夢の海外製60cm食洗機、実物見たらまさかの「巨大生物」だった話

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📝 この記事のポイント

  • それとも、わが家の洗濯物限定で次元の歪みでも発生しているのか。
  • 毎度毎度、片方だけが残された靴下を前に「お前もか」と呟く僕は、もはや哲学者然としている。
  • この靴下消失事件を皮切りに、僕の思考は「家事」という重たいテーマへと滑り落ちていく。

洗濯物を干していたら、靴下の片方がない。

これで今月3枚目である。

一体どこへ消えたのか。

洗濯機の裏か、乾燥機の奥か。

それとも、わが家の洗濯物限定で次元の歪みでも発生しているのか。

毎度毎度、片方だけが残された靴下を前に「お前もか」と呟く僕は、もはや哲学者然としている。

もちろん、ただの疲れた中年男性である。

この靴下消失事件を皮切りに、僕の思考は「家事」という重たいテーマへと滑り落ちていく。

特に皿洗い。

食べ盛りの小学生男子が二人もいれば、一食で発生する食器の量はちょっとしたファミリーレストラン並みだ。

朝、昼、晩と三度三度、シンクに積み上げられた食器の山を前に、僕は静かに絶望する。

妻も同じことを思っているようで、ある日の夕食後、「ねえ、食洗機、本気で考えない?

」と切り出した。

「お、いいじゃん! 俺はもう、絶対『海外製の60cm』って決めてるんだよね!」

僕はまるで、長年の夢を語るかのように熱弁を振るった。

何ならもう何年も前から、心の中ではとっくに60cmの食洗機を導入していた。

キッチンに鎮座する、あの巨大で頼もしい姿を想像するだけで、洗い物から解放された自分の未来がキラキラと輝いて見える。

「え、60cm? そんな大きいのいる? 45cmで十分じゃない?」と妻は少し渋い顔。

「いやいや、そこが素人の考えだよ。

いいかい?

食洗機は、大は小を兼ねる、どころか、大は正義なんだ。

ネットでさんざん調べたし、食洗機先輩たちのブログも読み漁った。

みんな口を揃えて言うんだ。

『食洗機は絶対60cm!

』って。

僕は熱くなった。

まるで、何か新興宗教の教祖のように食洗機への信仰を説いた。

何しろ、子どもたちの水筒や、僕が毎晩晩酌で使う日本酒の一升瓶(もちろん空瓶だ)だって、まとめて放り込めるはずだ。

週末に友達家族が遊びに来て、大量に発生したパーティー皿も、鍋もフライパンも、ぜーんぶまとめて一気に「ドーン!

」と洗える。

そんな未来を想像したら、もう45cmなんて選択肢はあり得ない。

いや、むしろ45cmという言葉自体が、僕の食洗機哲学においては「異端」だった。

「それにさ、海外製だよ。

ミーレとか、ガゲナウとか。

あの重厚なデザイン、機能美。

もうシンクの下じゃなくて、存在そのものがキッチンの主役になるんだよ!

キッチンに立つたびに、ニヤニヤしちゃうこと間違いなし!

僕は力説した。

妻は「ふーん」と、あまり興味がなさそうに相槌を打っていたが、僕の興奮は止まらない。

子どもたちも「食洗機って何?

ご飯出てくる機械?

」とか「おもちゃも洗えるの?

」とか、頓珍漢な質問を投げかけてくる。

「違う違う、食器をきれいに洗ってくれるお助けロボットみたいなもんだよ。これがあれば、パパもママも洗い物しなくて済むから、その分、みんなで遊ぶ時間が増えるんだ!」

そう言うと、子どもたちは目を輝かせた。食洗機は、家事の時短という実用性だけでなく、家族の笑顔をもたらす魔法の箱なのだと、僕は確信した。

数週間後、僕らはとあるショールームを訪れた。

目的はもちろん、食洗機の実物見学である。

僕の頭の中には、すでに美しい60cmの海外製食洗機が鎮座していた。

ショールームのスタッフに案内され、いよいよその「神殿」へと足を踏み入れる。

「こちらが、お客様ご希望の60cmのタイプになります」

スタッフが指差した先を見た瞬間、僕は息を飲んだ。

いや、むしろ息が止まった。

そこに鎮座していたのは、僕が想像していた「頼もしい相棒」ではなかった。

それは、まるでSF映画に出てくるような巨大な機械、あるいは、巨大な生物の胃袋か何かのように見えたのだ。

「でっ…デカい……」

思わず口から漏れたのは、陳腐すぎる一言だった。

隣に立つ妻は、すでに口元に手を当てて、肩を震わせている。

笑いを堪えているのだ。

僕は焦った。

いや、焦りを通り越して、恐怖を感じた。

想像を遥かに超えるその存在感。

僕の頭の中で作り上げたイメージは、完璧な「脳内補正」によって、実物より3割くらい小さく、そしてスタイリッシュに調整されていたらしい。

扉を開けてもらった。

中もまた広い。

広すぎる。

子ども二人の水筒と一升瓶どころか、僕と妻、そして義実家全員分の食器、いや、もしかしたらご近所さん何軒か分の食器まで洗えてしまうんじゃないか、というくらいの容量だ。

