📝 この記事のポイント
- カラオケで十八番を歌ったら、キーが合わなくて途中でリセットした。
- 画面に表示された「キー変更可」の文字が、まるで「お前にはまだ早い」と突きつけられているようで、思わず声が裏返りそうになった。
- いつもなら完璧に歌いこなせるはずの曲なのに、今日の喉はなぜか砂漠のようだった。
カラオケで十八番を歌ったら、キーが合わなくて途中でリセットした。
画面に表示された「キー変更可」の文字が、まるで「お前にはまだ早い」と突きつけられているようで、思わず声が裏返りそうになった。
いつもなら完璧に歌いこなせるはずの曲なのに、今日の喉はなぜか砂漠のようだった。
諦めて隣の部屋の友人、ケンタが歌い出した謎の昭和歌謡を聴きながら、手元のコーラを一口。
炭酸が喉を刺激して、ようやく少しだけ声が出そうな気がした。
この不調、もしかしたら最近の食生活が原因かもしれない。
シェアハウス暮らしも三年目になると、もはや互いの食の好みはもちろん、胃袋のキャパシティまで把握している。
今日の当番は僕で、冷蔵庫には先日シェアメイトのタカシが「大人になんなよ」と言いながら置いていった、賞味期限ギリギリの豆腐が鎮座している。
タカシはいつもそうだ。
何かにつけて「大人になんなよ」と言う。
彼の中の「大人」の定義は、どうやら「どんな状況でも動じないこと」と「ちょっとした面倒事も笑顔で片付けること」らしい。
先日も、僕が炊飯器の予約を忘れて米を炊き損ねた時、彼は「まあ、大人ならこのくらいで慌てないってことだよな」と、にこやかにコンビニおにぎりを差し出してきた。
あの時の、彼の顔に浮かんだ「これでまた一つ、大人になる経験をさせてやったぞ」と言わんばかりの表情は忘れられない。
いや、あれは普通にただの嫌味だったのかもしれない。
そんなタカシが残した豆腐を見て、僕が思いついたのは味噌汁だった。
味噌汁なら、多少賞味期限が過ぎていても豆腐は煮込めば大丈夫だろう、という根拠のない自信があった。
冷蔵庫には他にも、ケンの「これも大人になんなよって言われたから買ってきたんだけどさ」という、謎のセリフと共に置かれたしなびた長ネギと、なぜか奥の方に埋もれていたワカメがあった。
まるで、この味噌汁は僕が「大人になる」ための試練、と言わんばかりのラインナップだ。
味噌汁作りなんて、と侮るなかれ。
具材の切り方一つ、煮込むタイミング一つで、その日の夕食の満足度が大きく変わる。
特に、シェアハウスの当番制の料理は、みんなの期待を背負っているわけだから、失敗は許されない。
まあ、許されないと言っても、これまでにも何度か盛大な失敗を繰り広げ、そのたびにタカシから「大人になんなよ」の言葉を賜っているんだけど。
一度は鶏肉を焦がしすぎて、炭のような塊をみんなで囲んだこともあった。
あの時は流石にみんな無言だったな。
まずは豆腐。
パックから取り出し、水を切る。
この時、少しでも力が入るとぐちゃっと潰れてしまう。
まるで、僕の心臓みたいだ。
いや、別にそこまで繊細じゃない。
むしろ図太い方だ。
包丁で慎重に、でも大胆に、立方体に切っていく。
長ネギは斜め切りにして、ワカメは水で戻す。
この一連の作業、なんだか瞑想に近いものがある。
無心で具材を切り、鍋に水を入れて火にかける。
沸騰したところにワカメ、長ネギ、そして豆腐を投入。
この順番も結構大事で、適当に入れると具材が煮崩れたり、逆に硬すぎたりする。
まるで人生だ。
いや、人生はもっと複雑か。
味噌を溶く工程は、毎回少し緊張する。
だまにならないように、丁寧に、丁寧に。
そして、最後に味見。
一口、ごくり。
うーん、悪くない。
むしろ、かなり良い。
しなびたネギも、賞味期限ギリギリの豆腐も、ちゃんと味噌汁の中でそれぞれの役目を果たしている。
この「まあまあ」な感じが、逆にちょうどいい。
味噌汁を完成させて食卓に並べると、ケンが「お、今日の味噌汁、なんかいつもと違うな」と言った。
タカシはいつものように何も言わず、ただ一口飲んで、少しだけ目を細めた。
その目つきは「変に何かメッセージ込めたやろっていうのはない」とでも言いたげな、いつものタカシの目だった。
僕は別に、この味噌汁に深いメッセージなんて込めてない。
ただ、冷蔵庫の余り物と、自分の腕と、少しの「大人になんなよ」への反骨心で作っただけだ。
でも、タカシのその一言なき表情の中に、僕の味噌汁に対する評価がぎゅっと詰まっている気がして、ちょっとだけ嬉しかった。
いや、やっぱりあれは「まあ、普通だな」という顔だったのかもしれない。
あのラジオでせいやさんが「変に何かメッセージ込めたやろっていうのはない」って言ってたけど、わかる気がする。
僕らが日常でやる行動って、別に誰かに向けてとか、大きな意味を込めてとかじゃなくて、ただ目の前のことをこなしてるだけだったりするんだよね。
でも、周りの人からすると、そこに「何か」を感じ取っちゃう。
勝手に解釈しちゃう。
例えば、僕が洗濯物を干すときに、妙に几帳面にハンガーにかけたりすると、ケンが「おい、なんかいいことあったのか?
」って聞いてくる。
いや、ただシワになりたくないだけだよ、と答えると、「大人になんなよ、そんなことでいちいち機嫌良くすんなよ」とタカシが横から口を挟む。
いや、機嫌良いわけじゃないんだよ、と心の中で呟く。
僕らは日々、そういう「勝手に解釈されること」の連続で生きているのかもしれない。
冷蔵庫の隅で忘れ去られかけた豆腐も、僕にとってはただの食材だったのに、タカシにとっては「大人になる」ための教材だったりする。
僕がカラオケでキーをリセットしたのも、ただ声が出なかっただけなのに、もしかしたらケンは「あいつ、何か悩んでるな」とか思ってるかもしれない。
いや、絶対思ってないな。
彼は僕の十八番がキーが合ってないなんて、そもそも気づいてないだろう。
そんなもんだ。
僕が感じたことが全てだろ、とか、僕に非はない、とか、そういうことじゃなくて、結局はみんな、それぞれのフィルターを通して世界を見ている。
だから、僕が作った味噌汁をタカシが飲んで、何かを感じたのなら、それはそれでいいんだ。
たとえそれが「普通だな」という感想だったとしても。
僕が味噌汁を作ったのは、ただ空腹を満たすためと、冷蔵庫の豆腐を救うため。
それだけ。
でも、もしこの味噌汁が、ケンやタカシにとって、今日の夕食の「ちょっといいな」の一つになれたのなら、それは嬉しい。
僕の料理には「大人になんなよ」というメッセージは含まれていないけれど、もしかしたら「まあ、悪くないじゃん」という、ささやかなメッセージは伝わっているかもしれない。
そんなことを考えながら、シェアハウスの僕らの食卓は、今日もそれぞれの「勝手な解釈」で満たされていく。
そして、僕は今日も、冷蔵庫の奥に隠された、次の「大人になんなよ」食材を探し始める。
たぶん、今日中に食べないとヤバそうな卵とか、あるはずなんだよね。
みんなも、そんな経験、あるんじゃないかな。
冷蔵庫の余り物から、意外な発見をすることって。
まあ、発見できなくても、それはそれで「大人」ってことで。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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