「むっちりしていて可愛かったから」という理由で提案したものらしい。

そして、それがなぜか採用されてしまった、という経緯があるそうだ。

いや、待て。

クラブ法人の命名委員会は、何を考えているのだ。

ソヴリンレインと並べて、ムッチリスタイル。

その温度差たるや、北極とサウナくらい違うではないか。

きっと、このムッチリスタイルを命名した出資者さんは、他の高貴な名前の馬たちの中で、自分の馬が唯一無二の存在感を放つことに、ある種の快感を覚えているのかもしれない。

あるいは、純粋にその馬の個性を表現したかっただけ、という無垢な気持ちだったのか。

どちらにせよ、そのセンスには脱帽するしかない。

そして、そのムッチリスタイルが出走したレース後の、出資者さんのコメントがまた秀逸だった。

「ムッチリスタイル、お疲れ様でした。

今日は出遅れてしまいましたが、最後はムッチリとした走りを見せてくれました。

次こそは、ムッチリと捲り上げてくれることを期待しています!

」だそうだ。

いや、もう「ムッチリ」言いすぎだろう。

もう、ムッチリという言葉がゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

この出資者さんの頭の中では、すべての馬がムッチリしており、すべての走りがムッチリしているのではないか、とすら思えてくる。

この一件で、僕の「一口馬主」に対する認識は少し変わった。

それまでは、高貴な血統と優雅な名前こそが、G1への道だと信じて疑わなかった。

だが、ムッチリスタイルの登場は、そんな僕の凝り固まった常識を、優しく、しかし確実に打ち砕いてくれたのだ。

馬主の世界も、結局のところ、人間がやっていることなのだ。

真面目な顔して、実は心の中でムッチリを連呼している人がいるかもしれない。

そう思うと、なんだか世の中、すべてが愛おしく見えてくるから不思議だ。

結局、僕もまた、ムッチリスタイルに魅せられた一人になった。

次に一口出資するなら、いっそ「ヨロシクメタボ」とか「ゴロゴロプリン」とか、そんなちょっと脱力系の名前の馬を選んでみようか、なんて冗談を妻に言ってみたら、「そんな馬、絶対いらないからね」と即答された。

まあ、そうだろう。

子供が生まれた今、さすがにそんな無謀な出資はできない。

しかし、僕の心の中には、確かにムッチリスタイルの残像が、今もムッチリと居座っている。

塩と砂糖を間違えたチャーハンも、ムッチリスタイルも、僕の人生のちょっとした「ズレ」が生み出す、愛すべきユーモアの一部なのだろう。

完全無欠なものよりも、ちょっと欠けていたり、意図せず笑えたりする方が、案外、心に残るものだ。

世の中、完璧なものばかり追い求めていると、見落としてしまう面白いことがたくさんある。

僕の趣味も、一度は飽きて離れたけれど、結局また戻ってきてしまう。

まるで、あの塩と砂糖の瓶のように、いつの間にか中身が入れ替わっていることだってあるかもしれない。

次こそは、ちゃんと確認してから、隠し味を入れよう。

そして、いつか僕の出資馬が、ムッチリスタイル並みのインパクトでターフを駆け抜ける日を、密かに夢見ているのだ。

その名は、きっと僕のセンスで、世間を斜めから見るような、クスッと笑える名前にしてみようかな、と、また勝手な妄想を膨らませては、妻に白い目で見られる日々なのである。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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