📝 この記事のポイント
- それは、待ち望んだ瞬間だった――発売日が告知された時、そう感じたのである。
- 四六判の装丁に包まれる、若林正恭47歳、初めての小説。
- 2026年2月20日、文藝春秋から刊行される『青天』は、単なる「芸人が書いた小説」という枠組みを、静かに、しかし確実に超えていくものになるだろう。
それは、待ち望んだ瞬間だった――発売日が告知された時、そう感じたのである。
312ページ。四六判の装丁に包まれる、若林正恭47歳、初めての小説。
2026年2月20日、文藝春秋から刊行される『青天』は、単なる「芸人が書いた小説」という枠組みを、静かに、しかし確実に超えていくものになるだろう。
予約を決めた理由
きっかけは、ありふれたものだった。
オンラインで見かけた表紙画像に、目が留まる。アメフトのヘルメット、芝生、青い空――装画を手がけたのは太田侑子。装丁は大久保明子。表紙だけで、何かが伝わってくる。
若林正恭という名前に、筆者は複雑な期待を抱いていた。『ナナメの夕暮れ』で見せた内省的な文章力、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』で証明された観察眼――それらは確かに優れていたが、エッセイと小説は別物である。
だが、書籍情報を読み進めるうちに、その懸念は薄れていった。
物語の設定が、明確だった。総大三高アメフト部。主人公「アリ」こと中村昴。万年2回戦どまりのチーム。強豪・遼西学園に敗れた引退大会――四半世紀前の東京を舞台に、自分自身の不甲斐なさにもがく高校生の物語。
「人にぶつかっていないと、自分が生きているかどうかよくわからなくなる」
紹介文にあったこの一文が、すでに全てを示唆していた。これは若林正恭の物語であると同時に、若林正恭ではない誰かの物語でもある――そういう予感があった。
なぜ『青天』なのか
芸人が書く小説という文脈で言えば、選択肢は他にもあった。
又吉直樹の『火花』は芥川賞を受賞し、芸人文学の可能性を大きく広げた作品だ。ピース・又吉の文学性は疑いようがない――洗練された文体、計算された構成、文壇からも認められる品格。
水道橋博士『藝人春秋』は、芸能界という世界を内側から描いた力作である。リアリティと虚構の境界を曖昧にしながら、業界の闇と光を等しく描き出す手法は見事だった。
それらと比較したとき、『青天』はどこに位置するのか。
おそらく、『火花』ほどの文学的洗練はないだろう。『藝人春秋』のような業界暴露的要素もないはずだ――だが、若林正恭にしか書けない小説が、ここにあるはずだ。内省的で、誠実で、時に痛々しいほど正直な、青春小説として。
期待と不安の狭間で
予約ボタンを押すまでに、少し時間がかかった。
不安がないわけではない。エッセイの文体から完全に離れられていないかもしれない。若林自身のアメフト経験が色濃く反映されているがゆえに、「私小説」的な色彩が強すぎるかもしれない。
――だが、それは許容できる範囲だろう。
なぜなら、その「私小説」的要素こそが、この作品に独特の説得力を与える可能性があるからだ。アメフトというスポーツの細部、タックルを受けて仰向けに倒れる「青天」の瞬間、フィールドで感じる重力――それらは、体験した者にしか書けない質感を持っているはずだ。
初小説として、どこまで到達しているのか。
それを確かめたかった。
この小説を待つ理由
若林正恭のエッセイを読んで共感した人間には、この小説が届くはずだ。
『ナナメの夕暮れ』で描かれた自意識との闘い。『社会人大学人見知り学部 卒業見込』で綴られた、自分を冷静に見つめる観察眼。それらの要素が、小説という形式でどう昇華されるのか――その答えを知りたかった。
何者にもなれない焦燥を、かつて、あるいは今、抱えている人。引退後、受験に向かう同級生たちを横目に、宙ぶらりんの日々を過ごした経験がある人――そういう読者には、主人公アリの物語が確実に響くだろう。
逆に、洗練された純文学を求める読者、エンターテインメント小説としての完成度を最優先する読者には、期待外れとなる可能性もある。
だが、それでも構わなかった。
2月20日を待つ
今、予約確認のメールが受信箱に残っている。
2026年2月20日――その日が、少しずつ近づいてくる。若林正恭は小説家としてのスタートを切る。次があるのかどうかは分からない。だが、この『青天』という作品は、間違いなく記憶に残る一冊となるだろう。
予約は正しい選択だった――その確信が、今ここにある。
商品情報
青天 単行本 / 若林正恭・著 / 四六判・312ページ / ¥1,980(税込)
発売日:2026年2月20日
※この記事は2026年2月時点の発売前情報に基づく記録である。
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