📝 この記事のポイント
- 帰宅したら、同じ建物の別の部屋のドアを開けようとしていた。
- 鍵を差し込もうとして、ガチャガチャと音を立てたところで、ようやく「あれ? 」となる。
- 定年退職してからというもの、時間だけはたっぷりあるはずなのに、どうも頭の中はいつもふわふわしている。
帰宅したら、同じ建物の別の部屋のドアを開けようとしていた。
鍵を差し込もうとして、ガチャガチャと音を立てたところで、ようやく「あれ?
」となる。
見慣れない傘立て、やけに凝った表札。
隣の隣の部屋だった。
こういうこと、最近増えた気がする。
定年退職してからというもの、時間だけはたっぷりあるはずなのに、どうも頭の中はいつもふわふわしている。
まぁ、それもまた一興、と笑って済ませられるうちは、まだ大丈夫だろうか。
朝は決まって五時半には目が覚める。
身体が勝手に反応するのだ。
現役時代からの名残というか、もう染み付いてしまっている。
起き抜けに一杯の白湯を飲み、新聞にざっと目を通す。
広告チラシを熟読するのはその後の楽しみだ。
特にスーパーのチラシは真剣で、今日はキュウリが安いとか、卵がお得だとか、まるで戦術を練るかのように食い入る。
そして、七時半にはラジオ体操。
これはもう日課中の日課で、雨の日も風の日も、たとえ身体の節々が軋もうと、必ずやる。
ラジオから流れる「いち、に、さん、し!
」の声に合わせて、全身を伸ばす。
たまに「あれ、今日の体操の先生、やけに声が若いな」なんて思ったら、昨日の録音だったりして、一人で苦笑いすることもある。
体操が終われば、お気に入りの湯呑みで熱いお茶を淹れ、縁側でぼんやりと庭を眺めるのが至福の時間だ。
雀がチュンチュンと鳴いたり、猫がのんびり日向ぼっこをしていたり。
そんな小さな命の営みを見ていると、心の中がほんわかと温かくなる。
午前中は散歩に出かけることが多い。
特に用がなくても、ふらふらと近所を歩くのが好きだ。
商店街を通り抜けたり、公園のベンチで休んだり。
途中、顔なじみの八百屋のおばちゃんに「あら、旦那さん、今日は早いね」なんて声をかけられたりすると、世間話に花が咲く。
最近は、いつもの道をちょっとだけ逸れて、初めて通る細い路地を探検するのがマイブームだ。
路地の奥にひっそりと佇む古いお寺を見つけたり、珍しい花が咲いている民家の庭を覗き込んだり。
すると、まるで宝物でも見つけたかのような気分になる。
一度、あまりにも細い道に入り込みすぎて、曲がり角を間違え、見知らぬ住宅街に出てしまったことがある。
その時は、焦ってスマホの地図アプリを開いたものの、方向音痴な私には、自分のいる場所を特定するのも一苦労で、結局、通りかかった郵便配達のお兄さんに道を聞いて、ようやく元の道に戻れた。
スマホの便利な機能も、使いこなせなければただの文鎮、とはよく言ったものだ。
午後は趣味の釣りに出かけることが多い。
家の近くの小さな川だが、鮒や鯉がそこそこ釣れる。
竿を垂らし、水面をじっと見つめていると、時間が経つのも忘れる。
この「無」になる時間が、何よりも心地よいのだ。
釣果は二の次。
釣れても釣れなくても、そこにいるだけで満足する。
ただ、釣り仲間との間には、いつしか「釣った魚は持ち帰る」という暗黙の了解ができてしまっていた。
まぁ、新鮮な魚は美味しいし、家族も喜ぶからいいかと、最初は思っていた。
しかし、これがなかなかどうして、釣れない日もあるわけで。
そんな時に限って、妻に「今日の夕飯は、お父さんが釣ってきた魚で煮付けがいいな」なんて言われると、プレッシャーを感じてしまう。
一度、全く釣れなかった日、スーパーで鯵の開きを買って帰り、「いやぁ、今日の川魚は、鯵にそっくりでねぇ」なんて、苦しい言い訳をしたことがある。
妻はニヤニヤしながら「そう、鯵ねぇ」とだけ言って、特に問い詰めることはなかったが、多分、とっくに見破られていたのだろう。
こういうところで、自分のダメ人間っぷりを再認識するんだよね。
そんな平穏な日々を送っていた、ある日のことだ。
いつものように釣りをしていると、見知らぬ男性に声をかけられた。
「いつもここで釣りをされてますよね?
