📝 この記事のポイント
- 図書館で借りた本の返却期限が過ぎていて、延滞金を払う羽目になった。
- いやもう、本当、図書館ってなんであんなに厳密なんだろう。
- 一日の猶予とか、なんなら「見逃してよ、今回は! 」みたいな人情味、ちょっとは期待しちゃうんだよね。
図書館で借りた本の返却期限が過ぎていて、延滞金を払う羽目になった。
いやもう、本当、図書館ってなんであんなに厳密なんだろう。
一日の猶予とか、なんなら「見逃してよ、今回は!
」みたいな人情味、ちょっとは期待しちゃうんだよね。
でも、容赦なく「2冊で8日なので、160円ですね」って言われちゃって。
160円、缶コーヒー一本分。
いや、最近の缶コーヒーって、もしかしたらもっと高いのかもしれない。
ペットボトルの緑茶ですら180円とか普通にあるからね。
ああ、世知辛い。
ていうか、そもそも借りた本が、タイトルすら覚えてない自己啓発系の薄い本だったのが敗因だ。
内容はもう、借りた瞬間に脳みそから揮発しちゃったんだと思う。
こういう本に限って延滞するんだから、人間の心理って本当に面白い。
いや、面白くない。
全く面白くない。
私のサイフには全く面白くない話だ。
帰り道、どうにもこうにも気分が沈んで、体がひんやりしていることに気づいた。
こんな日は、家に帰って温かい白湯でも飲んで、心身ともに清めたい。
そう思って、家のキッチンに直行した。
いつも通り、電気ケトルに水を注ぎ、スイッチをオン。
ゴォォ、と音がして、やがて沸騰を示すカチッという音が響く。
湯気がもくもくと立ち上るのを確認して、カップに注ぐ。
熱々すぎると飲めないので、しばらく放置。
その間に、ソファで丸まっている猫のキキとジジを撫でる。
キキは撫でられるのが大好きで、すぐにゴロゴロと喉を鳴らすんだけど、ジジは気分屋だから、たまにしか寄ってこない。
今日は私が落ち込んでいるのを察したのか、珍しく私の膝の上に乗ってきて、フミフミと前足で毛布をこねくり回している。
うん、猫は癒し。
猫は正義。
そういえば、この「しばらく放置」って時間が、果たして「白湯」と呼ぶにふさわしい温度なんだろうか、とふと疑問に思った。
私の中での「白湯」は、要は「ただのお湯」ではなく、なんかこう、もうちょっと神聖な儀式というか、手間をかけた飲み物だったはずだ。
どこかの健康情報で「白湯は体に良い」って読んだ記憶があるんだけど、その「白湯」って、一体どんなお湯なんだろう?
今まで私が飲んでいたのは、ただ沸かしたお湯を、飲める温度まで冷ましただけ。
冷ましすぎてぬるくなることもあるし、急いでる時は熱いのをフーフーしながら飲んでた。
これ、もしかして「白湯」じゃなくて「熱いお茶を淹れる前のお湯」とか、「カップ麺を作るためのお湯」と同じカテゴリなんじゃなかろうか。
いや、それだとちょっと、私のプライドが許さない。
だって「白湯を飲んでる私」って、なんかちょっと意識高そうで、健康に気を遣ってる感が醸し出されてて、結構好きだったんだよね。
コーヒーも好きだけど、朝一番はやっぱり白湯、みたいな。
そういう、ちょっとしたこだわりが、私の生活に彩りを与えていたはずなのだ。
そこで、猫たちが私の膝の上で気持ちよさそうに寝息を立てる中、こっそりポケットからスマホを取り出し、「白湯 定義」と検索してみた。
検索結果を見て、私は愕然とした。
私の白湯に対する認識は、見事に間違っていた。
「白湯」とは、「一度沸騰させた水を、飲める温度まで冷ましたもの」というのは、まぁ、合ってる部分もある。
でも、その「沸騰」の仕方に、ちゃんと作法があったのだ。
曰く、「やかんで水を沸かし、沸騰したら蓋を開けて、弱火で10分から15分ほど沸かし続ける」。
そして、「これを飲める温度まで冷まして飲む」と。
え、弱火で10分から15分!
私の電気ケトルは、沸騰したら勝手にスイッチが切れる。
弱火で10分も沸かし続けるなんて、そんな機能、付いてない。
ていうか、そもそも、なんでそんなに沸かし続けないといけないんだろう?
