📝 この記事のポイント
- 美容院で「いつも通りで」と言ったら、担当者が変わっていて微妙な仕上がりに。
- なんだか前髪の分け目がいつもと逆な気がするし、毛先のハネ具合も理想とは違う。
- まるで、知らない誰かの髪を借りてきたみたい。
美容院で「いつも通りで」と言ったら、担当者が変わっていて微妙な仕上がりに。
なんだか前髪の分け目がいつもと逆な気がするし、毛先のハネ具合も理想とは違う。
まるで、知らない誰かの髪を借りてきたみたい。
家に帰って鏡を見ても「うーん、これじゃないんだよなぁ」って独りごちちゃう。
娘のミオが「ママ、髪切ったんだね!
変なのー!
」って正直な感想を言ってくれたときには、もう笑うしかなかった。
うん、ママもそう思うよ。
こんな些細な出来事一つとっても、日常ってのは「いつも通り」がどれだけ尊いかってこと、しみじみ感じさせられるんだよね。
慣れた担当さんなら、私がどんなニュアンスで「いつも通り」って言ってるか、阿吽の呼吸で分かってくれる。
でも、初めましてだと、そうはいかない。
きっとね、担当さんも「いつも通りって…どこからどこまでが『いつも通り』なんだろう?
」って、頭の中でぐるぐる考えてたに違いない。
いや、考えてなかったのかな?
もしそうなら、それはそれでちょっと面白いけど。
こういうのって、よくあるんだよね。
スーパーのレジで、いつものお姉さんが今日はいない、みたいな。
いつものお姉さんなら、私のカゴの中身をチラッと見て、ポイントカードの有無とか、エコバッグ出すタイミングとか、だいたい察してくれてる。
なのに、今日のレジの新人さんは、袋詰めが終わってないのに次の人のお会計を始めようとしたり、お釣りを渡すときに手がプルプル震えていたり。
こっちも「頑張れ!
」って心の中で応援しながら、ちょっとだけソワソワしちゃう。
あるいは、いつもの通勤電車で、いつも座る車両のいつもの席が、今日はすでに誰かに占領されてる、とか。
その瞬間、「あ、今日はもうダメだ。
今日はついてない日だ」って、条件反射でがっかりしちゃうんだよね。
いや、別にそこじゃなきゃダメってわけじゃないし、立っててもいいんだけど、無意識のうちに作ってた「私のルーティン」が崩れると、なんかこう、一日がちょっとだけ「イレギュラー」なものに感じられるっていうか。
でもね、そんな「いつも通りじゃない」が積み重なると、人間って不思議なもので、別の「いつも通り」を作り出そうとするんだよね。
美容院の失敗も、最初は「うわー」って思ったけど、数日経つと「あれ、この分け目も悪くないかも?
」って思えてくる。
新しいヘアスタイルに合わせて、今まであんまり着なかった色の服を選んでみたり。
レジの新人さんも、数週間もすればベテラン顔でテキパチお会計をこなすようになるし、電車の席だって、たまには窓の外を見ながら立ってるのもいいもんだ、なんて思ったりする。
そうやって、私たちは日々、小さな変化に適応しながら生きている。
そう、適応能力って、結構すごいんだよね。
多分、人類がここまで生き延びてこられたのも、この適応能力のおかげなんじゃないかな、なんて、壮大なことに思いを馳せちゃったりして。
いや、そんな大した話じゃないんだけど。
でね、こんなことを考えながら、最近ハマってる動画コンテンツを見てたんだよね。
これがまた、倫理観がどこかに置き去りにされたような、ぶっ飛んだ内容で。
主人公が常識外れな行動を取りまくって、周りのみんなが「え、マジ?
」って引いてるんだけど、なぜか物語が進んでいく、みたいな。
善悪の判断とか、モラルとか、そういうのが一切通用しない世界観で、見てて「うわー、ひどいな!
」って笑っちゃう。
例えば、あるアニメで、主人公が何の悪気もなく「ちょっとそこまで」って感じで、世界の命運を左右するような超危険なアイテムを、何の準備もなしに持ち出そうとするシーンがあったの。
もちろん周りは大パニック。
「お前、何してんだ!
