📝 この記事のポイント
- 書店で立ち読みしていたら、知らない人に話しかけられて焦った。
- あれはたしか、新潮文庫の棚のあたりだったと思う。
- 特に買いたい本があったわけでもなく、ただ時間を潰そうと、最近人気の小説の帯を眺めていた時のことだ。
書店で立ち読みしていたら、知らない人に話しかけられて焦った。
あれはたしか、新潮文庫の棚のあたりだったと思う。
特に買いたい本があったわけでもなく、ただ時間を潰そうと、最近人気の小説の帯を眺めていた時のことだ。
隣にいた、僕より少し年上の男性が、いきなり「これ、面白いですよね」と声をかけてきたのだ。
いや、知らない人だし、話しかけられたのは初めてだし、そもそも僕、そういうコミュニケーションに慣れてないんですけど……と内心パニックになりつつも、とりあえず会釈だけしてその場をそそくさと離れた。
別に悪意があったわけじゃないのはわかる。
ただ、急に話しかけられると、僕の脳みそは毎回ショート寸前になるのだ。
転勤族で、見知らぬ土地を転々としているせいか、変な警戒心ばかりが育ってしまって困る。
いや、元からか。
そんな感じで、いまだに慣れない街の書店で、僕はよく一人で思考を巡らせる。
先日も、文庫本コーナーの片隅で、ふと『ちいかわ』の話題が頭をよぎった。
あの人気キャラクターたち、みんな可愛いし、癒やされるんだけど、たまに妙にリアルで、胸に刺さるエピソードがある。
特に最近、僕の脳裏に焼き付いて離れないのは、かつよが自分の撮られた写真を「これは自分じゃない」と言い放つ回と、その次の回で、モモンガが「あたしを撮ってよ!
」とポーズを決める回が、続けて掲載された時のことだ。
あの対比、一体何なんだろう。
あまりにも残酷で、作者のナガノ先生は一体何を考えているのか、と一時期真剣に悩んだ。
いや、もちろん、先生が意図的に残酷にしているわけではないだろう。
ただ、僕のような凡人は、あの落差にどうしようもなく引きずられてしまうのだ。
かつよの、自分の姿を認められない悲哀と、モモンガの自己肯定感の爆発。
あの二つが並ぶと、もう、なんというか、胸が痛い。
だって、かつよの気持ち、僕には痛いほどわかる。
僕も、風呂上がりの鏡に映る自分を見るたび、「誰だこれ」って思うことがあるから。
いや、もちろん知ってるよ、自分だってことは。
でも、なんかこう、理想の自分と現実の自分とのギャップが、あまりにも激しすぎて、脳が認識を拒否する瞬間があるのだ。
特に単身赴任で自炊生活を始めてからというもの、食生活が乱れがちで、体重計に乗るたびに「こんなはずじゃなかった」と呟く日々。
スーパーで「おつとめ品」のシールが貼られた半額の刺身パックを手に取りながら、「これ、僕の未来の姿じゃないよな?
」と変な哲学モードに入ってしまったりする。
別に半額の刺身が悪いわけじゃない。
むしろ賢い選択だ。
でも、なんか、こう、自分への投資を怠っているような、そんな自己嫌悪が、ふとした瞬間に頭をもたげるのだ。
モモンガはすごい。
あの自信はどこから来るんだろう。
たとえ周りにどう思われようと、「あたし、可愛いから撮ってよ!
」と言える強さ。
僕も、あれくらいの自己肯定感が欲しいと心底思う。
だけど、いざ自分が誰かに写真を撮られるとなると、途端に体が硬直する。
笑顔を作ろうにも、ひきつった奇妙な顔になるし、ピースサインなんて出そうものなら、指が不自然に曲がって「呪いのポーズ」みたいになること請け合いだ。
だから、飲み会とかで「集合写真撮りますよー!
」なんて声が上がると、条件反射で一歩後ろに下がる。
誰かの背中に隠れるようにして、なんとかフレームアウトしようと必死になる。
これはもう、僕の生存本能に近い。
あのちいかわの対比が頭から離れなかった僕は、その日の夜、スーパーの帰り道、ふとある疑問にぶち当たった。
「そもそも、人間はなぜ自分の写真に不満を抱きがちなんだろう?
