義理の娘と、10億円の夢と、100円の僕

📝 この記事のポイント

  • 今日は醤油差しが壊れたから、新しいのを一つ、と心に固く誓って店に入ったはずなのに、なぜかカラフルな洗濯バサミセットや、猫の形をしたスポンジ、やけに凝ったデザインのジップロック風保存袋などがカゴの中で踊っていた。
  • レジの店員さんは何も言わないが、きっと心の中で「またこいつか」と思っているに違いない。
  • 僕の顔は、いつも「うっかり者の良いおじさん」を演じている。

100円ショップで必要なもの1つだけ買うつもりが、15個持ってレジに並んだ。

いつものことだ。

今日は醤油差しが壊れたから、新しいのを一つ、と心に固く誓って店に入ったはずなのに、なぜかカラフルな洗濯バサミセットや、猫の形をしたスポンジ、やけに凝ったデザインのジップロック風保存袋などがカゴの中で踊っていた。

レジの店員さんは何も言わないが、きっと心の中で「またこいつか」と思っているに違いない。

僕の顔は、いつも「うっかり者の良いおじさん」を演じている。

ああ、やれやれ。

家に帰れば、妻は「また余計なもの買って」と呆れ顔で、義理の娘は「パパ、それいつ使うの?

」と純粋な目で尋ねるだろう。

いや、最近はもう何も言わなくなってきた。

諦められた、という方が正確かもしれない。

僕の買い物癖は、一種の自然現象として、我が家の生態系に組み込まれてしまったのだ。

たとえば先日も、スーパーで特売の卵を買いに行っただけなのに、なぜか高級な缶詰のオイルサーディンを3缶も買ってしまった。

「これでアヒージョ作ったら美味いだろうな」と想像した瞬間、もうカゴに入っていた。

家に帰って冷静になると、「いや、アヒージョなんて年に一度作るか作らないかだろ」と自分にツッコミを入れる。

でも、棚に並んだオイルサーディンを見ると、妙に満たされた気持ちになるから不思議だ。

まだ開けてないけど。

服もそうだ。

衝動的に買った派手な色のTシャツや、少し若すぎるデザインの帽子が、クローゼットの奥で静かに息を潜めている。

年に一度の大掃除でそれらを発見するたびに、「ああ、こんなものも買ってたな」と遠い目をする。

でも、捨てるに捨てられない。

いつか着るかもしれない、いや、着てやるぞ、という謎の使命感が湧くのだ。

結局、その「いつか」は来ないまま、また次の年に同じサイクルを繰り返す。

人生は短いのに、衝動買いのサイクルは妙に長い。

そういえば、少し前に世間を騒がせた、あの性風俗店グループの全店閉店のニュース。

あれもまた、僕の買い物癖とは別の意味で、人の「衝動」を刺激する商売だったんだろうな、と勝手に納得した。

なんでも、ネットカフェなども経営する大きなグループだったらしい。

総工費10億円なんていう店舗もあったとか。

100円ショップで15個買った僕からすれば、次元の違う話だ。

いや、僕が15個買ったもの全部合わせても、せいぜい1500円。

それが10億円。

ゼロの数が違いすぎて、もはや想像もつかない。

あのニュースを聞いた時、僕はちょうどいつもの駅前の喫茶店で、モーニングセットを食べていた。

新聞の見出しに「全店閉店」「10億円」と踊る文字を見ながら、コーヒーを一口。

僕の目の前には、新聞を広げる僕とは対照的に、何も見ずに黙々とトーストを頬張るサラリーマンがいた。

彼が何を考えているのかは知らないが、おそらく10億円の店舗や性風俗の未来について、深く考察しているわけではないだろう。

たぶん、今日の仕事のことか、奥さんのお弁当の中身のことか、あるいは僕と同じく、昨日の衝動買いを少し後悔しているか、そんなところだろう。

世間では、スカウトグループ会長の摘発や政治状況が閉店の原因だと囁かれている。

なるほど、そういった背景があるのか。

人の欲望を相手にする商売は、常に危うい綱渡りなのかもしれない。

10億円を投じて築き上げた夢が、一夜にして崩れる。

その規模の大きさに、ただただ圧倒されるばかりだ。

僕の1500円の衝動買いなんて、もはや霞んで見える。

いや、霞むどころか、存在すらしないに等しい。

それでも、僕の衝動買いは止まらない。

先日も、義理の娘が「これ可愛い!

」と言ったキャラクターもののボールペンを、ついつい買ってしまった。

彼女はもう中学生なのに、まだそういうものに惹かれるらしい。

いや、むしろ僕がそういうものに惹かれて、買ってあげたかったのかもしれない。

家に帰って渡すと、義理の娘は「え、パパが使うの?

」と不思議そうな顔をした。

「いや、君にだよ」と言うと、ちょっとはにかんで「ありがとう」と言った。

その顔を見たら、1000円くらいのボールペンが、とんでもない価値のあるものに思えた。

いや、実際は800円だったけど。

考えてみれば、僕の買い物は常に「衝動」と「後悔」、そして「でも使ってる」のループだ。

100円ショップで買った猫のスポンジは、洗い物の時に意外と手に馴染む。

洗濯バサミは、風の強い日にベランダで大活躍している。

あのオイルサーディンも、まだ開けてないけど、いつかきっと、最高のワインと一緒に食卓に並ぶ日が来るだろう。

そう、きっと来る。

その日まで、僕は衝動買いの缶詰を大切にしまっておくのだ。

結局のところ、僕の人生はそんな小さな「あるある」と「やっちゃった」の積み重ねでできている。

大きく儲けることも、大きく損をすることも、あまりない。

堅実に、しかし心の中ではいつも何か新しいものを求めている。

まるで、お目当ての醤油差し一つ買うつもりが、いつの間にかカゴの中が賑やかになっているようなものだ。

あの10億円の性風俗店グループの閉店は、僕にとっては遠い世界の出来事だ。

しかし、僕の小さな買い物も、彼らの大きなビジネスも、突き詰めれば「何かを満たしたい」という人間の根源的な欲求に繋がっているのかもしれない。

それは承認欲求だったり、快適さだったり、一時の快楽だったり、あるいは単に「可愛いもの」だったり。

そして僕は、また今日もスーパーのレジで、カゴの中の見慣れないお菓子と目が合ってしまう。

ああ、これはきっと、義理の娘が好きそうなやつだ。

いや、僕が食べたいだけかもしれない。

どちらにしても、また買ってしまいそうだ。

そしてまた、いつものように心の中で「またやっちゃった」と呟くのだろう。

それでいい。

それで僕の日常は、少しだけ賑やかになるんだから。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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