📝 この記事のポイント
- 近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。
- ただ、ここ数ヶ月、週に二度は来店しているだけだ。
- 会社帰りに寄ることが多いから、おばちゃんも私の顔を覚えてくれたのだろう。
近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。
いや、別に常連ぶっているわけではない。
ただ、ここ数ヶ月、週に二度は来店しているだけだ。
会社帰りに寄ることが多いから、おばちゃんも私の顔を覚えてくれたのだろう。
その日は日替わり定食の「鶏肉の味噌炒め」を頼み、温かいお茶をすすりながら、壁に設置されたテレビに目をやった。
ちょうど『出川哲朗の充電させてもらえませんか?
』が流れていて、出川さんが電動バイクを走らせているところだった。
あの番組、正直なところ、私は出川さんがどこで充電させてもらうか、とか、行く先々で出会う人々との交流とか、そういう感動的な部分にはあまり興味がない。
もちろん、ロケで出会う人々の温かさには「ふふっ」となるし、出川さんの素朴な人柄には癒される。
でも、それよりも、あの番組を観ていると毎回思うことがあるのだ。
「なぜ、今、そのBGMを選曲したんだろう?
」と。
私にとって、あの番組は、出川さんが日本のどこかを旅するロードムービーではなく、「BGM選曲の意図を考察するドキュメンタリー」なのだ。
例えば、出川さんが海沿いを走っているシーンで、いきなり2000年代前半に流行ったバンドのヒット曲が流れ出す。
「え、ここでそれ?
なんで?
」って、思わず箸を止めてしまう。
別にその曲が嫌いなわけじゃない。
むしろ、中学や高校生の頃、友だちとカラオケで熱唱したり、MDウォークマンで擦り切れるほど聴いたりしていた曲ばかりだ。
だからこそ、「なぜ、今、このタイミングで、その曲を!
」という疑問が止まらないのだ。
番組のスタッフは、視聴者を試しているのだろうか?
「この曲、わかるかな?
懐かしいでしょ?
」と、まるでクイズ番組の出題者のように、ニヤニヤしながら選曲しているのではないか、とまで疑ってしまう。
ある時は、出川さんが坂道をゼーゼー言いながら登っているところに、やたらと爽やかなJ-POPが流れてきた。
歌詞は「未来へ向かって駆け出そう!
」みたいな感じ。
いや、走ってないし、むしろ電動バイクのバッテリーが切れそうで足が止まってるんですけど、とテレビに向かって一人ツッコミを入れてしまう。
その絶妙なミスマッチ具合が、なんとも言えず可笑しい。
あの選曲担当者、きっと私と同じ世代なんだろうな、と勝手に親近感を覚えることもある。
だって、ドンピシャで私の青春時代を彩った曲ばかりなのだ。
一時期、流行に流されて色々なジャンルの音楽を聴いては飽きて、また新しいものに手を出す、ということを繰り返していたけれど、あの番組で流れる曲たちは、なんだかんだ言って私の人生のどこかしらにしっかり居座っていた曲たちばかりなのだ。
定食屋のおばちゃんが「あんた、いつもテレビ見ながらニヤニヤしてるねぇ」と声をかけてきたことがある。
その時も、ちょうど出川さんが農道を走るバックで、私が高校生の時にハマっていたロックバンドのバラードが流れてきて、「これ、この時の風景に合うかな!
」と心の中で盛り上がっていたところだった。
私は「ああ、なんか、選曲がツボにハマっちゃって」と曖昧に答えたものの、きっとおばちゃんには「若いのに変な趣味だねぇ」くらいに思われていたに違いない。
別に良いんだけど。
ある日、私はついに、あの番組のBGM選曲の「真の意図」に気づいてしまった。
それは、私が出川さんの充電旅を観ている最中、ふと、あるCMが流れた時のことだった。
昔流行ったお菓子が、レトロなパッケージのまま再販されたというCMだ。
そのCMのBGMにも、やはり2000年代のヒット曲が使われていたのだ。
その瞬間、私は閃いた。
「もしかして、あの番組のBGMって、単に懐メロを流しているわけじゃない……?
」と。
それまで私は、あの番組のBGMは、単に「懐かしい曲を流して視聴者のノスタルジーをくすぐっているだけ」だと、勝手に思い込んでいた。
でも、そのCMを見て、ハッとしたのだ。
あれは、番組スタッフが緻密に練り上げた「仕掛け」なのではないかと。
あのCMのように、昔流行った曲を流すことで、視聴者の「あれ、この曲、最近どこかで聴いたような……?
