📝 この記事のポイント
- 近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。
- 別に「いつもの」とか格好つけて言ってるわけじゃないのに、お店のおばちゃんが「いらっしゃい、お兄ちゃん」って言いながら、私の方じゃなくてテーブルにスッとグラスを置いてくれる。
- このお店の麦茶、夏場は特に美味しいんだよね。
近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。
これ、結構な優越感なんだよね。
別に「いつもの」とか格好つけて言ってるわけじゃないのに、お店のおばちゃんが「いらっしゃい、お兄ちゃん」って言いながら、私の方じゃなくてテーブルにスッとグラスを置いてくれる。
そう、お兄ちゃん。
いや、私、女だけど。
まあ、そこは目を瞑るとして。
このお店の麦茶、夏場は特に美味しいんだよね。
氷がたっぷり入ってて、一口飲むと「あー、今日も一日がんばろ」ってなる。
いや、もう昼だけど。
このお店、私にとっては一種のパワースポットというか、心の洗濯機みたいなもの。
日替わり定食のメニューを決める五分間が、私にとっての瞑想タイム。
今日は鶏肉の味噌焼き定食か、それともアジフライ定食か。
どっちも捨てがたいけど、味噌焼きはご飯が進むし、アジフライはタルタルソースが自家製で絶品。
結局、その日の気分で決めるんだけど、この「自分で選ぶ」って行為が、派遣社員の私には実はすごく大事だったりする。
だって、仕事は選べないからね。
与えられたものを黙々とこなすだけ。
だからせめて、昼飯くらいは自分で選びたい。
そんなちっぽけな抵抗を胸に、今日も私は日替わり定食を選んだ。
今日の気分は、味噌。
定食を待つ間、味噌汁の香りが店内に漂ってきて、またお腹が鳴る。
こういう何気ない日常の断片が、実は結構好きだったりする。
最近、少し前に親族の葬儀があって、そこでの話なんだけど、まあ、色々あったんだよね。
実家に届いた香典の中に、中身が入ってないものがあったの。
いや、最初、母が「これ、あんた宛てに来てるんだけど…」って渡してくれた封筒が、なんか妙に軽いな、って思ったんだよね。
一瞬、詐欺か?
って頭によぎったんだけど、差出人の名前を見たら、ああ、あの叔父さんか、と。
母方の、かなり年上の叔父さん。
確か、私がお盆で実家に帰省した時に、一度だけ会ったことがあるような、ないような。
記憶が曖昧なくらい、普段から交流があるわけじゃない人。
封筒を開けてみたら、案の定、というか、案の空。
本当に何も入ってなかった。
白い封筒の中に、白い空間が広がっていただけ。
いや、私、思わず二度見したよね。
三度見したかも。
封筒を逆さまにして振ってみたり、中を覗き込んでみたり。
いや、本当に何も入ってない。
母も「あら、まあ…」って絶句してるし。
私も最初は「え、なにこれ?
新しいドッキリ?
」とか言っちゃったんだけど、母が「そんなことあるわけないでしょ。
きっと、うっかりしちゃったのよ」って。
まあ、そうかもしれない。
高齢だから、うっかり間違えちゃったのかもしれない。
そう頭では理解しようとするんだけど、内心は「いや、それにしても、まさか香典の中身を入れ忘れるとかある?
封筒に入ってる感触で気づかないもんかな?
」って、そりゃあもうモヤモヤするわけ。
で、問題はここからなんだよね。
中身が入ってなかった香典に対して、どうお返しするか。
母は「このまま何もしないわけにはいかないから、とりあえず三千円くらいで香典返しを送っておけばいいんじゃない?
」って言うんだけど、私はどうにも納得がいかない。
だって、向こうは千円も出してないわけよ。
なのにこっちが三千円も返すって、なんか腑に落ちないというか、釈然としないというか。
いや、別にケチってるわけじゃないんだよ。
でも、こういう時って、なんか世の中の理不尽さを感じるというか、モヤモヤが加速するんだよね。
それで、私は考えたわけ。
このモヤモヤをどうにか昇華できないものか、と。
香典の中身が空だったって、まさか本人に「あの、叔父さん、香典、空っぽだったんですけど?
