📝 この記事のポイント
- 散歩中、知らない犬に懐かれて飼い主より先に仲良くなった。
- いや、もはや飼い主さんより私のほうがよっぽど「あんた誰? 」みたいな顔で犬にガン見されて、ちょっと気まずかったくらいだ。
- 柴犬ミックスらしいその子は、しっぽをブンブン振りながら私の足元に体をすり寄せてきて、しまいには腹を見せて「撫でろや」とばかりにゴロン。
散歩中、知らない犬に懐かれて飼い主より先に仲良くなった。
いや、もはや飼い主さんより私のほうがよっぽど「あんた誰?
」みたいな顔で犬にガン見されて、ちょっと気まずかったくらいだ。
柴犬ミックスらしいその子は、しっぽをブンブン振りながら私の足元に体をすり寄せてきて、しまいには腹を見せて「撫でろや」とばかりにゴロン。
おいおい、初対面だろ。
人見知りとか警戒心とか、そういうのはどこに置いてきたんだい?
君の飼い主さん、目の前でポカンとしてるよ。
これね、よくある話なんだけど、私、動物にはめちゃくちゃ懐かれるんだよね。
なぜか知らないけど。
猫カフェ行けば膝の上は争奪戦だし、実家の猫だって普段はツンツンしてるくせに、私にだけは「ふみふみ」からの「ゴロゴロ」だもの。
動物ってさ、なんかこう、人間には見えない波長とかオーラとか、そういうのを察知するんだろうか。
私から「この人、害はないけどきっと暇なんだろうな」みたいな波動が出てるとか?
もしくは「どうせ独身でしょ?
寂しいんでしょ?
」って見抜かれてるとか?
おい、ちょっと待て。
犬にそこまで見透かされてるなら、もはや野生の勘とかじゃない、超能力のレベルじゃないか。
でもさ、この「見透かされてる」感って、動物相手だけじゃないんだよね。
人間相手でも、たまにある。
例えば、スーパーのレジ。
長蛇の列で、あっちのレジはめちゃくちゃ遅いのに、こっちのレジはなぜかサクサク進む。
私、だいたい、あの「遅いレジ」に吸い込まれるタイプなんだよ。
で、並んでるうちに、前の人が小銭を数え始めるわ、ポイントカード探し出すわ、挙句の果てに「あっ、お肉買うの忘れてた!
」とか言って売り場に戻っちゃう人とかいるでしょ?
あれ、私の「遅いレジ吸引力」が引き起こしてるんじゃないかと本気で疑ってる。
私の後ろに並んだ人には、心の中で「ごめんね、私が行かなければこの列は早かったはずなんだ」って謝ってるんだよ。
そういう運命というか、宿命というか、私の人生には「待たされる」とか「未完」とか、そういうキーワードが付きまとってる気がする。
もうさ、漫画とかアニメとか、完結しない作品が多すぎない?
私が小学生の頃から読んでる「ガラスの仮面」なんて、もう何年連載してると思ってるの?
北島マヤと姫川亜弓の演技対決、いつになったら決着つくんだよ。
月影先生はもう生きてるのか死んでるのか、いや生きてるんだろうけど、生きてるうちに新作の「紅天女」を上演させてあげてほしい。
作者の美内すずえ先生も、私と同世代の読者も、もう待つことに慣れすぎて、もはや「紅天女」は伝説上の存在みたいな扱いになってるよね。
本当に存在するのか?
いや、存在する。
でも、いつ完成するんだい?
待ってる間に、私の白髪の数が増える一方だよ。
他にも「王家の紋章」とかね。
キャロルとイズミル王子とメンフィス王子の三角関係。
これだって、私が小学校の図書館で初めて手に取ってから、いったい何十年経ったことか。
途中、エジプトだけじゃなくてヒッタイトとかアッシリアとか、どんどん舞台が広がって、もうどこまでが物語の軸なのか分からなくなってきた。
キャロルが毎回誘拐されるたびに、「またかよ!
