スタバで抹茶ラテを頼む友人と、靴下の片方がない僕の話

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📝 この記事のポイント

  • それとも、乾燥機が異世界へワープさせているのか。
  • いや、犯人はだいたい僕か、小学二年生の息子か、はたまた小学五年生の娘か、妻の誰かなのだ。
  • 我が家では、靴下はなぜかいつも片方だけ行方不明になる。

洗濯物を干していたら、靴下の片方がない。

これで今月3枚目である。

どういうことだ。

洗濯機が勝手に食ってるのか。

それとも、乾燥機が異世界へワープさせているのか。

いや、犯人はだいたい僕か、小学二年生の息子か、はたまた小学五年生の娘か、妻の誰かなのだ。

我が家では、靴下はなぜかいつも片方だけ行方不明になる。

まるで神隠しに遭ったかのように忽然と姿を消すのだ。

もう、いっそ最初から片方だけで売ってくれないだろうか。

そうすれば、こんな理不尽な喪失感に苛まれることもないだろうに。

さて、そんなしょんぼりした気分のまま、先日、大学時代からの友人と久しぶりに会うことになった。

彼は僕と同じ40代、独身貴族を謳歌しているように見えるが、きっと彼なりの苦労もあるのだろう。

たまに会って、くだらない話をするのが僕たちの恒例行事になっている。

この日は、駅前のちょっとおしゃれなカフェ、いわゆる「スタバ」で待ち合わせをした。

僕はこういう場所は、正直ちょっと気後れしてしまうタイプだ。

メニューの名前が横文字ばかりで、どれを頼めばいいのか毎回悩む。

普段は「ブレンドコーヒー、グランデで」と呪文のように唱えるのが精一杯。

しかし、今日は友人が一緒なので心強い。

待ち合わせの時間より少し早く着いた僕は、店内のテーブル席を確保し、友人を待った。

しばらくして、彼がひょこっと現れた。

「おー、久しぶり!

元気?

」と軽快な挨拶を交わし、僕らはカウンターへと向かった。

彼とは来る前にメッセージで「何飲む?

」と確認し合っていて、「ココア飲みたい気分なんだよね、甘いやつ」と彼が言っていたのを覚えている。

僕は「じゃあ俺はいつものコーヒーにするわ」と返しておいた。

だから、てっきり彼はココアを頼むものだと思っていたのだ。

いざ、僕らの番。

カウンターで店員さんの笑顔に迎えられ、友人が先に注文を始めた。

「いらっしゃいませ!

」と爽やかな声。

友人はメニューボードをチラリと見て、一瞬、迷うような素振りを見せた。

僕は彼の隣で、心の中で「ココア、ココア…」と念じていた。

いや、別に念じる必要はないのだけれど。

すると、友人はおもむろに口を開いた。

…は?

思わず、僕は二度見してしまった。

抹茶ラテ?

ココアじゃなかったのか?

僕の脳内では「ココア」という単語が高速でリフレインしていたのに、彼の口から出てきたのは「抹茶ラテ」という、まるで別の銀河の飲み物だった。

店員さんは慣れた様子で「かしこまりました。

サイズはどうされますか?

」と尋ねる。

友人は「トールで」と涼しい顔で答えている。

僕の心臓は、まるで洗濯機の中で行方不明になった靴下を探すかのように、バタバタと音を立てていた。

僕は呆気に取られながらも、自分の番になったので「ブレンドコーヒー、グランデで」といつもの呪文を唱えた。

友人は僕の驚いた顔に気づいたのか、「あ、ごめんごめん!

なんか急に抹茶の気分になっちゃってさー」と悪びれる様子もなく笑った。

いやいやいや、気分って、そんなに急に変わるもんなのか?

僕は数分前まで「ココア」と言っていた彼の言葉を信じ切っていたのだ。

まるで、子供が「今日のお昼ご飯はカレーがいい!

」と言っていたのに、いざ食卓に出されたら「やっぱりラーメンがいい!

」と言い出すような、そんな理不尽さを感じた。

しかし、よく考えてみれば、僕も似たような経験があるような、ないような。

いや、ある。

断じてある。

例えば、妻とスーパーに買い物に行って、「今日のおかずはハンバーグがいいな!