」なんて言えるわけないじゃない。
そんなことしたら、私が「世間知らずの失礼な娘」って言われて終わりだよ。
むしろ、私が間違ってるみたいな空気すら作られかねない。
いや、別に間違ってないけど。
だから、ここは黙って三千円の香典返しをして、一件落着、とするのが大人な対応なんだろうな、とは思う。
でも、納得できない。
このモヤモヤはどこへ持っていけばいいんだ、って。
こういう「なんかすっきりしない」って感情が湧き上がってきた時、私はある趣味に逃げ込むようにしてる。
それが、ちょっと古いゲームを引っ張り出してくること。
最近だと、昔よく遊んでた「人生ゲーム」を引っ張り出してみた。
いや、まさか人生ゲームが、私のモヤモヤを解消するのに役立つとは思わなかったけど。
実家の押し入れの奥底に眠っていた箱を引っ張り出してきて、埃を払って開けてみる。
ルーレットを回して、コマを進める。
結婚して、子供ができて、家を買って、株で一攫千金、と思いきや、落とし穴で借金。
いや、これ、結構リアルじゃない?
人生って、本当にこんな感じなんだよね。
思い通りにいかないことばかりで、予想外の出来事が次から次へと起こる。
人生ゲームを一人でやってる自分を客観的に見ると、結構シュールだなって思うんだけど、これが意外と集中できるんだよね。
お金を稼いで、家を買って、子供を育てて。
でも、時には「トラブル発生!
五万円支払う!
」とか、理不尽なイベントも起こる。
ルーレットを回すたびに、自分の人生を俯瞰しているような気分になる。
この「人生ゲーム」にハマったのは、実は高校生の頃だった。
友達と集まって、わいわい言いながら夜中まで遊んだ記憶がある。
大人になってからは、なかなかそんな機会もなくて、すっかり押し入れの奥にしまい込んでいたんだけど、最近また引っ張り出してきたら、これがまた面白い。
あの頃は、ただお金持ちになるのが目標だったけど、今は「いかに理不尽なイベントを乗り越えるか」に面白みを感じている自分がいる。
まるで、今の私の香典問題みたいだ。
そういえば、人生ゲームって、たまに「ボーナス!
五万円ゲット!
」みたいな棚ぼたイベントもあるんだよね。
でも、そういうのって、だいたい「ラッキー!
」って喜んだ数ターン後には、「不幸のカード!
五万円支払う!
」とかで帳消しになることが多い。
いや、これ、本当に人生をよく表してるなって思う。
いいことばかりは続かないし、悪いことばかりでもない。
結局、トータルでどう落ち着くか、なんだろうな。
人生ゲームを一人で何周か回してみたんだけど、そのうち、だんだん香典問題のモヤモヤが薄れていくのを感じた。
いや、別に解決したわけじゃないんだけど、なんかどうでもよくなってきたというか。
だって、人生ゲームの中にも、明らかに「え、これ、理不尽じゃない?
」ってイベントがいくつもあるんだもん。
「交通事故で入院!
百万円支払う!
」とか、いきなり言われても困るじゃん。
でも、それもゲームの一部だから、文句言わずに支払うしかない。
香典の件も、きっとそういうことなんだろうな、って。
人生の理不尽イベントの一つとして、受け止めるしかない。
三千円の香典返しは、私の人生ゲームにおける「理不尽イベント対処費用」として計上しておこう。
そう思ったら、少しだけ気が楽になった。
昔は、一度ハマるとそればっかりやるタイプだったんだけど、大人になってからは、飽きるのも早くなった気がする。
人生ゲームも、きっとまたしばらくしたら押し入れの奥に戻るんだろう。
でも、また数年後、あるいは数ヶ月後、「なんか人生、モヤモヤするな」って思った時に、また引っ張り出してくるんだろうな。
きっとその時も、私は一人でルーレットを回して、「ああ、これこれ、この理不尽さ、これだよ」って、納得するんだろう。
そう考えると、人生ゲームって、私の精神安定剤なのかもしれない。アナログな紙とプラスチックのコマで、人生の縮図を再現する。そして、その中で自分のモヤモヤを相対化して、消化していく。
定食屋のおばちゃんが、味噌焼き定食を運んできてくれた。
「はい、お兄ちゃん、熱いから気をつけてね」って。
うん、お兄ちゃん。
まあ、いいか。
味噌汁を一口飲んで、あったかい。
そして、味噌焼きをご飯に乗せて食べる。
うん、美味しい。
この美味さがあれば、三千円のモヤモヤくらい、どうってことない。
いや、どうってことはあるけど、まあ、いっか。
どうせ人生ゲームは続くんだし。
次にどんな理不尽イベントが起こるか、ちょっとだけ楽しみなくらいに思っておこう。
もちろん、表向きはそんな顔せず、何食わぬ顔で香典返しを送るつもりだけどね。
それが、大人のたしなみってやつだ。
たぶん。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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