📝 この記事のポイント
- 朝、出勤前に冷蔵庫を開けたら、賞味期限切れの食材が4つも並んでいた。
- 内訳は、半額で飛びついたタラ、スーパーの特売日にまとめ買いした豆腐、使いそびれた水菜、そしていつ買ったか覚えていないヨーグルト。
- いつもなら「まあいいか」と軽く流すところだが、今日は珍しく落ち込んだ。
朝、出勤前に冷蔵庫を開けたら、賞味期限切れの食材が4つも並んでいた。
内訳は、半額で飛びついたタラ、スーパーの特売日にまとめ買いした豆腐、使いそびれた水菜、そしていつ買ったか覚えていないヨーグルト。
いつもなら「まあいいか」と軽く流すところだが、今日は珍しく落ち込んだ。
だって、昨日の夜、意気揚々と「今日はちゃんと自炊するぞ!
」と心に誓ったばかりだったから。
僕は、この歳になって料理にハマった口だ。
40代独身、マンション一人暮らし。
これまで外食かコンビニ弁当で済ませてきたけれど、ある日、テレビで見たシェフの言葉に心を動かされた。
「料理は、自分への一番のご褒美ですよ」と。
それ以来、週末にまとめて食材を買い込み、平日もできるだけ自炊するようになった。
と言っても、凝ったものは作らない。
回鍋肉とか、麻婆豆腐とか、あとは魚を焼くくらい。
それでも、出来立ての温かいご飯を食べる瞬間は、何とも言えない幸福感がある。
だから、賞味期限切れの食材を見つけた時のガッカリ感は、想像以上に大きかった。
これは、料理にハマる前の僕だったら絶対に感じなかった感情だろう。
料理をするようになってから、食材の命を無駄にすることに、妙な罪悪感を覚えるようになったのだ。
冷蔵庫の扉を閉め、僕は小さくため息をついた。
今日の夕食は、楽しみにしていた回鍋肉の予定だったのに。
水菜は使えたかもしれないけど、タラと豆腐は諦めるしかない。
なんだか、自分との約束を破ってしまったような、そんな情けない気持ちになった。
僕の日常は、こんな「自分との約束」で溢れている。
例えば、朝は7時に起きる、とか。
週に3回はジムに行く、とか。
寝る前には必ず本を読む、とか。
どれもこれも、僕が自分自身に課した、ささやかな目標だ。
でも、その達成率は、お世辞にも高いとは言えない。
朝は二度寝して8時過ぎに飛び起きるし、ジムは月に1回行けばいい方。
本は、読み始めた途端に睡魔に襲われて、そのまま朝を迎えることもしばしば。
我ながら、なんてダメ人間なんだろうと、いつも苦笑してしまう。
それでも、料理だけは、なんとか続けられている方だ。
いや、続けられているというよりは、新しいルーティンとして、僕の日常にしっかり根付いたと言った方が正しいかもしれない。
仕事から疲れて帰ってきても、冷蔵庫を開けて食材を眺めていると、不思議と元気が湧いてくる。
玉ねぎを刻む時の「トントン」という音、醤油とみりんが混ざり合う香り、フライパンで豚肉がジュージューと焼ける音。
五感で感じる全てが、僕の心を癒してくれる。
そんな僕が、最近、新たな「自分との約束」を一つ増やした。
それは、「週に一度は映画館に行く」というものだ。
仕事帰りのレイトショーでもいいし、休日の昼間でもいい。
とにかく、スクリーンで映画を観る時間を確保する。
これもまた、以前の僕だったら考えられない習慣だった。
家で動画配信サービスを観れば十分だと思っていたし、わざわざ映画館まで足を運ぶのが面倒だと感じていた。
でも、一度、たまたま観に行った映画で、その魅力に取り憑かれてしまったのだ。
大音響で全身に響く音楽、暗闇の中で鮮やかに浮かび上がる映像、そして何より、他のお客さんたちと感情を共有しているような、あの独特の一体感。
それ以来、僕は映画館の虜になった。
今では、仕事の合間に上映スケジュールをチェックしたり、公開前の予告編を食い入るように見つめたりするのが、日課になっている。
先週の金曜日の夜も、僕は映画館にいた。
会社の同僚が絶賛していた、とあるミステリー映画を観に。
上映時間は2時間半。
僕にしては珍しく、途中で集中力が途切れることもなく、最後までスクリーンに釘付けだった。
犯人の意外な正体に、思わず「まじかよ!