」と意気揚々と言っていたのに、いざ肉売り場に立ったら、美味しそうな鯛の切り身が目に入り、「やっぱり鯛めしにしようか」と豹変することが、たまにある。

いや、「たまに」ではない。

「しょっちゅう」かもしれない。

妻にはいつも「また始まった」という顔をされる。

子供たちも「パパ、ハンバーグは?

」と不満げな顔をする。

そのたびに僕は「いや、でも鯛も捨てがたいだろ?

」と苦し紛れの言い訳をするのだ。

そして、その鯛めしが完成するまでの間、僕の心の中ではハンバーグへの未練が渦巻いている。

「ああ、あの肉汁たっぷりのハンバーグも捨てがたかったなあ…」と。

結局、どちらを選んでも後悔する。

それが人間の性なのだろうか。

いや、多分僕の優柔不断な性格が原因なのだろう。

まさに「隣の芝生は青い」状態が、僕の場合、目の前のメニューボードでリアルタイムに展開されている感じだ。

家に帰って、妻に友人の話をすると、「あら、あなたも一緒じゃない」と笑われた。

まさに図星。

僕も友人と同じで、その場の気分や、ちょっとした誘惑に弱いのだ。

人間って面白い。

事前にあれこれ計画を立てたり、心に決めたりするけれど、いざその場になると、全く別の選択肢が魅力的に見えてしまう。

特に、選択肢が多ければ多いほど、その傾向は強くなる気がする。

スタバのメニューなんて、まさにその最たる例だろう。

季節限定のドリンクがキラキラと僕を誘惑してくる。

あれを「限定」と言われると、ついグラッときてしまう。

僕の小学生の子供たちもそうだ。

休日の朝、「今日はお出かけしようか?

」と聞くと、息子は「公園でブランコ!

」、娘は「デパートでおもちゃ見たい!

」とそれぞれ意見を主張する。

で、いざ出発しようとすると、息子は「やっぱり家でゲームしたい!

」、娘は「友達と遊びに行く!

」と、直前になって全く違うことを言い出す。

僕と妻は「え、じゃあ何のために準備したの…」と脱力する。

まさに、友人の「ココア」が「抹茶ラテ」に変わる瞬間の、親版である。

僕自身がそうだから、彼らを強く叱ることもできない。

まさに、蛙の子は蛙。

でも、まあ、そういうものなのかもしれない。

人生は選択の連続で、その選択を直前で変える自由だって、あっていいじゃないか。

もちろん、それで周りの人に迷惑をかけるのは良くないけれど、自分の中で完結する範囲であれば、大いにアリだろう。

僕だって、次にスタバに行ったとき、いつものコーヒーを頼むつもりでいたのに、店員さんの「本日のオススメは、キャラメルナッツラテでございます」なんて言葉を聞いたら、きっと一瞬で心が揺らぐだろう。

そして、最終的には「キャラメルナッツラテ、トールでお願いします!

」と、まるでココアを抹茶ラテに変えた友人と同じように、涼しい顔で注文している自分が目に浮かぶ。

その結果、家に帰って妻に「今日はキャラメルナッツラテを飲んだんだけどさ」と話したら、「え、いつものコーヒーじゃなかったの?

」と呆れられるのがオチだ。

そして、また洗濯物を干すときに、靴下の片方が見つからなくて、ため息をつくのだろう。

結局、人間は何度失敗しても、似たようなことを繰り返す生き物なんだ。

だからこそ、ちょっとした失敗を笑い飛ばせるくらいの心の余裕は持っていたい。

次は、ココアを頼むと宣言した友人が、どんな奇抜なドリンクを注文するのか、ちょっと楽しみにさえしている僕がいる。

そして、そのとき僕は、何の躊躇もなく、彼と同じように、気分で別のものを注文する自分を、きっと許してしまうのだろう。

ああ、なんて人間らしいんだ、僕らは。

そして、今日もまた、洗濯機から出てこない片方の靴下を、僕はそっとタンスの奥にしまい込むのだ。

いつか、もう片方が見つかることを、かすかに期待しながら。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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