📝 この記事のポイント
- 歯医者の予約をすっぽかして、受付から確認電話がきて冷や汗をかいた。
- いつもは妻が前日に「明日、歯医者だよ」と念を押してくれるのに、昨日はたまたま夫婦で夕飯後にテレビに夢中になり、どちらも失念していたらしい。
- 電話口で恐縮しまくる僕の横で、妻は「ほらね、言ったでしょ」と言わんばかりの冷たい視線を送ってくる。
歯医者の予約をすっぽかして、受付から確認電話がきて冷や汗をかいた。
もう何度目だろう。
いつもは妻が前日に「明日、歯医者だよ」と念を押してくれるのに、昨日はたまたま夫婦で夕飯後にテレビに夢中になり、どちらも失念していたらしい。
電話口で恐縮しまくる僕の横で、妻は「ほらね、言ったでしょ」と言わんばかりの冷たい視線を送ってくる。
いや、あなたもだよ。
心の中でそうツッコミを入れつつ、とりあえず再予約を済ませた。
こういう、なんかちょっとした罪悪感に苛まれている時って、普段やらないことをしたくなるんだよね。
現実逃避ってやつかもしれない。
急に「部屋を綺麗にしよう!
」と思い立ち、まずは手つかずだった書斎の引き出しを開けた。
ここ数年、何を放り込んだのかすら覚えていない、いわば「開かずの扉」状態。
中から出てくるのは、使いかけのボールペン、謎のネジ、昔のレシート、そして何かのカードの有効期限が切れたお知らせ。
これらを分類し、捨てていく作業は、まるで自分の人生をタイムカプセルから掘り起こしているような気分になる。
いや、大げさかな。
そんなガラクタの山から、ひときわ異彩を放つ小さなプラスチックケースを見つけた。
手のひらに収まるくらいのサイズで、ずっしりとした重みがある。
表面には「純金」の文字と「1.9g」の刻印。
ああ、これか。
17歳の夏、僕が初めてパチンコで景品交換した時の、記念すべき「金」の景品の中身だ。
あの頃はね、まだパチンコ店に堂々と入れる年齢じゃなかったけど、背伸びして友達と行ったんだ。
ビギナーズラックってやつで、あっという間に持ち玉がジャンジャン増えていって、もう浮かれまくった。
景品カウンターで「特殊景品をください」って言うのが、なんだか大人になったみたいでドキドキしたのを覚えてる。
交換所の窓口に持っていくと、おばちゃんが「はい、どうぞ」って素っ気なくこの小さなケースを渡してくれたんだよね。
僕の頭の中には、まるで映画に出てくるような、まばゆいばかりの金塊がドーンとイメージされてたわけ。
それが、いざケースを開けてみたら、小指の爪くらいのサイズの、なんかカッターで切ったようなカケラがちょこんと入ってるだけ。
しかも、金色の板チョコの切れ端みたいで、期待してた「お宝感」はゼロ。
当時の僕は「なんだこれ、しょっぼい!
」って心底がっかりしたもんだ。
その時の落胆ぶりは、今でも鮮明に思い出せる。
友達と顔を見合わせて、「まじかよ」って苦笑いしたっけ。
結局、その金は換金することもなく、当時使っていた学習机の引き出しに放り込んだまま、引っ越しを何度かしてもずっと持ち続けていた。
もはや存在すら忘れてたんだけど、まさかこんなところから出てくるとはね。
なんだかノスタルジーに浸っちゃって、しばらくその金塊を眺めていた。
あの頃の自分に「お前、これ結構いいもんになるぞ」って教えてあげたい気持ちと、いや、それはそれで夢がないか、という気持ちがごちゃ混ぜになる。
さて、この1.9gの金のカケラ、まさか今の時代にこんな価値を持つことになるとはね。
ちょっとスマホで今の金相場を調べてみたら、もう目ん玉が飛び出るかと思ったよ。
あのしょぼいカケラが、なんと数万円の価値になってるじゃないか。
当時、換金してたら数百円にしかならなかったはずなのに、時が経てばこんなにも化けるなんて。
まるで、道端に落ちてた石ころが、何かの拍子にダイヤモンドになってた、みたいな気分だ。
「おいおい、まじかよ!