」と声が出そうになったのを、必死でこらえたくらいだ。
映画が終わった後も、興奮冷めやらぬまま、僕は夜道を歩いていた。
映画の余韻に浸りながら、頭の中ではエンドロールの音楽がリフレインしている。
映画館を出てすぐのところに、大きな公園がある。
普段なら通り過ぎるだけなのだが、その日は何となく、公園の中を突っ切って帰ろうと思った。
夜の公園は、昼間とはまた違った顔を見せる。
街灯の明かりが届かない場所は、漆黒の闇に包まれていて、少し不気味な雰囲気すら漂っている。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと、視界の隅に人の集団が映り込んだ。
最初は、ただの若者のたまり場かと思った。
高校生くらいの少年たちが、7、8人くらいだろうか。
街灯の真下、円になって何かをしている。
僕も昔は、こんな風に公園でたむろしたりしたものだよな、なんて、少し懐かしい気持ちで眺めていた。
だが、次の瞬間、僕は思わず立ち止まった。
彼らがしているのは、たむろではなく、どう見ても「何か」を一方的に攻撃しているように見えたからだ。
彼らの中心には、うずくまっている一人の少年がいた。
他の少年たちが、その子を取り囲んで、蹴ったり、殴ったりしている。
明らかに、集団リンチだ。
僕は、一瞬にして頭が真っ白になった。
映画の興奮はどこへやら、心臓がバクバクと音を立てる。
どうする、どうするんだ、僕。
そんな問いが、頭の中をぐるぐると駆け巡った。
正直、怖かった。
僕が一人で彼らに近づいていって、何か言ったところで、逆に僕まで危ない目に遭うかもしれない。
彼らは人数も多いし、何より、その目つきが尋常じゃなかった。
でも、このまま見て見ぬふりをして、通り過ぎることもできない。
うずくまっている少年は、きっと僕と同じように、いや、僕以上に恐怖を感じているはずだ。
一瞬の葛藤の後、僕はポケットからスマートフォンを取り出した。
110番。
震える指で、ダイヤルをタップする。
繋がった。
僕は、自分の住所と、公園の場所、そして今まさに起きている状況を、必死で説明した。
僕の声は、自分で聞いても分かるくらい、上ずっていたと思う。
オペレーターの女性は、冷静な声で「すぐに警察官を向かわせます」と言ってくれた。
その言葉を聞いて、少しだけ、安堵した。
通報後も、僕はその場を離れることができなかった。
少し離れた場所から、彼らの様子を伺う。
すると、僕の通報が効いたのか、数分もしないうちに、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
赤と青の光が、夜の公園を照らす。
少年たちは、その光と音に気づくと、一目散に散り散りに逃げていった。
うずくまっていた少年は、ゆっくりと顔を上げた。
その顔は、涙と土でぐちゃぐちゃになっていたけれど、僕には、その目に安堵の色が浮かんでいるように見えた。
翌日、僕は警察署から一本の電話を受けた。
昨日通報した件で、いくつか確認したいことがある、とのこと。
僕は、昨日見た光景を、ありのままに説明した。
すると、電話口の警察官は、丁寧にこう言ってくれた。
「通報してくださったことに、心から感謝申し上げます。
的確な判断だったと思います。
おかげで、被害は最小限に食い止められました」。
その言葉を聞いた時、僕は、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
僕の、たった一つの行動が、誰かの助けになった。
そう思うと、昨日感じた恐怖や葛藤なんて、ちっぽけなものに思えた。
僕は、普段から自分との約束すら守れない、情けない人間だ。
でも、あの夜、僕は確かに、僕自身の正義と、誰かを守りたいという気持ちとの約束を、守ることができた。
それ以来、僕は、公園の近くを通るたびに、あの夜のことを思い出す。
そして、あのうずくまっていた少年の顔を思い出す。
僕の日常は、相変わらず賞味期限切れの食材と、達成されない自分との約束で溢れているけれど、あの夜の出来事だけは、僕の中に、確かな光として残り続けている。
料理の腕も、映画鑑賞の習慣も、僕の生活を豊かにしてくれたけれど、誰かのために行動できたこと。
それが、一番の「ご褒美」だったのかもしれない。
僕の人生も、捨てたもんじゃないな、なんて、少しだけ、鼻を高くしてみたりするのだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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