📝 この記事のポイント
- ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
- 「お父さん、それもう3回目だよ! 」「だって美味しいんだもん、仕方ないだろ! 」と、ポテトフライの奪い合いを繰り広げる小学生と父親。
- その平和な攻防をぼんやり眺めていると、運ばれてきたチキン南蛮の衣が、やけにツヤツヤと輝いて見えた。
ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
「お父さん、それもう3回目だよ!
」「だって美味しいんだもん、仕方ないだろ!
」と、ポテトフライの奪い合いを繰り広げる小学生と父親。
その平和な攻防をぼんやり眺めていると、運ばれてきたチキン南蛮の衣が、やけにツヤツヤと輝いて見えた。
僕もポテトフライに目が無い人間だから、あの父親の気持ちは痛いほどよくわかる。
食べたいものは、何度だって食べたいのだ。
最近、研究室の先輩が休憩中に見せてくれた動画が、そのポテトフライ論争にも通じるような、人間の「やりたい」という衝動の可笑しさと危うさを象徴していた。
「落ちたら死ぬぞ!
」という地域の人の怒号が響く中、凍結した山中湖の上で、観光客がダンスをしたりジャンプしたりしているのだ。
凍った湖の上でダンス。
その響きだけで、僕の脳内ではBGMが鳴り始める。
おそらく、氷上の社交ダンス選手権で優勝した人の演技をBGMに、軽やかなステップを踏み、最後は華麗なスピンでフィニッシュ、からの氷が割れて「どぼん」。
思わず、先輩と顔を見合わせて吹き出してしまった。
いや、笑い事じゃない、本当に危険な行為なんだけど。
なんでわざわざそんな危ないことをするんだろう。
やっぱり、「非日常」ってやつに人は抗えないのだろうか。
普段は律儀に信号を守り、階段では右側通行を徹底しているような人が、氷の上となると急にリミッターが外れる。
そのギャップが、なんとも人間らしいというか、僕の目には滑稽に映るのだ。
昔の僕は、まさにあの湖上のダンサーたちと同じような衝動に駆られるタイプだった。
もちろん、富士山の麓で氷上ダンスをしたことはないけれど、例えば大学に入りたての頃、新歓コンパでなぜか「テーブルの上に立て!
」と言われれば、躊躇なくテーブルの上に立っていたし、深夜の公園で「ブランコを立ち漕ぎして、誰が一番高く飛べるか競争しよう!
」となれば、誰よりも高く空中に飛び出していた。
あの頃の僕は、目の前の「面白い」ことや「珍しい」ことに対して、なんのブレーキも持っていなかった。
好奇心と、ちょっとした無鉄砲さが入り混じった、いわば「やっちゃえ、やっちゃえ」精神の塊みたいな人間だったと思う。
そのせいで、居酒屋のテーブルから落ちてグラスを割ったり、ブランコから落下して膝を擦りむいたり、数々の武勇伝(という名の失敗談)を重ねてきた。
怪我で済んだから笑い話になるものの、今考えるとゾッとするような無謀な挑戦ばかりだった。
なぜそんなことをしたのか?
と問われれば、「そこに、面白そうな何かがあったから」としか答えられない。
あの山中湖の人たちも、きっと同じような気持ちなんじゃないだろうか。
目の前に広がる真っ白な氷のキャンバスが、彼らの好奇心を刺激してやまなかった、と。
今の僕は、あの頃と比べると、かなり慎重になった。
というより、面倒くさがりになった、というのが正しいかもしれない。
あの氷の上でダンスする人たちを見て、「うわー、危ないな」と思うのと同時に、「うわー、面倒くさいな」とも思った。
氷の上でバランスを取って、転ばないように気をつけながら踊るなんて、考えるだけで体が重くなる。
それよりも、近くのカフェで温かいコーヒーを飲みながら、窓の外に広がる冬景色を眺める方が、よっぽど有意義で快適だ。
もちろん、実験でデータを取るためなら、どんな面倒な作業も厭わない。
地道な測定を何時間も続けることだって、平気だ。
でも、それは「目的」があるから。
あの湖上のダンスには、僕には見えない「目的」があるのだろうか。
もしかしたら、彼らにとっては、そのスリリングな体験そのものが目的であり、最高のエンターテイメントなのかもしれない。
僕も最近、研究室の先輩に誘われて、週に3回、近所の小さなジムに通って筋トレを始めたのだけど、それがまさに「目的」と「面白さ」がギリギリのラインでせめぎ合っている体験だ。
最初は「研究で疲れない体を作る」という目的があったけれど、最近は「昨日よりも重いダンベルを持ち上げられた!
