📝 この記事のポイント
- 公園のベンチで休憩していたら、鳩に囲まれてパニックになった。
- 一週間分の仕事を終え、初めての一人暮らしの部屋に帰る前に、少しだけ息抜きをしようと立ち寄った公園。
- 夕焼けが綺麗で、風も心地よかったから、ぼんやりとスマホを眺めていたんだよね。
公園のベンチで休憩していたら、鳩に囲まれてパニックになった。
あれは、金曜日の夕方だった。
一週間分の仕事を終え、初めての一人暮らしの部屋に帰る前に、少しだけ息抜きをしようと立ち寄った公園。
夕焼けが綺麗で、風も心地よかったから、ぼんやりとスマホを眺めていたんだよね。
そしたら、いつの間にか足元に、いや、膝の上にも、肩にも鳩、鳩、鳩!
「え、なにこれ、私、餌持ってる?
」って一瞬本気で勘違いして、無意識にバッグの中を漁っちゃった。
別に何も持ってないはずなのに。
慌てて立ち上がったら、その勢いでスマホを地面に落としてしまって、さらにパニック。
鳩は驚いて一斉に飛び立ったけど、私の心臓はバクバク。
周りのベンチに座っていたおじいちゃんたちが、ニコニコしながら見てるのがまた恥ずかしい。
きっと「また若い子がドジってるわい」って思われたんだろうな。
スマホの画面は割れてなかったけど、あの瞬間は本当に恥ずかしくて、顔が真っ赤になった気がする。
まあ、慣れない一人暮らしで、心身ともに疲弊しているってことなんだろう。
実家では、こんな間抜けな真似はしなかったもん。
ご飯は出てくるし、お風呂は沸いてるし、洗濯物だって勝手に畳まれてた。
それが今や、全て自分の責任。
朝は目覚まし時計と格闘し、夜はスーパーの値引きシールと駆け引き。
休日は溜まった洗濯物と格闘して、結局一日が終わる。
社会人になって初めての一人暮らしって、想像以上にハードモードだ。
実家にいた頃は、自分の部屋で好きなだけゲームしたり、漫画を読んだり、夜中にこっそりラーメン食べたり、やりたい放題だったのに。
今は、そんな自由な時間も、労力も、なかなか確保できない。
趣味の時間、特に集中力が必要なゲームなんて、平日はほとんどできなくなった。
休日に「よし、やるぞ!
」って意気込んでも、結局は溜まった家事と仕事の疲れで、コントローラーを握ったまま寝落ち、なんてこともざら。
特に、一人暮らしを始めてから、昔ハマっていたゲームへの情熱が少し冷めてしまった気がする。
学生時代は、新作が出るたびに予約して、発売日には徹夜でプレイ、なんてこともあったのに。
RPGで何百時間もかけてレベル上げしたり、アクションゲームで隠しルートを探したり、格闘ゲームでコンボ練習したり。
あの頃は、ゲームの世界に没頭している時間が、何よりも楽しくて、現実の面倒なことから逃避できる唯一の場所だったんだよね。
でも、最近はそうでもない。
新しいゲームを買っても、チュートリアルが終わったくらいで放置しちゃうことが増えた。
昔のゲームを引っ張り出してきて、「懐かしいな」って思うことはあっても、いざプレイしようとすると、「あれ、こんなに難しかったっけ?
」とか、「この作業、昔は楽しかったのに、今はしんどいな」って感じて、すぐに電源を落としちゃう。
まるで、あの頃の自分が別の人間だったみたいに。
飽きた、というよりは、ゲームに集中する「体力」がなくなった、というのが正直なところかもしれない。
代わりに、最近は「見て楽しむ」娯楽が増えた。
動画サイトで猫の動画をひたすら見たり、知らない人がひたすら料理をする動画をぼーっと眺めたり。
あとは、昔好きだったアニメを一話ずつゆっくり見返したりする。
昔は「見るだけなんて、もったいない!