」。
男性は三十代くらいだろうか、やけに私のことを知っている様子だった。
「ええ、まぁ」と答えると、男性はにこやかに言った。
「実は、うちの娘が、いつもおじいちゃんが釣りをしているのを見て、可愛いと言ってるんです」。
可愛い?
私を?
冗談だろうと思ったが、男性は真顔だった。
そして、男性は私の釣り餌のことや、私がよく座る場所、私が釣った魚の種類まで、こと細かに知っていた。
あまりに詳しすぎるので、正直、少し不気味に感じた。
まさか、ストーカー?
そんな大層なことではないだろうと自分に言い聞かせたが、胸の奥には漠然とした不安が芽生えた。
それからというもの、私の日常に奇妙な変化が起こり始めた。
散歩に出かければ、必ず同じ時間に、同じ場所で、見知らぬ人に遭遇するようになった。
最初は偶然かと思ったが、それが三日、五日と続くと、さすがに「これはおかしい」と思うようになる。
公園でベンチに座って新聞を読んでいると、いつの間にか隣に座っている人が、私と同じページを覗き込んでいる、なんてこともあった。
もちろん、視線を感じるたびにチラリと相手を見るのだが、目が合うとフイと逸らされてしまう。
釣りの最中には、私が普段使わないはずの、特定の釣り餌が水辺に置かれているのを見つけたこともある。
まるで、私の行動を予測しているかのような、あるいは試しているかのような、そんな嫌な感覚に囚われた。
最初は戸惑った。
こんな歳になって、まさか誰かに監視されているような気分になるとは思わなかった。
家に帰れば、郵便受けに、なぜか私の好きな銘柄のコーヒー豆が匿名で入っていたりする。
最初は「おや、誰かのお裾分けかな」くらいに思っていたが、それが月に一度、定期的に届くようになると、だんだん怖くなってきた。
妻に話しても、「あら、もしかして、お父さん、モテてるんじゃない?
」と笑い飛ばされてしまう。
いやいや、笑い事じゃないんだ、と力説しても、彼女は「そんなことより、今日の晩御飯、何がいい?
」と話題を変えてしまうのだ。
私も、あまり心配させたくないという気持ちもあって、それ以上は深く話さなかった。
しかし、この奇妙な出来事は三年以上も続いた。
もう、戸惑いを通り越して、諦めと、奇妙な慣れが生まれてしまっていた。
散歩の途中で同じ人を見かけても、「ああ、またあの人か」と思うようになったし、釣りの最中に見慣れない釣り餌が置かれていても、「今日の献立はこれで決まりか」と、もはや一種のルーティンとして受け入れてしまっていた。
いや、受け入れていた、というのは少し違うかもしれない。
正確には、どうすることもできない、という無力感が、いつの間にか「慣れ」へとすり替わっていたのだ。
これはこれで、かなりまずい精神状態だったのかもしれない。
だって、私も人間だもの。
いちいち怯えていたら、身が持たない。
だから、できるだけ気にしないように、自分をごまかしていたのだ。
そんなある日、長年お世話になっている町内会の集会でのこと。
町内会長が、最近の防犯について熱心に語っていた。
空き巣や不審者への注意喚起。
その話を聞いているうちに、私はふと、自分の身に起きていることを思い出した。
三年以上も続くこの奇妙な出来事。
誰が、なぜ、こんなことをしているのだろう。
考えても考えても、全く心当たりがない。
私は、町内会長の話が終わった後、意を決して、自分の身に起こっていることを、少しだけだが相談してみた。
すると、会長は真剣な顔で私の話を聞いてくれた。
そして、「一度、交番に相談してみてはどうか」と勧めてくれたのだ。
交番で、これまでの経緯を説明した。
最初は半信半疑だった警察官も、私の話を聞くうちに、徐々に表情が厳しくなっていった。
そして、警察官は、私の家を訪問し、周辺を調べてくれることになった。
数日後、警察官から連絡があった。
「原因が判明しました」と。
私は、胸がドキドキした。
一体、誰が?