もちろん、それは誇張表現だが、本当にそう思ってしまったのだ。

「これさ、うちのキッチンに置いたら、シンクの横に巨大な冷蔵庫がもう一台増える感じじゃない?」

妻が、僕の顔を覗き込みながら囁いた。

その声には、笑いを通り越した憐憫のようなものが込められていた。

たしかに、わが家のキッチンはそこまで広くない。

いや、むしろ一般的な広さだ。

しかし、この60cmの「巨大生物」を導入したら、他の収納スペースが潰れてしまうのは明白だった。

料理をするスペースも、今より狭くなるだろう。

何より、僕が「キッチンに立つたびにニヤニヤしちゃう」どころか、「キッチンに立つたびに『うわ、デカっ』と怯えそう」な気がした。

「いや、でも、海外製ってやっぱりデザインが…」

僕は、もはや瀕死の食洗機哲学をかろうじて守ろうと、震える声で言い訳を始めた。

「たしかにデザインは素敵だけど、この大きさが家にあることを想像してみてよ。圧迫感、すごいよ?」

妻の言葉は、僕の最後の抵抗を打ち砕いた。

ぐうの音も出ない。

僕の脳内で完璧にシミュレーションされていた「食洗機のある生活」は、一瞬にして瓦解した。

僕の理想は、現実という名の巨大なハンマーによって、粉々に砕け散ったのだ。

「ですよねぇ…」

僕は力なく頷いた。

ショールームのスタッフの方も、僕の変わり身の早さに少し驚いているようだった。

しかし、彼もプロだ。

「では、こちらの45cmのタイプもご覧になりますか?

」と、何事もなかったかのように案内してくれた。

45cmの食洗機は、60cmのそれと比べると、驚くほどコンパクトに見えた。

いや、これが「普通」なのだ。

扉を開けてみれば、十分な容量がある。

毎日の家族4人分の食器なら、余裕で入りそうだ。

なんなら、来客があった時でも対応できそうなサイズ感だ。

そして何より、キッチンに置いても圧迫感が少ない。

「うん、これだ。これならいける」

僕は、急転直下の心境の変化に、自分でも驚きつつも納得した。

あの60cmの食洗機を頑なに信じ続けていた自分は、一体何だったのか。

あの時、ブログを読み漁り、ネットの書き込みを鵜呑みにしていた自分を、僕は心の底から叱りたくなった。

やはり、何事も実物を見ないことには始まらない。

そして、自分の家の広さや、家族の生活スタイルを無視して、ただ「大きい方が良い」というだけの情報に踊らされてはいけないのだ。

帰りの車中で、妻が僕の肩をポンと叩いた。

「ねえ、それでさ、結局どっちにするの?」

「いや、もう45cmに決定。あれは…あれはちょっと想像を絶するデカさだったよ。俺、完全に『食洗機はデカければデカいほど良い』っていう呪縛にかかってたわ。反省。猛省」

僕は自虐的に笑った。妻もクスッと笑う。

「でもさ、もしあの60cmのやつがうちに来てたら、たぶん俺、食器入れるときに『お邪魔します』って言ってただろうな」

そう言うと、妻は堪えきれずに吹き出した。子どもたちも、僕らの会話の内容は理解できないものの、楽しそうに笑っていた。

今回の食洗機選びで学んだことは多い。

まず、「ネットの情報は鵜呑みにするな」、そして「実物は必ず見に行け」。

さらに「自分の家のキャパシティを忘れずに」だ。

特に最後の教訓は、人生において様々な場面で役立ちそうである。

結局、わが家は45cmの海外製食洗機を導入することになった。

これから届くのが楽しみだ。

しかし、あれからというもの、僕はスーパーで見る冷蔵庫や、テレビで見る洗濯機まで、ついつい「これ、うちのキッチン(リビング)に置いたらどんなもんかな…」と、大きさを想像してしまうようになった。

あの60cmのトラウマは、僕に「空間把握能力」を強烈に意識させるという、予想外のスキルを植え付けたらしい。

いや、まあ、たぶんそのうち忘れて、また何かデカいものに憧れるんだろうけどね。

人間の性(さが)ってやつは、なかなか変わらないもんだ。

次の靴下消失事件が起こる頃には、きっとまた何かとんでもない「巨大な夢」を抱いているに違いない。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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