」って思ってたのに、今はそれがちょうどいい。
余計な集中力を使わずに、ただ時間が流れていくのを感じるのが、一番の癒しだったりする。
でも、たまに昔のゲームを起動して、セーブデータ一覧を見た時、ふと、胸が締め付けられるような気持ちになることがある。
かつては、一緒にオンラインゲームをしていた仲間たち。
チャットでくだらない話をして、ボイスチャットで笑い転げて、朝まで一緒にクエストをこなしていた友人たち。
彼らのキャラクター名が並んだセーブデータを見ると、あの頃の賑やかさが脳裏に蘇る。
そういえば、うちの親もそうだったな、とふと思った。
親世代、いわゆる「氷河期世代」ってやつ。
彼らがよく言う「自分たちは苦労した」とか「お前らの時代は恵まれている」みたいな話。
正直、ちょっとうんざりする時もあるんだよね。
だって、私は私の苦労があるし、私だって必死に生きてるんだから。
一人暮らしの電気代に怯えたり、スーパーのレジで小銭が足りるかドキドキしたり、新しい職場で人間関係に気を遣ったり。
いつの時代だって、生きるって大変なんだから。
でも、たまに親が酔っ払った勢いで話すのを聞いていると、彼らの話す「苦労」は、私の想像をはるかに超えるものだったりする。
昔の同僚が突然会社に来なくなって、そのまま行方不明になった話。
同期の友人が、突然「もう無理だ」って言って、違う世界に行ってしまった話。
働きすぎて体を壊して、若くして亡くなってしまった先輩の話。
そんな話を聞くたびに、私とは全く違う種類の「重さ」を感じる。
親はいつも、「自分は運が良かっただけだ」って言う。
必死にしがみついて、なんとか生き残ったけど、隣にいた仲間たちが次々と脱落していくのを、ただ見ていることしかできなかったって。
だから、あんなに繰り返し、繰り返し、あの頃の苦労を語るんだろうな。
それは、単なる武勇伝なんかじゃなくて、自分だけ生き残ってしまったことへの、どこか後ろめたい気持ちと、消えていった仲間たちへの鎮魂歌みたいなものだったのかもしれない。
私のゲームのセーブデータだって、似たようなものだ。
もう二度とログインしないであろう、たくさんのフレンドのID。
彼らも、私と同じように、現実の生活に追われてゲームを辞めていったのかもしれない。
あるいは、もっと違う事情で、ログインできなくなってしまった人もいるのかもしれない。
私は、あの頃のゲームの世界で、ただ生き残っているセーブデータの一つに過ぎない。
だから、親が「あの頃は本当に大変だった」って、ちょっと皮肉っぽく、でもどこか寂しそうに語る時、私は昔のように「またその話?
」なんて思わなくなった。
むしろ、「うんうん、大変だったんだね」って、相槌を打つようになった。
まるで、私がゲームで、あの頃の仲間たちの痕跡を辿るように、親もまた、自分たちの青春の残骸を語っているのかもしれない。
先日、押し入れの奥から、小学生の頃に遊んでいた古いゲーム機を発見した。
電源を入れてみたら、ちゃんと動いた。
あの頃ハマっていたRPGを起動してみると、初期村のセーブデータが残っていた。
「あれ、こんなところでセーブしたっけ?
」って不思議に思ったけど、きっと何か理由があったんだろう。
そして、そのゲームを久しぶりに少しだけ進めてみた。
昔は途中で諦めてしまった敵に、あっさり勝てた。
レベル上げをほとんどしなくても、なんとかなるもんだ。
ふと、公園で鳩に囲まれてスマホを落とした時のことを思い出した。
あの時はパニックになったけど、今となっては笑い話だ。
きっと、あの時のおじいちゃんたちも、私を見てそんな風に思ってくれたんだろう。
人生もゲームも、たまには昔の場所に戻ってみるのも悪くない。
あの頃は乗り越えられなかった壁も、今の自分なら意外と簡単に越えられるかもしれない。
そして、あの頃には見えなかった、大切なものに気づけることもある。
なんて、ちょっと大げさなことを考えながら、私はまた、セーブボタンを押した。
次はいつ、この世界に戻ってくるかな。
それもまた、人生の気まぐれってやつだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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