」思わず声に出してしまったら、隣の部屋から妻が「どうしたの?
」って顔を覗かせた。
「いや、これ見てみ。
昔のパチンコの景品の中身なんだけど、まさかの大金になってる」
僕が手のひらの上の金塊を見せると、妻も最初は「へー」くらいの反応だったんだけど、金額を伝えると「え、嘘でしょ!
」と目を丸くした。
夫婦揃って金塊の価値に驚き、なんだか妙にテンションが上がってしまった。
まるで宝くじに当たったかのような、いや、それとはちょっと違う、過去の自分からのサプライズプレゼントみたいな感覚。
でも、なんだろうね。
その金塊を眺めているうちに、妙に冷静な自分もいるんだ。
この金、売るのか?
って自問自答してみる。
もちろん、売ればそれなりの臨時収入になるだろう。
でも、なんか違う気がした。
17歳の僕ががっかりしながらも、捨てずにいた金塊だ。
当時の僕の「しょぼい」という評価も込みで、なんか大事にしたい気持ちになったんだよね。
結局、僕はその金塊をまたそっと引き出しに戻した。
今度は、もうちょっと大事な、思い出の品を入れる箱に。
別に、今すぐお金に困ってるわけじゃないし、無理に売る必要もない。
それよりも、この「なんだかんだで人生って面白いよな」っていう感覚の方が、よっぽど価値がある気がしたんだ。
そういえば、最近、近所のスーパーで買い物をしていた時のこと。
レジで会計を済ませたら、ちょうど後ろにいつも朝の散歩で会う、隣町の奥さんが並んでたんだ。
「あら、ご主人もこちらにいらっしゃるのね」って声をかけられて、少し世間話になった。
奥さんはいつも旦那さんの実家で作った野菜を分けてくれる、気さくな人でね。
「この前いただいた茄子の漬物、本当に美味しかったです」って伝えたら、「あら、嬉しいわ。
また作るから、今度取りに来てね」って言ってくれたんだ。
その茄子の漬物、本当に絶品なんだ。
僕も妻も大好きで、あっという間に平らげちゃう。
お金で買えるものじゃない、ああいう人の繋がりから生まれる「ちょっとした幸せ」って、何物にも代えがたい価値があると思うんだよね。
僕にとって、この1.9gの金塊も、もしかしたら茄子の漬物と似たようなものなのかもしれない。
すぐにお金にはならないけど、なんか心があったまるというか、人生を豊かにしてくれる、そんな存在。
そう考えると、歯医者の予約をすっぽかしたことから始まった、今日の引き出し整理も悪くなかったな。
あのまま引き出しを開けずにいたら、この金塊の存在も、今の価値も知らずに過ごしてたわけだし。
人生って、なんかこんなことの繰り返しだよね。
ちょっとした失敗から、意外な発見があったり、期待外れだと思ったものが、時を経て特別なものに変わったり。
夕飯時、妻に今日の出来事を改めて話すと、「へー、でも売らないんだ?
もったいない」と言いながらも、どこか楽しそうだった。
食卓には、先週隣町の奥さんからいただいた茄子を使った味噌汁が並んでいた。
そう、この茄子もまた、金塊と同じくらい、いや、それ以上に僕らの食卓を豊かにしてくれてる。
結局、僕の日常は、金塊が数万円の価値になろうと、そうじゃなかろうと、ほとんど何も変わらない。
今日も洗濯物を畳んで、妻とテレビを見て、明日はまた歯医者の予約を忘れないように気をつけなくちゃいけない。
でも、それでいいんだ。
なんでもない日常の中に、ちょっとした驚きや喜びを見つける。
それが、僕にとっての「お宝探し」みたいなもんなのかもしれないな。
人生、そんなもんじゃない?
って、ちょっとだけニヤけて、僕は味噌汁をすすった。
うん、今日も美味しい。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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