」という純粋な達成感と、「筋肉痛、最高!
」という謎の快感が、僕をジムに向かわせている。
人間って、本当に面白い生き物だ。
変わったことと言えば、一番は「行動に移すまでの熟考時間」が格段に長くなったことだろう。
昔は、頭に浮かんだら即行動だった。
例えば、「よし、明日から毎日ランニングするぞ!
」と思ったら、その日のうちにスポーツ用品店へ駆け込み、最新のランニングシューズとウェアを買い揃えて、翌日には意気揚々と走り出していた。
もちろん、三日坊主で終わるのがお約束だったけれど。
それが今では、「ランニング、いいかもな…」とふと思い立っても、まず「どのコースを走ろうか」「朝走るか、夜走るか」「ウェアはどんなのがいいかな」「雨の日はどうする?
」と、考え始めるとキリがない。
そして、考えるうちに「いや、そもそも今の時期は寒いし、もう少し暖かくなってからでいいか」とか、「いやいや、研究が忙しいから、そんな時間ないよな」といった、やらない理由が次々と頭に浮かんできて、結局何もせずに終わる。
これぞまさに、怠惰の極み。
いや、慎重になった、と言い訳しておこう。
でも、変わらないこともたくさんある。
例えば、研究室の冷蔵庫に誰かが置いていった賞味期限切れのプリンを見つけると、ちょっとだけ中身が気になってしまう衝動とか、スーパーのレジで、前の人が買った商品をやたらと見てしまう癖とか。
あとは、寝る前に「明日は絶対に朝6時に起きて、論文を読むぞ!
」と固く誓っても、目覚まし時計をスヌーズにして二度寝してしまうこと、とか。
これらはもう、僕のDNAに刻み込まれているんじゃないかと思うくらい、頑として変わらない。
特に、朝の二度寝は僕の生活における「絶対不動のルーティン」と化している。
たとえ世界の終わりが来ようとも、僕は二度寝するだろう。
そして、夢の中で世界の終わりを回避する夢でも見て、一人で満足するに違いない。
筋トレだけは、なんとか週3回のペースを維持しているけれど、それだっていつまで続くか、僕自身にもわからない。
もしかしたら、来週には「筋肉痛、もういいや」と、あっさりやめているかもしれない。
そのくらいの、綱渡りな習慣なのだ。
山中湖の氷上で踊る人たちを、僕は少し羨ましいとも思う。
あそこまで衝動に従って動けるエネルギーは、今の僕にはなかなか持ち合わせていないからだ。
彼らは、僕が二度寝している間に、もしかしたら人生で最高のダンスを披露しているのかもしれない。
もちろん、危険な行為は慎むべきだし、地域の人の注意は聞くべきだ。
でも、あの「やっちゃえ」精神は、僕が失ってしまった、あるいは奥底にしまい込んでしまった、何か大切なものを示しているような気がする。
僕も、もう少しだけ、心のブレーキを緩めてみてもいいのかもしれない。
もちろん、氷の上でダンスはしないし、テーブルの上にも立たないけれど。
せめて、ジムでの筋トレを、もう少しだけ続けてみよう。
そして、いつか、誰かに「なぜ筋トレを続けるんですか?
」と聞かれた時に、「そこに、ダンベルがあるから」と、ちょっとだけドヤ顔で答えてみたい。
そのために、まずは明日、朝6時に起きることから始めよう。
…いや、無理かな。
とりあえず、今夜はいつもより早く寝て、明日の朝、目覚まし時計を「スヌーズなし」に設定する、という、僕にとっての「氷上ダンス」に挑戦してみるか。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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