」って止めに入るんだけど、主人公は「え?
だって、これ必要でしょ?
」みたいな顔してる。
そういう、常識が完全にひっくり返ってるギャグが満載で、本当にバカバカしいんだけど、なぜか癖になるんだよね。
あるいは、ドタバタコメディで、登場人物がことごとく他人の迷惑を顧みずに自分の欲望に忠実に行動するんだけど、最終的にはなぜか丸く収まってしまう、みたいな。
見てるこっちは「いやいや、それはないでしょ!
」ってツッコミ入れっぱなしなんだけど、そのハチャメチャさがたまらない。
こういうコンテンツって、現実世界でやったら絶対ダメなことばかり描かれてるじゃない?
法に触れるとか、人としてどうなの?
とか。
でも、それがフィクションだからこそ、安心して思いっきり笑えるんだよね。
むしろ、現実では絶対にできないからこそ、その「やっちゃいけないこと」を、画面越しに「やってくれた!
」って感じでスカッとするというか。
日常の小さなストレスとか、人間関係のモヤモヤとか、そういうのを一瞬忘れさせてくれる、ある種の清涼剤なんだよね、私にとっては。
ただね、こういう倫理観が欠如したコンテンツを心ゆくまで楽しむには、現実世界が、ある程度「倫理観が守られた平和な状態」である必要がある、って気づいたんだ。
だって、もし自分の周りが本当に無法地帯で、日々倫理観とかモラルとか、そういうのが通用しないような状況だったら、こんなおバカなコンテンツ見て笑ってる余裕なんて、多分ないと思うんだ。
例えば、ミオが学校でいじめられてるとか、ご近所トラブルで毎日ヒヤヒヤしてるとか、パート先で理不尽な目に遭ってるとか。
そういう現実のストレスがモリモリあったら、フィクションの中のバカ騒ぎなんて、ただの耳障りな騒音にしか聞こえないんじゃないかな。
むしろ、「現実でこれだけ大変なのに、なんで画面の中までこんな酷い目に遭わなきゃいけないんだ!
」って、イライラしちゃいそう。
だから、私ね、最近思うんだ。
私が安心して、心底「ひどいな、これ!
」って笑える倫理観なきコンテンツを楽しめるのは、現実世界が、ある程度は「ちゃんと機能してる」からなんだって。
朝起きて、ミオが元気に学校に行って、私もパートでそれなりに働いて、夜は家族でご飯を食べて、何事もなく一日が終わる。
そういう当たり前の日常が、ちゃんと回ってるからこそ、フィクションの中の「非常識」を楽しめるんだ。
そう考えると、世界って平和であってほしい、ってすごく思うんだよね。
誰かが争ったり、困ったり、悲しい思いをしたりするニュースを見るたびに、「うわー、大変だな」って思うんだけど、それって、結局は私が安心して好きなものを楽しむための土台が揺らぐことでもあるんじゃないかって。
もちろん、そんな自分本位な理由だけじゃないけどさ。
だって、もし本当に世界がとんでもないことになったら、私の大好きな倫理観なきコンテンツも、多分、作られなくなるか、誰も見なくなるんじゃないかな。
誰もそんなもん見てる余裕なくなるだろうし。
そして何より、ミオが安心して毎日を過ごせなくなっちゃう。
それは、絶対避けたい。
だから、私は今日も、スーパーでいつものおばちゃんがレジを打ってくれてることに感謝し、ミオが「今日ね、〇〇ちゃんと鬼ごっこしたの!
」って笑顔で話してくれることにホッと胸をなでおろし、そして、私が心を許せるフィクションの中で、めいっぱい倫理観の欠片もない物語にツッコミを入れながら笑う。
そして、心の中でそっと願うんだ。
どうか、この世界が、私みたいなパート主婦が、安心して美容院の失敗に文句を言ったり、倫理観ぶっ飛びコンテンツを見てゲラゲラ笑ったりできるくらいには、平和であってほしい、って。
そしたら、また次の「いつも通り」が、きっと見つかるから。
たとえそれが、ちょっと失敗した前髪の分け目だったとしてもね。
うん、それでいいのだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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