」という、どうでもいいようで、僕にとっては割と切実な疑問だ。
そして、なぜモモンガはあんなにも自己肯定感が高いのか。
いや、モモンガはキャラクターだから、という身も蓋もない答えは置いておく。
そこに、何か普遍的な真理が隠されている気がしてならなかったのだ。
家に帰って、とりあえず買ってきた鶏むね肉を冷蔵庫にしまい、一人で晩飯の準備をしながら、スマホで検索してみた。
「写真写りが悪い」「自分の顔が好きじゃない」などと、ありきたりなワードを打ち込むと、出るわ出るわ、同じ悩みを抱える人々の声。
そして、心理学的な解説記事までヒットした。
「人は鏡で見る自分の顔と、写真で見る自分の顔にギャップを感じやすい」という内容だった。
鏡に映る顔は左右反転しているけれど、写真はそのまま写る。
長年鏡で見てきた自分の顔が「いつもの顔」なので、写真の顔は「見慣れない顔」に感じられ、違和感を覚えるのだとか。
さらに、鏡の自分は「脳内で理想化された自分」らしい。
いや、そうだったのか。
僕の脳みそ、そんなに都合よく自分を美化していたとは。
それはそれで、ちょっとした衝撃だった。
僕が鏡を見て「誰だこれ」って思うのは、鏡の中の自分が理想の僕からかけ離れているからだと思っていたのに、実はその鏡の僕自体が、すでに美化された「理想の僕」だったとは。
つまり、現実の僕は、鏡の僕よりもさらに、かつよに近い存在だったということか。
なんというダブルパンチ。
いや、トリプルパンチか。
そして、モモンガの謎についても、僕なりの仮説を立ててみた。
モモンガは、きっと自分のことを一番可愛いと思っている。
あの自信は、誰かからの評価ではなく、完全に自分の中から湧き出ているものだ。
自己評価がぶっちぎりで高い。
そして、その自己評価が、外部からの評価と多少食い違っていても、全く気にしない。
むしろ、外部の評価をねじ伏せるほどの「我こそは可愛い」という揺るぎない信念がある。
これはもう、ある種の「悟り」の境地なのではないか。
僕のような凡人が、「こんなはずじゃなかった」と自己嫌悪に陥っている間に、モモンガはとっくにその段階を通り越して、もはや「自分最高!
」という境地に達しているのだ。
ちいかわの作者は、もしかしたら僕らに「モモンガを見習え」とでも言いたかったのだろうか。
いや、それはないか。
でも、そうか。
僕が自分の写真に違和感を覚えるのは、鏡の中の理想の僕と、写真に写った現実の僕との乖離のせいだったんだな。
そう思うと、少しだけ心が軽くなった。
いや、別に僕の顔が急にイケメンになったわけじゃないし、自炊生活で乱れた食生活が改善されたわけでもない。
相変わらずスーパーでは半額の鶏むね肉と、半額の刺身パックを手に悩む日々だ。
そして、相変わらず写真を撮られるのは苦手だし、集合写真ではそっと後ろに下がるだろう。
だけど、少なくとも、あの「誰だこれ」という感覚が、僕の脳が作り出した幻影であると知れただけでも収穫だ。
いや、幻影というよりは、脳が優しさに包まれている証拠、とでも言っておこう。
きっと僕の脳は、僕の心を傷つけないように、毎日せっせと鏡の中の僕を美化してくれているんだ。
健気だな、僕の脳。
ありがとう。
その気持ちは嬉しいけど、もう少し現実を突きつけてくれてもいいんだぜ、と、冷蔵庫の鶏むね肉に語りかけたりする。
いや、それはたぶん違うな。
結局のところ、僕の生活は何も変わらない。
単身赴任先の小さなアパートで、今日も一人、晩飯の支度をする。
スーパーで買ってきた鶏むね肉を、どうにか美味しく食べようと、ネットでレシピを検索する。
鶏肉を一口大に切りながら、ふと、モモンガのあの自信満々な笑顔を思い出した。
あの笑顔には、きっと、鏡の中の自分も、写真の中の自分も、何の違和感もなく受け入れる強さがあるんだろうな。
それが、僕にはまだ遠い世界の話だ。
でも、いつか僕も、ちいかわに出てくるモモンガのように、いや、モモンガはちょっと極端すぎるか、せめてかつよのように、自分の姿を認められるようになりたい。
いや、かつよは最終的に「これは自分じゃない!
」って言ったんだった。
じゃあ、やっぱりモモンガを見習うしかないのか。
うーん、道のりは長そうだ。
とりあえず、今日の晩飯は、鶏むね肉の照り焼きだ。
少しでも美味しくなってくれることを願って、フライパンに油をひく。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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