どんな理由で?
三年以上も私の個人情報を知り得ていたのだろうか。
警察官が説明してくれた内容は、あまりにも意外なものだった。
私の個人情報、具体的には住所や氏名、そして日常の行動パターンが、あるルートから定期的に流出していたというのだ。
そのルートとは、私が毎朝楽しみにしている、あの新聞の広告チラシ。
いや、チラシそのものではない。
チラシが挟まれている、あの透明なビニール袋だ。
あれに、微細な発信機が仕込まれていたというのだ。
そして、その発信機は、私がチラシをポストから取り出すと同時に作動し、私の行動範囲を記録していた。
そして、私の個人情報を取得していたのは、近所の釣具店の店主だった。
あの、いつもニコニコしている、人の良さそうな店主が?
私は耳を疑った。
店主は、私の釣り餌の好みはもちろん、私がよく行く場所、散歩のルート、そして私の家族構成まで、まるで知り合いのように詳しかった。
まさか、あのビニール袋から、私の情報が吸い取られていたなんて。
警察官の話によると、その釣具店の店主は、どうやらある種の「顧客リスト」を作成しており、それは単なる住所録に留まらない、顧客の行動パターンや趣味嗜好を網羅した、一種の「行動データベース」のようなものだったらしい。
特定の顧客の行動を把握し、そこから得られた情報をもとに、その顧客が喜びそうな餌をサンプルとして置いてみたり、趣味に関連したチラシをピンポイントで配ったりしていたのだという。
要するに、私のストーカー行為だと思っていたものは、釣具店の店主による、過剰な顧客サービスの一環だったのだ。
もちろん、店主は悪気があってやっていたわけではないだろう。
むしろ、良かれと思って、顧客満足度を高めようとしていたのかもしれない。
だが、私にとっては、恐怖以外の何物でもなかった。
自分の日常が、全て誰かに監視され、記録されていたなんて。
警察官が「これは、個人情報保護の観点からも問題がある」と指摘し、店主には厳重な注意がなされたという。
店主は、深く反省し、すぐに発信機の回収とデータベースの廃棄を約束したそうだ。
その話を聞いた時、私は震えた。
恐怖で。
こんな身近なところから、まさか、と。
そして、三年以上もその事実を知らずにいた自分にも、少し呆れてしまった。
確かに、あのビニール袋は、たまに自宅のポストに入っていた。
他のチラシと一緒に、何の気なしに捨てていた。
まさか、それが自分の行動を監視するツールになっていたなんて、想像だにしなかった。
それからというもの、私のルーティンは少しだけ変わった。
新聞の広告チラシは、今まで通り楽しみに読むけれど、透明のビニール袋は、受け取ってすぐに中身を出して、袋はきちんと捨てるようになった。
もちろん、以前のように、ビニール袋に入ったまま放置しておくなんてことは、もうしない。
あの釣具店には、さすがにしばらくは足が向かないけれど、いつかまた、あの人の良さそうな店主と、笑顔で話せる日が来るといいな、なんて、都合のいいことを考えてしまう。
人生には、本当に色々なことがある。
まさか、こんな形で自分の個人情報が流出しているとは、夢にも思わなかった。
でも、今回のことで、私は少しだけ賢くなった気がする。
いや、賢くなったというよりは、ちょっとだけ、世の中の仕組みに詳しくなった、という感じだろうか。
それにしても、あのコーヒー豆、どこの銘柄だったんだろう。
あれは、純粋に美味しかったんだよな。
また、どこかで買えないかな。
そんなことをぼんやり考えながら、私は今日も、新しいルーティンの中で、変わらない日常を送っている。
明日はどんな発見があるだろうか。
そう、人生は、いつだって小さな驚きに満ちているものなのだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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