」という潜在意識を揺さぶり、無意識のうちに番組を「なんか、気になる存在」として刷り込んでいるのではないか、と。
そう、まるで、昔のヒット曲を「新しい発見」のように演出することで、番組自体を「今、一番ホットな懐かしさ」としてブランディングしているのではないか、と。
私は「うわー、やられた!
」と心の中で叫んだ。
なんて巧妙な手口なんだ、と。
それからというもの、私はあの番組を観るたびに、BGMと、それが流れるシーンとの関連性、そして、その曲が過去に流行った背景などを、まるで探偵のように深読みするようになった。
まるで、番組側が私たち視聴者に「この曲を聴いて、何を連想する?
」「この曲が流れることで、番組にどんな意味が加わる?
」という謎かけをしているかのようだった。
私はその謎を解き明かすことに、すっかり夢中になっていた。
そして、私は、その「謎解き」に成功したと思い込んでいた。
ある日、私は友人とファミレスでランチをしていた。
その友人も、私と同じくあの番組をよく観ている。
私は意気揚々と、これまでの「BGM深読み」の成果を語り出した。
「あの番組のBGMって、ただの懐メロじゃないんだよ。
あれは、視聴者の潜在意識に働きかける、巧妙なブランディング戦略なんだ!
昔のヒット曲を、新しい文脈で提示することで、番組自体を『今、聴くべき懐かしいもの』として位置づけてるんだよ!
」と、熱弁を振るった。
友人は、私が熱く語るのを、ニコニコしながら聞いていた。
私の話が一通り終わると、友人は「へぇ〜、面白い考えだねぇ」と一言。
そして、続けてこう言ったのだ。
「でもさ、あれ、選曲してる人、単純にその曲が好きでかけてるだけなんじゃない?
あと、使用料が安かったとか?
……え?
私は、一瞬、思考がフリーズした。使用料……? 好き……?
友人の、あまりにもあっけらかんとした一言は、私がこれまで築き上げてきた壮大な「BGM選曲戦略論」を、一瞬にして打ち砕いた。
私の顔から、サッと血の気が引くのが分かった。
そうか、そういう可能性も、あったのか……!
私は、壮大な勘違いをしていたのだ。
ただ単に「この曲、懐かしいから使ってみようぜ!
」とか、「この曲、このシーンに合ってる気がしない?
」くらいの、もっとずっとシンプルな理由で選曲されていたのかもしれない。
むしろ、そっちの方が、あの番組の素朴で飾らない雰囲気に、よっぽど合致しているではないか。
恥ずかしさで、思わず顔を覆いたくなった。
私は何ヶ月もの間、あの番組の裏に隠された深遠な意図を読み解こうと、真剣に考察を重ねていたというのに。
友人は、そんな私の様子を見て、クスッと笑った。
「でもさ、そういう風に深く考えられるのって、面白いじゃん。
テレビをただ漠然と見るだけじゃなくて、自分なりの視点を持ってるってことだもんね」と、フォローしてくれた。
その言葉に、私は少しだけ救われた気がした。
そうか、私の「深読み」は、たとえそれが壮大な勘違いだったとしても、決して無駄ではなかったのだ。
だって、そのおかげで、私はあの番組を何倍も楽しむことができたし、友人とこんな風に笑い話にすることもできたのだから。
それに、もしかしたら、私の考察のほんの少しだけは、当たっているのかもしれない。
選曲担当者だって、完全に何の意図もなく、曲を選んでいるわけではないだろう。
少なくとも、私のように、あの曲を聴いて「懐かしい!
」と思う視聴者がいることは、計算のうちに入っているはずだ。
あの定食屋で、またテレビの『充電させてもらえませんか?
』が流れてきたら、私はきっと、またニヤニヤしながらBGMに耳を傾けるだろう。
そして、今度は「ああ、この曲、担当者が昔すごく好きだったんだろうな」とか、「きっと使用料が安かったんだろうな、ふふ」とか、もっと肩の力を抜いて、勝手に想像を膨らませるに違いない。
人生って、結局、そういう小さな勘違いや、そこから生まれる笑い話でできているのだ。
昔ハマったものも、一度飽きて離れても、また別の形で舞い戻ってくる。
そして、ちょっとした視点の変化で、また新しい楽しみ方が見つかる。
それは、まるで、あの番組のBGMが教えてくれた、私なりの人生のロードムービーみたいだ。
いや、さすがに深読みしすぎか。
まあ、いっか。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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