」ってツッコミを入れるのも、もはや日常風景の一部だよね。
あのペースで誘拐されてたら、キャロル、もうとっくにPTSDだよ。
現代に帰れなくなっても仕方ない。
そして「HUNTER×HUNTER」。
冨樫義博先生、頼むから最後まで描いてくれ!
蟻編が終わって、ヒソカが死んだり生き返ったり、暗黒大陸に行ったり来たり。
もう頭の中で伏線が迷子だよ。
単行本の新刊が出るたびに、前の巻の内容を読み返さないと話が繋がらない。
読者が忘れっぽいのか、先生の構想が壮大すぎるのか。
いや、きっと両方だ。
もはや私の人生の最終目標の一つが「HUNTER×HUNTERの最終巻を読むこと」になってるからね。
それまで死ねない。
なんかさ、こういう「未完の大作」って、読み手側も「いつか終わる」っていう期待と「このまま終わらないんじゃないか」っていう不安の間で、一種の依存症みたいな状態になってる気がするんだ。
人生の一部に組み込まれちゃってるというか。
「ああ、まだあの漫画も終わってないし、私もまだ頑張らなきゃな」みたいな、妙なモチベーションに繋がったりする。
まあ、私の場合は「早く最終巻を読んで、すっきりしてこの世を去りたい」っていう、ちょっと後ろ向きなモチベーションかもしれないけど。
そういえば、つい先日、実家の母を病院に連れて行った時のこと。
会計を待つ間に、待合室のテレビで医療ドラマの再放送が流れてたんだけど、それが最終回だったんだよね。
患者の命を救えるかどうかの瀬戸際で、執刀医が「メス!
」って叫んだところでCMに。
で、CMが明けて続きかと思ったら、まさかのニュース番組に切り替わって、ドラマはそのまま終了。
え、嘘でしょ?
あの患者さんどうなったの?
助かったの?
死んじゃったの?
私、もう気になって気になって、その日の晩ご飯の味もよく分からなかったよ。
母は隣で「あら、残念ねぇ」とか言って、至って平気な顔してたけど。
あのドラマ、私の人生における「未完の大作」リストに、ひっそりと名を連ねることになった。
この「完結しないモヤモヤ」って、日常の小さなことにも潜んでるんだよね。
例えば、洗濯物を干してて、あと一枚で終わりってところでハンガーが足りなくなるとか。
あと一歩、あと一コマで終わるはずなのに、なぜかそこで中断される。
あれって、何か宇宙の法則とか、地球の引力とか、そういうのが関係してるのかな。
私の家だけ?
いや、まさか。
きっと、みんなも経験してるはずだ。
ああ、そういえば、これもあった。
駅のホームで電車を待ってたら、向かいのホームで高校生カップルがイチャイチャしてて、男子が女子の頭をポンポン。
その瞬間、女子が男子の腕に思いっきり「ガブリ」。
いや、犬か!
ってツッコミたかったけど、電車が来て見えなくなっちゃった。
あの後、どうなったんだろう。
男子は痛がったのか?
女子は照れたのか?
それとも、いつものスキンシップだったのか?
私の想像力では補いきれない「未完の青春ドラマ」だよ。
あれも、最終回まで見届けたかったなぁ。
結局のところ、私たちが「未完」に惹かれるのは、そこに想像の余白があるからかもしれないね。
でも、漫画だけはさ、もういい加減、想像に頼らず現実の文字として読みたいんだよ。
もういいでしょ、何十年も待ったんだから。
頼むよ、先生たち。
私が老眼鏡をかける前に、いや、私がこの世を去る前に、せめて「ガラスの仮面」と「HUNTER×HUNTER」だけは、ちゃんと完結させておくれ。
私の人生のグランドフィナーレは、やっぱり「完結」で飾りたいもの。
そう願いながら、今日も知らない犬に懐かれ、レジの遅い列に並び、残りの洗濯物を椅子の上に山積みにする。
ああ、また未完が増えた。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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