さらに調べてみると、どうやら、長く沸かし続けることで、水に含まれる不純物やカルキが除去され、より「ピュア」な水になる、という説があるらしい。
あとは、「アーユルヴェーダ」というインドの伝統医学では、火にかけることで水のエネルギーが高まる、みたいな考え方もあるんだとか。
エネルギーが高まる白湯……。
なんか、すごく良さそうじゃないか。私の飲んでいた「ただのお湯」とは、一線を画す、壮大なロマンを感じる。
これはもう、早速試してみるしかない。
その日の午後、私は早速、今まで飾りと化していた、とっておきのミルクパンを引っ張り出してきた。
このミルクパン、取っ手が木製で、ちょっと北欧風の、可愛らしいデザインなんだよね。
可愛すぎて、もったいなくてほとんど使ってなかったんだけど、今日こそがその出番だ。
水道水をパンに注ぎ、コンロの火をつけた。
ガス火で水を沸かすなんて、いつぶりだろう。
いつもは電気ケトルだから、コンロで水が沸くのを待つのは、なんだか新鮮な体験だ。
やがて、ゴボゴボと音を立てて水が沸騰し始めた。
湯気が勢いよく立ち上る。
よし、ここからが本番だ。
蓋をそっと外し、火を弱火にする。
タイマーを10分にセット。
10分間、私はミルクパンの番をした。
キッチンに立つと、どこからともなく、キキがやってきて、私の足元に体を擦り付ける。
撫でろ、と要求しているのだ。
仕方ないな、としゃがみこんでキキの頭を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らす。
うん、可愛い。
でも、今は白湯作りに集中したい。
ジジはというと、相変わらずソファで丸まって、全く動く気配がない。
あの子は本当にマイペースだ。
10分後、タイマーが鳴った。
火を止め、湯気の立つミルクパンを眺める。
なんか、いつもと違う気がする。
気のせいかもしれないけど、なんだか、水が、いや、お湯が、キラキラして見える。
プラシーボ効果ってやつだろうか。
それをカップに注ぎ、そっと一口飲んでみた。
……あれ?
確かに、いつもより口当たりがまろやか、な気がする。
気のせい?
いや、気のせいじゃない、と信じたい。
なんか、こう、喉を滑らかに通り過ぎていく感じ。
いつもはもう少し、水道水のカルキ臭というか、独特の風味が残ってるような気がしてたんだけど、この白湯は、本当に無味無臭。
澄み切った、純粋なお湯、という感じだ。
「へぇー、すごいな、白湯って!
」
と、思わず独り言を呟いてしまった。
猫たちは、私の興奮には全く興味がないようで、相変わらずソファで平和な顔をしている。
この日以来、私の「白湯ライフ」は一変した。
朝起きたら、まずミルクパンに水を入れ、コンロにかける。
沸騰したら弱火で10分。
この間、猫と戯れたり、借りてきた本(今度は返却期限を忘れないように、と付箋を貼った)を読んだり、コーヒー豆を挽いたり。
なんか、ルーティンが増えたことで、朝の時間が少しだけ豊かになったような気がした。
でも、正直なところ、毎日毎日、朝から10分も火にかけるのは、結構手間がかかる。
特に、朝は何かとバタバタしがちだからね。
猫のトイレを掃除したり、ご飯をあげたり、自分の身支度をしたり。
そういう時って、電気ケトルでサッと沸かして飲む、あの手軽さが恋しくなる。
というか、そもそも、電気ケトルで沸かしたお湯だって、立派な「一度沸騰させた水」には違いないのだ。
それを飲める温度まで冷まして飲めば、それはもう「白湯」と呼んでも差し支えないんじゃないか、という気持ちも、心のどこかにある。
実際、あの「弱火で10分」の儀式を毎日厳密に守っているかというと、そういうわけでもない。
忙しい日は、普通に電気ケトルで沸かしたお湯を飲んでるし、夜、寝る前なんかは、熱々のお湯をフーフー言いながら飲むのが好きだったりする。
別に、それで体調が悪くなったわけでもないし、むしろ、熱いお湯が胃の中にじんわりと染み渡る感覚は、一日の疲れを癒してくれるような気がする。
結局のところ、私は「白湯」という言葉の響きと、それに伴う「ちょっと健康に気を遣ってる私」というセルフイメージが好きだっただけなのかもしれない。
本当に不純物が除去されてるのか、エネルギーが高まっているのか、なんて、正直、舌では判別できない。
ただ、手間をかけた分だけ、なんとなく「良いものを飲んでいる」という満足感がある。
それはそれで、十分な効果なんじゃないかと思うのだ。
今日も朝、いつも通り電気ケトルで沸かしたお湯をカップに注ぎ、冷めるのを待っている。
湯気越しに見える猫たちは、相変わらずソファで丸まっている。
私の延滞金はもう帳消しになったし、自己啓発本の内容もすっかり忘れたけれど、こうして日々、小さなこだわりと、ちょっとした発見を繰り返しながら、私は私なりに、この世界を楽しんで生きていくんだろう。
結局、白湯だって、ただのお湯だって、私が「これがいい」と思えば、それでいいのだ。
それが、私の日常の、些細だけど譲れないこだわりなのだから。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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